第六十話 グランパともう一人の客人

 三時間半ほどでスマグラーアルカトラズは、ダンドリオンから戻ってきた。

 俺とエマリィは甲板に立って緊張した面持ちで、コンテナの扉が開くのを待っている。

 何故エマリィのお祖父ちゃんが、突然訪ねてくることになったのか――

 その理由は、おそらくエマリィがお祖父ちゃん宛に出した手紙にありそうだった。


 なんでも以前俺の背中の魔方陣について、何か心当たりがないかどうかを確認するために、エマリィの実家を訪れることになっていたのだが、突然の王命クエスト発令や、その後での俺の環境の激変で棚上げになっていたので、いつだったかエマリィがお祖父ちゃん宛に手紙を出したようなのだ。


 だからお祖父ちゃんが突然来訪したのは、その手紙が原因と考えるのが一番腑に落ちる。

 しかしエマリィの話によれば、手紙の内容は自分の近況と、同じパーティーの仲間の背中に古代魔法らしき魔方陣が描かれている云々と、そして時間が出来たら俺を連れて実家へ戻るので、その時に意見を聞かせてほしいと言った感じの、当たり障りのない極普通の手紙だったので、あの手紙を読んで慌てて向こうから訪ねてくるとは考えにくい。


 でもタイミング的には手紙が実家に届いたころと一致するので、今回の突然の来訪の動機は、やはり手紙しか考えられない。

 だからこそ、エマリィは困惑していたのだ。

 しかもこちらに顔を出す前に、何故か王城へ出向いているのも引っ掛かる。

 確かにエマリィのお祖父ちゃんは、以前王室付きの魔法使いを務めていたので、ヨーグル陛下やオクセンシェルナとも旧知の仲で、王城を訪れること自体は別におかしな話ではない。


 だがこの余りにも狙い済ましたようなドンピシャのタイミングが、俺とエマリィが困惑交じりの緊張状態で、スマグラーアルカトラズの帰還を待っていた原因だった。

 そう、もしかしてあの日の事がバレているのではないのかと……


 あの日の事とは、勿論俺とエマリィが機関室で、情熱的なチュッチュッチュッチュッを繰り広げた夜のことだ。

 思い返せば現場はピノに直接見られているし、甲板では陛下やオクセンシェルナに大勢の貴族たちが酔いつぶれて眠っていたのだ。

 その中の誰かに、偶然目撃されていた可能性も捨てきれない。


 そして実家に届いた愛しの孫娘からの手紙を読んでいたお祖父ちゃんの元に、その孫娘の艶聞が風の噂で届いていたとするならば……

 可愛い孫娘を誑かすどこの馬の骨かわからない俺を懲らしめる為に、旧知の仲である陛下とオクセンシェルナの元へ寄って相談していたとするならば……


「エ、エマリィ……俺は別に軽々しい気持ちで、あんなことした訳じゃないからねっ……!」


「わ、わかってるよ……ボクだって……!」


 まるで頭から湯気が噴出しそうなくらいに、顔を真っ赤にさせて俯くエマリィ。

 そう言う俺も、まるで顔面に熱せられた鉄板でも押し付けられたみたいだったが、目の前のエマリィを守りたいという欲求が、胸の一番深いところから高まって仕方がなかった。

 もうそれは溢れ出しそうな勢いだ。

 そして思わず手を伸ばして、エマリィの手に触れた。


「ち、ちゃんとお祖父ちゃんに紹介してくれるかな、俺のこと。しっかりと挨拶しておきたいから……」


「う、うん……」


「もしも、あの晩のことがバレてたら、俺が全部説明するからエマリィは黙って聞いててほしい。とにかく、全部俺に任せて……」


「う、うん……」


 俺とエマリィは静かに、そして力強く互いの指を求めるように絡ませて、コンテナの扉が開くのを息を呑んで待った。

 スマグラー・アルカトラズの巨大な四つのローターが次第に弱まっていく。

 そして――


 バァン!

 と、突然勢いよく開くコンテナの扉。

 その瞬間、弾かれたように俺の手を振りほどくと、三つ編みをいじったり屈伸運動をしたりして、必死に何事もなかったように取り繕うエマリィ。


 ええーっそんなぁ!? と、心の中で絶叫しながら宙を彷徨う俺の右手。

 しかしコンテナから勢いよく飛び出してきたのは、エマリィのお祖父ちゃんなんかではなく、あろうことかヨーグル陛下で、俺とエマリィは困惑の表情のまま慌てて膝をついて頭を垂れた。


「ああ、そんなのはよい! 普通にしてくれていいのじゃ。ワシは堅苦しいのは嫌いなのじゃから!」

 

