第六十七話 魔法都市ルード・ヴォル・ヴォルティス・1

 ヒルダはマキナを連れて堂々と正門から外へ出た。

 館の前は大通りになっていて、沢山の馬車と多くのヒトや獣人が往来していて活気に満ち溢れていた。


「うっ……!」


 その喧騒に思わず怯んでしまったヒルダだったが、マキナが自分の背中に隠れているのを見つけると、意を決したように彼の腕を引っ張って歩き始めた。


「ほら、ヒトなんか怖くないんだよ。しっかりしな……!」


「ママ、どこへ行きますか……?」


「そうだね、あいつが言ってた通りあんたの服を買おうか。その後はどうしよう? どうせあいつのお金だ。パーッと使ってやるのもいいかもね……?」


 空元気も元気のうちなのか、自分の言葉で次第に楽しそうな表情になっていくヒルダ。

 そして最初に目に止まった服屋で、適当に見繕った貫頭衣をマキナに着させて通りを歩いていく。

 その姿はどこから見ても、仲の良い姉弟か恋人同士に見えた。


 やがて二人は、高台の上にある王城を見上げられるレンガ敷きの円形広場へ躍り出た。

 広場には幾つも露店が並んでいて、大道芸人が披露する芸には人山が出来ている。

 その光景を目の当たりにしたヒルダは、露骨に機嫌が悪くなって唇を尖らせてズカズカと歩いていくと、中央にある噴水の際にドカッと腰を下ろして、周りで楽しそうにしているヒト達を睨みつけた。

 そのヒルダの急変に、マキナはおろおろと戸惑いながら声をかけた。


「マ、ママ、どうしました……? お腹いたいですか……?」


「違う、そんなんじゃない! この世界は元々古代四種族のものだったんだ……! それなのに神族の奴らが勝手に黄金聖竜やヒトや亜人に生まれ変わりやがった。ここに居るこいつら全員、元は神族とは言え新参者のくせに……! 私たちの世界で楽しそうにしやがって……!」


「それ悪いことですか……?」


「あ、当たり前じゃないか! 昔の大戦のあとで、神族はそのまま消えれば良かったんだ! そうすればこの世界は、ほとんどが私たち魔族のものになっていたのに……。このヒトや獣人たちは弱いくせに、数だけはウジャウジャと増えやがって……気持ち悪いんだよ、くそ!」


「魔族は少ないですか……?」


「その代わり魔族は寿命が長いからね。それに魔王様に貢献して認められれば、もっと強い力も与えられるし、半永久的に生きることも出来るんだ。だからそんなに数は多くないよ。ていうか、ヒトどもが多すぎるんだって! こいつら虫みたいで気持ち悪いんだよっ」


「魔王様、そんなにすごい人ですか……?」


「当たり前だろ! ていうか、なんなんだよお前はさっきから――!?」


「僕、まだこの世界のことよくわかりません。だから……」


「ああ、そうか、そうだったね。悪い、また今度ゆっくり教えてやるよ。今の私はなんか色々といっぱいいっぱいで、そんな余裕もないから……」


「僕はずっとママと一緒。時間はたくさんあるので、また今度でいいです」


「ああ、ありがとう……な!?」


 ヒルダはそこまで言いかけて、咄嗟に片手で自分の口を覆った。


(はああ!? なんで私がこんな得体の知れない稀人マレビト如きに、ニッコリと礼を言わなきゃならんのだあっ!? こいつは単にタイガ・アオヤーマを倒すのに利用できそうだから、一緒に行動してるだけだろ!? そりゃ腕を治してもらって感謝もしているし、毎日一緒に居るから情も感じてる。でもそれはあくまでも、計算と打算があってのことだろ!? なのに何をニッコリと笑みを浮かべて、感謝の言葉を述べているんだ私は……!? やっぱり父様が殺されたとわかってから、私はどうかしているんだ……。タイガ・アオヤーマにはまったく歯が立たなかったし、ロウマは何か私にやらせようとしているみたいだし、きっと不安で弱気になっているんだ。だからこんな得体の知れない稀人に……)


