第27話 『ピアノ協奏曲ハ短調 K.491』 モーツアルト

 1786年3月24日に完成されたピアノ協奏曲。

 

 モー先生が、自分の予約演奏会で演奏するべく書いたのであろうという作品です。


 しかし、果たして、ベー先生も真っ青になるんじゃないか、と思うくらい、シリアスな作品であります。


 現代は、聞き手の感性そのものが当時とは随分変わっているので、この非常に厳しい音楽にでさえ、慰めを求めることが可能です。(と、いうより、やましんがいささか、そうしているわけです。)


 しかし、モー先生の予約演奏会は、大好評だったものの、次第に飽きられて、あるいは、理解が出来なくなって、お客様が減少傾向にあったらしいです。


 そこで、モー先生は、聴衆にもわかりやすいピアノ協奏曲を書こうとしたらしく、その切り札のひとつは『K.482番』(1785年12月16日)だったらしいです。


 その次の『イ長調K.488』は、その親しみやすさと、異次元的な奥深さが同居する有名曲であります。


 でも、その次のこの曲は、『一般民衆や貴族さんたちから親しみやすい楽しい音楽』なのかどうか、というと、やましんには、ちょっと、いや、まったく自信がありません。


 むしろこれは、楽しく聞いていただくと言うよりは、音楽の為の音楽であって、それはもう、べー先生の時代領域に割り込んでいます。


 聴衆は、ここに娯楽性を求められるのならば、それはそれでよいけれど、モー先生自身は、その目的のために書いたのでは、たぶん、ないだろうな。


 そんな気が、例によって勝手にいたします。


 しかも、なんで『うるうる』なのか、と言えば、まあ、それもまた、やましんがそう感じるからなのです。


 つまり、これは、個人の主体的な感性でもって、音楽をどう『感情的』にとらえて表現しても構わないような、かなりロマン派的な音楽を、大胆に先取りしてるんだろうとも、思うのです。


 もちろん、それは、『ニ短調 K.466』(1785年2月10日)と、さっきの『イ長調 K.488』(1786年3月2日)のピアノ協奏曲を下敷きにしての、うえでのお話です。


 とかなんとか、さっぱり訳の分からない様な、意味不明のような(同じかな)、たわごとではありますが、まあ要するに、やましんには、『癒し』というよりは、これは、ちょと肩の凝る緊張感に満ちた音楽であって、あえて言えば『うるうる』音楽なのです。


 それにしても『第2楽章』の、この世から隔絶したような、美しくも哀しい音楽は絶品!



 ************ うる ⛄ うる ************ 










 





 

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