第百十二話 王とマレビト

 ヴォルティスは執務室のベランダから、満足そうな顔で中庭を見下ろしていた。

 丁度三体の魔導兵が、二度目の広範囲雷魔法でリザードマンの軍勢を焼き殺したところだったが、従者に呼ばれて部屋の中へ戻った。


「――魔導兵の投入は正解であった。あの調子ならば、リザードマンどもは全て焼き殺されるであろう。恐らくこの小癪な奇襲はアルテオンの計略だろうが、魔導兵を極秘に開発していた俺の方が一枚上手だったということだ。くく、小僧の悔しがる顔を、この目で見たかったものだ……。で、何か報告であるか?」


「はい、王都周辺の警戒に当たっていた兵からの報告で、南のロトス平原にステラヘイム軍が集結しつつあるとの事です」


「……ロトス平原? 目と鼻の先ではないか! 国境の砦はもう破られたと言うのか……!?」


 ヴォルティスの形相が怒りに染まったのを見て、従者の背筋は更に伸びて、硬直した姿勢のまま報告を続けた。


「い、いえ、それが空を飛ぶ奇妙な乗り物で、兵士たちを小分けに国境から運んでいるようです……!」


「空を飛ぶ乗り物――!? 魔族をたった一人で倒したという、ステラヘイムの英雄の仕業か……! やはり海からの魔法戦艦と地上からの挟撃で攻める気か……。しかも思ったよりも動きが迅速だ。ステラヘイム王へ送った書簡は、時間稼ぎにもならなかったと言う訳か……。まさか愛娘の命はすでに見限ったとでも言うのか? まさかな……。それで敵の戦力はどれくらいだ?」


「はい。三十分程前の時点で、一万程度との報告です」


「一万……。恐らく日の出とともに王都へ攻撃を仕掛けてくる筈……。日の出はもうすぐだ。つまり、これ以上は兵が増えないと見ていい訳だ。くく、さすがのステラヘイムも兵を集める時間が無かったと見える……」


 と、ヴォルティスは三白眼で空を睨んだまま、しばし熟考する。

 組んだ足は焦れたように貧乏揺すりをしているので、無言が続けば続く程に、従者の緊張は高まっていく。


「――近隣のアルタス公とローメル公は、兵を伴って都へ向かっている最中の筈……。まずはこの二人に伝書蝶を飛ばして、ロトス平原を南と西から回り込んで陣を整えるよう伝えろ。ユリアナの処刑は状況次第では領主たちが集まる前に実行するが、それはあくまで最悪の場合だ。やはり、どうしてもなるべく多くの領主と民衆の前で処刑せねば、ヴォルティス家単独統治の大義が揺らぐ。それでは革命後の求心力が弱まる可能性があるからな……」


「承知いたしました」


 従者はそう答えると、傍らの部下に目配せをする。

 部下は静かに一礼をすると、静かに隣の部屋へ消えていった。


「それと、もう一つ報告があります。ルード家の兵士たちの大半は、武装解除させることに成功しましたが、一部の兵はアルテオンの従者の先導によって取り逃がしてしまいました。ただご指示通り、現在は魔法防壁によってルード家の区画内に閉じ込めておりますが、こちらはいかがなさいましょう……?」


「ふん、ユリアナの処刑までは騒ぎを大きくしたくないからな。区画内に閉じ込めておいてアルテオンを始末したあとに、望む者には寛大な処置を与えようと考えていたが気が変わった。魔導兵があそこまで実戦で役立つと言うのなら、獣人族の雑兵などもう必要ないわ。包囲網の中に魔導兵を数体解き放って、一匹残らず根絶やしにしてやれ……!」