「……あー、とりあえず、まずはお金の使い方を覚えてみるか? ほら適当に買い物でもしてきなよ」


「買い物……してみたいです。いいですか……?」


「ああ、いいよ。行ってきな」


 ヒルダは銀貨と銅貨を何枚か適当にマキナに握らせると、追い払うように片手を振った。

 マキナは両手でお金を受け取ると、その姿勢のまま屋台の方へと歩いていく。

 その頼りない後ろ姿を、何とも言えない複雑な顔で見送るヒルダ。

 しかし、その表情がどんどん曇っていった。

 何故ならば、マキナは露店に真っ直ぐ向かうと思いきや、途中で何かを見つけたらしく明後日の方向へと走っていってしまったからだ。


「はあ!? 離れてから三秒でトラブルの予感とかぶっ殺すぞ!」


 青筋を立てたヒルダは、マキナの後を追いかけて姿が消えた路地へと駆けていく。

 するとマキナは路地の真ん中に突っ立っていて、路地の奥にいる人影を熱心に見ていた。


「――勘弁しろよ、買い物は許可したけど、勝手にどこか行っていいとは言ってないだろ! どうしたんだよ!? なんかあったのか?」


「ママ、あれは何をしてますか……?」


 そう問われて、ヒルダはマキナの視線の先を追いかけた。

 路地の奥では十二、三歳くらいのヒトと獣人の子供たちが四人いて、誰かを集団で蹴り飛ばしているところだった。

 蹴られている方はボロボロのローブを頭からすっぽりと被っているので、人相や年齢まではわからないが、体の小ささから言って彼らより年下だろう。

 ヒルダはそれを見て、呆れたように鼻で笑った。


「ははん、下等な奴らにお似合いの下等な行為じゃないか。でもね、よく覚えておきな。世の中は弱肉強食なんだ。弱い奴はああやって周りから食い物にされるってことさ」


 やがてローブを着ていた何者かのフードが捲れると、トカゲそっくりの横顔が露になった。その頭には大きなリボンが見えるので、どうやら女の子らしい。

 子供たちはその姿が露になったことで、瞳の狂気が強まり繰り出すキックも激しくなっていく。


「リザードマンが勝手にこんなところを歩いてんじゃねえ!」


「誰に許可を得て商売してるんだよ!」


「騎士団に差し出して罰を受ける前に、俺たちがお仕置きしてやるからっ!」


「リザードマンは汚いんだから地下から出てくんな!」


 その少年たちの暴力に、リザードマンの少女は大粒の涙を零しながら許しを請う。


「わ、私はリザードマンでも……心はみんなと同じ形をしているのですよ……。心は汚れていないのですよ。お願いだから、許してほしいのですよ……」


 その弱々しい声に反応したのは、何を隠そうマキナだった。

 ヒルダが気がついた時には、マキナは少年たちに向かって走り出していて、繰り出した手刀で四人の少年を一瞬にして行動不能にしていた。


「ああ、くそ! なんなんだよ! あれだけトラブルは避けろって言われてたのに! ほら、面倒なことになる前に早くズラかるぞ!」


 ヒルダは青ざめた顔で髪を掻き毟るが、マキナはそんなのどこ吹く風で、足元でぐったりとしているリザードマンの少女を気にかけている。


「大丈夫ですか? どこか痛いですか? 僕はあなたを治してあげられます」


「ありがとうございますありがとうございます……」


 服も体もボロボロ状態のリザードマンの少女は、マキナの足にすがり付いて泣きながら何度も何度も頭を下げている。そんな少女を、マキナは優しく抱き上げて立ち上がった。


「ママ、この子の体の何箇所かが骨折しているので、治してあげたいです。それにはもう少し時間が要ります」


「はあ!? 勘弁してくれよ! お前もロウマの言葉を聞いてただろ! 下手にトラブルを起こしたら、私たちはあいつに殺されちまうんだって! そんな奴は置いてさっさと帰るぞ! こんなところを誰かに見られたら面倒だろ!」


「では、ママは一人で帰ってください。僕はこの子をどこかで治してから戻ります……」


「なんでそんな奴に執着してるんだよ!? 放っておけばいいだろ、私たちには関係のないことだ!」


「この子の心がどんな形か知りたいです……。僕も同じかどうか知りたいです……」


「な、なにをバカなこと言ってるんだよ……!? そんなの助かるための方便に決まってるだろうが! このトカゲのガキは、助かりたい一心でデタラメを並べ立てただけだって!」


「この世界は弱肉強食で、この子が弱いのが悪いですか……?」


「ああ、そうだ、弱い奴が悪いんだ。降りかかる火の粉を、自分でなんとか出来なかったこのガキが悪い!だから放っておけ。さっさと戻るぞ!」


「ママの父様も、弱かったから悪いのですか……?」


「な……!」


「ママも弱かったから、タイガ・アオヤーマに敗れましたか……?」


「お、おめえ殺すぞっ……! いい加減にしとけよ……!」


「弱い者に手を貸すのは、そんなに悪いことですか? だったら僕がママの復讐を手助けすることも悪いことですか……? 僕は、僕の心がどんな形をしているのか知りたいです……」