 と、いつもの人懐こい笑顔を浮かべて、小走りに駆けてくるヨーグル陛下。

 しかしこの時ばかりは、その小熊のような笑顔を思い切り張り飛ばしたい気分で胸がいっぱいだったが。


「あ、あれ、ヨーグル陛下は、こちらへ来るのは明日の予定では……!? 確かエマリィのお祖父ちゃんの迎えを寄越してくれという話だった筈ですけど……」


「まあそんな細かいことはよいではないか。明日来るのも、今夜来るのもそう大して変わりはせん。それならば、一足先に今夜来た方がお得じゃろ。それにワシはここへ来るのが大好きじゃと、何度も言っておるだろ。いやあ、それにしても、いつ見てもこのグランドホーネット号は壮観じゃわい! そうは思わんかオクセンシェルナ!?」


「ええ、確かにここへ来るたびに若返った気になれますな」


 王様の後ろをついて来たオクセンシェルナはそう言った後で、そっと俺に顔を近付けると、


「……何分急なことでな。大した歓迎は必要ない。ただ、この前のような田舎料理とご婦人方の歌と踊りと、あとは風狼族のあの女傑と酒が飲めるだけで陛下と拙者は満足じゃよ」


 と、悪戯っぽくウインクをしてみせるので、俺はもう苦笑するしかない。

 そして、その横を小走りですり抜けてコンテナへ駆けていくエマリィ。


「――お祖父ちゃん!」


「おおっ、エマリィよ! 久しぶりだのう!」


 コンテナから出てきたのは、エマリィと同じ背丈くらいの小柄なお爺さんで、ねずみ色の年季の入ったローブを纏っていた。

 頭は禿げ上がっているが、顔の下半分は白い髭で覆われているので、どことなく仙人のような雰囲気と風格が漂っている。

 そしてエマリィとお祖父ちゃんが再会を喜んでハグしている向こう側に、ふらりと現れるもう一つの人影。


 それは身長が百八十近い、メガネを掛けた猫耳の青年だった。

 極度のなで肩と、細身の体にくたびれたフィールドジャケットを羽織っている姿は、どことなく学者や研究者を連想させる。

 その獣人の若者は俺の姿に気が付くと、片手を胸に当てて一礼をしてきたので、俺も会釈を返した。

 その後でふと隣に居たヨーグル陛下とオクセンシェルナを見ると、青年の扱いに戸惑っているような、複雑な面持ちを浮かべていたのが印象的だった。




 結局エマリィのお祖父さんだけではなく、ヨーグル陛下とオクセンシェルナの両名まで来艦したものだから、急遽ささやかなパーティーを開くことになった。

 とは言っても、明日の準備の為に前もってアスナロ村の奥様軍団を、いつもの倍は呼んでいたので大した混乱もなく、滞りなく開催できたが。


 そしてそんな宴の途中に、俺はようやくエマリィのお祖父さんに挨拶するタイミングが訪れて、エマリィと二人きりで会話しているところへさりげなく近付いた。


「は、初めましてお祖父さん。僕はタイガ・アオヤーマと申しますっ……!」


「おお、君がタイガ君か! エマリィが世話になっとるようじゃな。君の話はエマリィの手紙にたっぷりと書いてあったし、若いのに凄腕の冒険者だという噂も、故郷の村にまで届いておるからよく知っておるぞ! しかも魔族を二度も撃退したとは大したものじゃ! どうかね、エマリィを嫁に貰ってはくれんかね!?」


「え!?」


 と、俺とエマリィ。


「え!?」


 と、お祖父さん。


「な、なんじゃ、まだエマリィに手を出しておらんのか!? なんで一つ屋根の下に暮らしておいて手を出さんのじゃ!? うちのエマリィじゃ不服なのか!? もしかしてユリアナ様を娶って王族入りでもする予定があるのか!? そうなると確かにうちのエマリィでは役不足かもしれんが、ご覧のように器量も気立ても良い子じゃ。妾でもいいんじゃぞ? ほれ、エマリィからも頭を下げてしっかり頼まんか!」


「お、お爺ちゃん、やめて……よ……!」


「い、いや、俺とエマリィはそういう関係では……!」


「え……!?」


 と、エマリィ。


「え……!?」


 と、俺。

 涙目で全身を怒りにぷるぷる震わせて、まるで鬼畜でも見上げるような非難めいた顔をしているエマリィを見て、俺は誤解を与えてしまったことに気がついて慌てて訂正するが……


「い、いや、違うよ! そういう意味じゃなくて、その、なんていうか……!」


「なんじゃタイガ君よ。うちの孫娘とはそういう関係ではないと言いながら、即座に訂正するとはどういうことじゃ!? もしかして純粋うぶな田舎娘を誑かして、利用しようとでもしている訳じゃなかろうな……!」