「かしこまりました……」


 従者はヴォルティスの非情な命令に、一瞬だけ戸惑いの表情を見せたが、それをヴォルティスに気取られる前に深々と頭を下げるとドアに向かった。

 そしてドアを開けた途端に、その体が執務室の床を転がった。


「なんだ――!?」


 ヴォルティスが椅子から立ち上がりドアの方に目を向けると、そこには二体のリザードマンが立っていた。

 その光景に流石のヴォルティスも驚きを隠せず、腰の剣を抜くと共に声を張り上げた。


「侵入者だ! リザードマンが城内に入り込んでいるぞ! 見張りの者は一体何をしておるっ!」


 その声に反応するかのように、先ほど従者の部下が入っていったドアが開いたかと思えば、そこから姿を現したのも五体のリザードマンだった。


「ま、まさか、兵たちは皆……!? いつの間に――!?」


 ヴォルティスの声は動揺と恐怖に震えていたが、それでも微かに残っている闘争心を奮い立たせて剣を構えた。

 その姿からは、為政者としての尊厳のようなものが感じられた。

 いや、一人の男としての意地と言うべきか。

 七体のリザードマンに窓際まで追い立てられて、いよいよ逃げ場がなくなり、ヴォルティスが覚悟を決めて前へ踏み込もうとした時――

 パチパチパチと手を叩く音がしたかと思うと、リザードマンの背後から一つの人影が現れた。


「例え一人になっても、敵に立ち向かおうとするその姿……。戦士としての誇りなのか、権力への執着なのかわかりませんが、やはり王を名乗るならばそうでなければなりません。この国へ来てから何人もの記憶を見ましたが、あなたに関する情報イメージはどれも一緒でした。強欲で、利己的で、支配的――。あなたのその我欲の強さが、この国の歪みの最大の一因となっている。でも、この国には自らその歪みを矯正する力を持ち合わせていない。そんなあなたの存在は、私にある素敵な計画を思い起こさせてくれました。私はリザードマンの味方であると同時に、あなたの救世主でもあるのです」


 まるで歌う様にそう話しながら現れたのは、白髪の青年だった。それもかなり美しい。

 腰に布を巻き付けてスカートのように履いているが、上半身は裸で、細身だが筋肉質で均整の取れた肉体が露わになっている。

 そして何よりも特徴的なのは、白い二つの瞳と床まで伸びた白髪だった。


「そうそう。この城の宝物庫には、質の良い魔法石がたくさんあって助かりました。お陰で私は完全体に成長することができたのです。元の世界ではこのような人の形はしていなかったのですが、慣れればこの体も存外居心地の良いものですね」


 白髪の青年はヴォルティスの前までやって来ると、上機嫌にくるりとターンして見せた。

 一見すると人懐こい青年がただおどけているように見えなくもなかったが、人間のようでいてどこか人間離れをした雰囲気に、ヴォルティスは恐る恐る問いかけた。


「何者……? まさか人造人間ホムンクルス……なのか!?」


「あなた達は神族に作られたと言っていい存在です。では、あなたも人造人間ホムンクルスなのですか?」


 白髪の青年――マキナは、ヴォルティスが見せた戸惑いの表情を見て優しく微笑むと、そのまま話を続けた。


「私は、自分が誰の手によって生み出されたのかは知りません。しかし自分が何処からやって来たのか、それはそんなに重要なことでしょうか? 私はどこから来たのか知らなくとも、何処へ向かうのかはわかっています。何故ならば生まれた時から、私の中にはしっかりと神命が宿っていましたから……。あなたは自分の神命を理解していますか? 果たして神族が作りしあなた達産子は、黄金聖竜様の御心のままに生きておられるのでしょうか……? 黄金聖竜様は、本当に今のような世界を望んでいられたのでしょうか? 神命を持つ者と持たざる者の差は一体なんでしょう? 神命を持つ者と持たざる者の心の在り方には、一体どんな違いがあるのでしょうか? そして、その目に映るこの世界に、果たして違いはあるのでしょうか……?」


「き、貴様は、何を言っておる……」


「心配しなくてもいいんですよ。その為に私はこの世界へ呼ばれたのですから……。不完全なこの世界とあなた達を補うために、私はここに存在するのです」


 床まで届くマキナの白髪が、まるで突風にでも煽られたかのように、ぶわっと放射状に開いたのを見ても、ヴォルティスは微動だにしなかった。

 いや、動けなかったのだ。

 蛇に睨まれた蛙のように、生物として相手の方が一枚も二枚も上手だと言う事を、出会って数分のうちに、全身の細胞が理解して萎縮してしまっていたのだ。

 空中に広がった白髪は幾つかの束に分かれると、触手のようにヴォルティスの全身に突き刺さった。

 そのうちの一つは脳天に突き刺さっていて、その髪の束がうねうねと動くのに合わせて、ヴォルティスは白目を剥いてくぐもった声を漏らした。


「ふんふん、そうですか。ロウマは西にある古代遺跡へ……。ではママもそこに居そうですね。ほお、邪神魔導兵器ナイカトロッズという古代兵器には、随分と興味を惹かれますね。タイガ・アオヤーマ対策に使えそうじゃないですか」


 どうやらマキナは、ヴォルティスの頭に突き刺した髪の毛から、彼の記憶を読み取っているらしい。


「――ヴォルティス王、今からあなたは三十分程意識を失いますが、何も心配する必要はありません。次に目覚めた時、あなたは新たな王へと生まれ変わっています。既にこの国を改造する為の御膳立ても準備してあって、あなたには一部の権限が与えられますから、好きに使って見てください。使い方はちゃんと頭の中へ入れておきますからね。あとリザードマン達もこれからはあなたの配下です。では、今から私は西の古代遺跡へ赴きます。ママを連れて戻ってくるまでの間、私とママの楽園ヴァルハラになるこの国をちゃんと守り通してくださいね……」


 マキナのその言葉を最後に、ヴォルティスの意識は白濁の闇の中へと落ちていった――

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