 すると、通りの方から兵士たちの声と足音が聞こえてきたので、ヒルダは後ろ髪を引かれる思いでその場を去った。

 しばらく走った後で後ろを振り返ると、すでにマキナとリザードマンの少女の姿は、どこかへと消えた後だった。



 ベースキャンプ二日目。

 日が昇るとともに、馬小屋から馬を出して麓の村へと向かう。

 馬は全部で五頭いたので、俺とエマリィ、ハティと八号がペアを組んで、ユリアナたちはそれぞれ単騎で。


 ちなみに俺と八号は馬に乗ったことがないので、騎手はエマリィとハティだ。

 あとハティは普段通りのビキニアーマーのままで、エマリィは王城の宝物庫から貰ってきた漆黒のローヴを着ていたが、そのほかのメンバーは全員庶民っぽい服装に着替えていた。


 俺と八号は貫頭衣に、ユリアナたちは持ってきた衣服の中で、一番地味めなワンピースやブレザーを。

 ユリアナはタキシードに山高帽子だったが、余計に胸元が強調されているので、男装の麗人っぷりに拍車がかかっていた。

 しかし帽子の前面からレースの布地が垂れ下がって顔を隠しているので、とりあえずそれで良しとする。


 そしてアルマスが言っていた麓の村は、掘っ立て小屋が十棟あるかないかと言った感じの文字通りの寒村で、人影も広場で遊んでいる子供たちの姿しか見えなかった。

 その中で一番背が高く年長者らしい少年が、俺たちの姿に気がついて駆け寄ってくる。


「――やあ、旦那様方、なにか御用で!?」


「えーと、もしかして君がマシュー君かな? アルマスさんに聞いて来たんだけども?」


 と、俺。

 すると、少年はどんと胸を張って人懐こい笑顔を浮かべた。


「そうだぜ、おいらがマシューさ! じゃあ旦那様方は、山のトリニティ伯爵の屋敷に泊まっているっていう旅のお方でいいのかな? アルマスの旦那から話は聞いてるよ。今日は何か御用かい!?」


「ああ、ちょっと街へ観光にね。それでガイドを頼みたいんだけども」


 それを聞いたマシューの目の色が露骨に変わると、弾かれたように後ろを振り向いて、子供たちにテキパキと指示を出していく。


「いいか! おいらは仕事が入ったから留守はいい子にしてるんだぞ! それとキイ、ペス、ロイマン、マルスの四人は、おいらが帰ってくるまでに、畑の草むしりと洗濯とチビどもの面倒をしっかりとみておくように!」


 十人ばかり居る子供たちのうち、名前を呼ばれた四人はマシューと歳が近いようで、体格もほかの子供たちに比べて一回りでかい。

 その四人はヒトとイヌミミを生やした獣人が二人ずつで、マシューの言葉に不服そうな顔を浮かべたものの、最終的には仕方なしに受け入れたようだ。


「はは、街へ行商へ出掛けたのに、ケンカなんかして帰ってくるからだ。それじゃあ旦那様方行きましょうか!」


 そして、マシューをイーロンの馬に乗せて首都へ向かう俺たち。


「そう言えば大人たちの姿が見えなかったが、畑仕事か何かで出払っていたのか?」


 と、俺。


「いいや、大人たちはみんな出稼ぎや何やらで、村を出て行ったきり帰ってこないんだ。そんなのが何度も続いているうちに、気がついたら子供だけになっちゃってただけだよ」


 と、カカカッと笑いながら説明してくれるマシュー。

 それは空元気なのだろうが、それを聞いた俺たちは一様に複雑な顔を浮かべている。


「し、しかし、あの村もどこかの領地なのだろ? 領主は村の窮状を知っても何も援助はしてくれないのか?」


 と、ユリアナ。レース越しにもその表情が義憤に染まっているのがわかる。


「あそこはラルフ様の領地なんだ。いつだったかラルフ様が直々にやって来て、みんなを小作奉公に出そうとしたんだけども、おいら達は抵抗したんだよ。みんな生まれた時から一緒に暮らしてて、体にあるホクロの数まで知ってるような仲なんだぜ。今さら大人たちの都合で、バラバラになんかされてたまるもんかってんだ!」