「え、そうなのタイガ……!? ボクのことを騙して……!」


「あ、あれえ!? なんでそこでエマリィが、そういう反応するかなぁ。ちょっと傷つくんですけど……!」


「だってタイガは俺に任せておけと言ってたのに、全然はっきりとしないから……!」


「い、いや、確かにそうなんだけど、こっちにも心の準備が必要というか、なんて説明しようとか、いろいろと言葉を選ぶ必要があって……!」


「そ、そんなのありのままに言えばいいだけじゃない!? それとも本当は説明できない理由でもあるんじゃないの!? 今のタイガを見てると、ボクにそう思われても仕方ないと思うけど……!?」


「だから、そのありのままを、どうオブラートに包んで言おうか迷ってただけで……」


「タイガとエマリィはベロチューしてた……」


「そうそう! そのベロチューをどう言えばいいかって――え!?」


「え!?」


 と、エマリィ。


「え!?」


 と、お爺ちゃん。


 いつの間にかピノが、俺とエマリィの間に立っていて、いつもの無表情な顔で俺たち二人を見上げているではないか。


「この間タイガとエマリィちゃんはベロチューしてたのに、今はケンカしてるの……? どうして? 二人は仲良しじゃないの……?」


 それを聞いたピノの頭の上に居たピピンは、キャーッと正月とお盆が同時にやって来たような顔をすると、鉄砲玉の如くどこかへと飛び去っていく。


「ちょ、ピノ黙ってろと言っただろ……!」


「ああ、ピノどうして……!」


 エマリィは恥ずかしそうに真っ赤な顔を両手で覆ってしゃがみ込み、その横でお祖父ちゃんは満面の笑みで、エマリィの背中をバシバシッと叩いている。


「でかしたぞエマリィ! それでこそ我が孫娘じゃ! いいかタイガ君よ! うちの大事な孫娘に手を出したんじゃ! それ相応の責任は取ってもらうからな! もし孫娘を泣かすような真似をしたら、世界の果てまでも追いかけて後悔させてやるぞ……!」


「は、はい。それは、ごもっともです。はい……」


 俺がエマリィのお祖父ちゃんに、鼻先五センチまで顔を詰め寄られて言質を取られていると、遠くから能天気な声が。

 いま一番聞きたくない声だ。


「タイガすぁーん! 聞きましたよーっ! エマリィさんとベロチューしたって! どんな感触だったかライラちゃんにも是非詳細に教えて――!」


「せいや!」


「ぐはっ!」


 満面のアホ面を浮かべて、大声で喚き散らして駆け寄ってきたライラを、渾身のドロップキックで葬った俺だったが、時既に遅し。

 俺とエマリィの関係はパーティー参加者全員に知れ渡っていて、恥ずかしいやら照れ臭いやらで世界がゲシュタルト崩壊しそうだった。




 そんな訳でパーティーは、俺の一存で強制終了。

 ていうかハティには「さすがカピタンはいつでもやる男じゃ!」と、大声で背中を叩かれるし、なんか八号には同じDT同士キラキラとした羨望の眼差しで見つめられるし、ライラとピピンは相変わらずキャーキャーと五月蝿かったし、ヨーグル陛下とオクセンシェルナはなんか悔しそうに、「ユリアナではダメなのか!?」「結婚式は一年間待ってくれ」と詰め寄ってくるし、アスナロ村の奥様軍団と子供たちからは、自分たちのことのように祝福されるしで、この余計でお世話な熱狂を沈めるには、お開きにするしかなかったのだ。


 ちなみにユリアナ姫王子からは「お父様とオクセンシェルナの戯言は、どうか気になさらないでください。私もエマリィさんとのことを応援していますから」と祝福されるし、その横でテルマも安心したように勝ち誇ったような笑みを浮かべて、ユリアナの右腕にしがみ付いて静かに所有権を主張していたし、イーロンも金髪を搔き揚げてクールな素振りをしながらも、どこかホッとしていたようだった。


 そんな感じになし崩し的にではあるけど、俺とエマリィの関係は周囲の公認になってしまったわけだ。

 しかしそうなってくると、俺としてもこのビッグウェーブに乗るしかなく、今夜あたり最後の一線を越えてやろうかなんて、壮大な野望がかま首をもたげたりするのだが、実はそうも言っていられなかった。

 パーティーがお開きになって皆が散り散りになると、ヨーグル陛下とオクセンシェルナ、そしてエマリィのお祖父ちゃんが、そっと俺に近付いてきたからだ。


「それでは本日の本題に入るとするかのう……」


 と、呟くヨーグル陛下の顔からは、いつもの人懐こい笑顔は消え去っていて、威厳ある為政者としての顔で、部屋の隅に待機していたネコミミの青年を見ていた――

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