「でも、子供たちだけでよく抵抗できたもんだ。ほかにも年長者は居るのかい?」


 と、俺は思わず感心してしまう。

 マシューと、彼に怒られていた四人が十歳から十二、三歳くらいで、それ以外の子供たちは皆五、六歳がいいところの文字通りちびっ子たちだ。

 そんな子供ばかりで領主に抵抗できたのには、余程なにか理由があったとしか思えない。


「おいらが一番の年長者だから、ほかには誰も居ないよ。ただ、あの時は応援が……」


 と、口籠るマシュー。


「応援?」


 俺が聞き返すと、余程デリケートな話題だったらしく、マシューは強引に話題を変えた。


「い、いやなんでもない……! それよりも旦那! もうこんなシケた話はやめようよ。とにかく、あの村はおいらが何とかするんだ! あいつらが全員十五歳になるまでは、おいらが村と皆を守るって決めたんだ。それにもしもとーちゃんかーちゃんが戻って来た時に、村が無くなってたら悲しむだろ……? それに最近は、裏の山で古代遺跡が見つかって発掘隊が大勢出入りしてくれるおかげで、おいらたちの村も何かと景気がいいんだ。だから子供たちでも、十分やっていけるもんなんだよ」


「そうか……」


「じゃあ、ボクたちはしばらくあそこへ滞在するから、いろいろとマシューにはお世話になりそうだね」


 と、エマリィ。

 すると、マシューがこぼれんばかりの笑顔を浮かべてガッツポーズを取るので、その弾みで馬から落ちそうになってしまいイーロンに慌てて受け止められた。


「じゃんじゃん言付けてよ! おいら死に物狂いで働くからさ! なんせうちのちびっ子どもは、いつも腹空かしてて可哀相だから! ああ、なんか運気が上昇してきたなぁ! きっとあいつらも喜ぶだろうなぁ……」


 悲惨な身の上話のはずなのに、マシューの挫けない前向きな姿を見ていると、自然と俺たちの唇は綻んでいた。

 そんな感じに田舎道を進んでいると、やがてルード・ヴォル・ヴォルティスの立派な城壁が見えてきて、入場門に並ぶ人の列が姿を現した。


「旦那たちは運がいいなあ。今日は並んでる数が少ないから、これならそんなに待たずに入れそうだ。じゃあ通行税は、俺の分も含めてひぃふうみぃ――と銅貨が十六枚ね」


 と、マシューはイーロンに手を差し出した。

 しかしイーロンが凍り付いたように固まっているので、ユリアナ、テルマに向かって順に手を差し出すが、二人とも同じように固まっているので、マシューは少しイラついたように、俺に向かって手を差し出した。


「はいはい。ちょっと待ってくれよ……」


 と、俺は貫頭衣の懐に手を突っ込むと、マシューに見えないように妖精袋フェアリー・パウチの中から財布を取り出そうとして衝撃の事実に気が付いた。


「――あ、換金するのすっかり忘れてた……」


 と、俺はユリアナ一行を見るが、三人ともササッと視線を逸らして気がつかない振りをしている。

 仕方なしにエマリィとハティを見ると、こちらの二人も換金の件はすっかり頭から抜けていたようで、ばつが悪そうな笑みを浮かべていた。


「はは、ボクもすっかり忘れてたよ。タイガごめん……」


「仕方ない。こうなったら妾が城壁を飛び越えて――」


 と、馬上で立ち上がるハティを見て慌てて制する俺。


「そ、それだけは止めてくれハティ!」


「旦那どうしたの? もしかしてお金を忘れたとか……?」


「い、いや、お金はあるんだけど、外国の金しか持ち合わせてなくてさ……」


「なんだそんなことか。じゃあ何か金になりそうなものは持ってる?」


「えーと確か……」


 と、俺は妖精袋フェアリー・パウチに手を突っ込んで、昨日の半鳥人ハルピュイアの爪を幾つか取り出した。


「ああ、これだけあれば十分だ。じゃあ、ここの通行税はおいらが立て替えておくから大丈夫だよ」


 マシューは俺から素材を受け取ると、首からぶら下げていた巾着袋を自慢げに俺たちに見せ付けた。じゃらじゃらと音がすることからどうやら硬貨入れらしい。しかも相当な量が入っているらしく、巾着袋はぱんぱんに膨らんでいる。


「へへ、これがあの村の全財産だ。だからおいらが常にこうして肌身離さずに持ってるってわけ」


「いいのか、そんな大事なものを俺たちに見せても?」


「なに言ってるんだよ。旦那様方がいい人なのはわかってるから見せたんだぜ。こう見えても、いい大人と悪い大人の見分けに関しちゃうるさいんだ。旦那様方やアルマスは、いい大人だってわかってるから」


「そうか。そりゃ光栄だ……」


 俺は何となくむず痒い思いを噛み締めながら、マシューの逞しくもまだ幼い笑顔を見つめた。

 そして、この少年のために何かしてあげたいと募る欲求と、冷静に向き合いながら城門を潜った。

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