第二十話 ユリアナ姫王子の戦い

 シタデル砦――

 ステラヘイム王国南方のサウザンドロル領内にある王国最大の城塞。

 その昔、海を渡って魔族の軍勢が上陸した時のこと。

 この地で王国軍と激しい攻防戦が繰り広げられて、黄金聖竜の加勢もあって王国軍が辛勝したものの、以来魔族軍の侵略に備えて建設された要塞である。


 元々この地で「三つ子三角岩」と呼ばれて親しまれていた三角形をした巨大な三つの岩山をくり抜いた要塞だ。

 三つ並ぶ岩山のうち中央にある一際大きな三角岩には、大きなトンネルが口を開けている。

 この城塞唯一の地表に接している入り口だ。

 しかし今は無数の叫ぶものスクリーマーたちが押し寄せていて、さらにトンネルに入りきらない数が城塞前の平原に溢れかえっている。その数はおよそ一万体。


 叫ぶものスクリーマーの軍団の大半がヒト族の農民や遊牧民、兵士たちだったが、それらに加えて大型の獣タイプの魔物モンスターも数百体ほど紛れている。ヒト族タイプの叫ぶものスクリーマーに襲われて軍門に下った魔物モンスターたちだ。


 その叫ぶものスクリーマー軍団をこの城砦に引きつけているものは、ある音色だった。

 それは空気を震わす重低音の力強い音だ。

 まるで巨大な要塞自体が脈打っているようなその音色は、トンネルの奥から聞こえてくる。一定のリズムを保ちながら、濁った大気を震わせて。


 そんな音色を吐き出しているトンネルは奥に進めば進むほど空間が狭まり、最終的には大人が三、四人ほどしか通ることができない程の幅となっていた。

 そしてその先で待ち構えているのは革鎧に身を包んで大盾を構えた兵士たちだ。

 その列から飛び出した数本の長槍が先頭に居る数体の叫ぶものスクリーマーの肉体を一斉に貫く。

 と、同時に兵士たちの後方で待機していた二人の青年魔法使いが火球ボーライドを放ち、生ける屍たちは火の海へ。


 しかし叫ぶものスクリーマーたちの勢いは一向に衰えることなく、炭化しかけている仲間の焼け焦げた死体を踏み潰して兵士たちに襲い掛かる。

 そしてまた繰り出される長槍と火球ボーライド――


 その繰り返し行われている攻防戦を、兵士たちの後ろに広がる大ホールの階段から見ている一人の赤髪の少女が居た。髪は男のように短く刈り上げているが、整った目鼻立ちに陶器のように白い肌をした美少女だった。

 細くすらりと伸びた白い首筋に、装着者の体型に合わせて作られたプレートアーマーの作り出す、細身ながらも出るところはしっかりと出ている肉感的で魅惑的なボディライン。


 全身から漂う高貴な雰囲気は、鎧の胸部に彫られている王家の紋章だけが原因ではない。

 彼女自身が元々持っている人々を惹きつける魅力は、その単なる佇まいからも滲み出ている。

 彼女がそこに立つだけで、古びて誇りっぽい城砦の階段は名画に描かれた舞台へと早変わりしてしまうようだ。


 そして彼女が紅い双眸に憂いを携えるだけで、おとぎ話の挿絵に描かれた竜の生贄に捧げられた悲運のお姫様を連想させ、彼女の闘志がその紅い双眸の奥でまだ消えていないことを見れば、竜に立ち向かう勇猛な王子様を思い起こさせるだろう。

 彼女の存在自体が物語的であり、絵画的だった。

 その少女こそがステラヘイム王国第一王女ユリアナ・ベアトリクス・カカ・ステラヘイムだ。


「ユリアナ姫王子様ーーーーーっ!!!」


 突如ユリアナに抱き着く一つの影。青髪のボブカットヘアに青いローブを着た少女だ。ユリアナより頭一つ背の低い少女はユリアナの細い腰に抱き着くと、頬をプレートアーマーにすりすりしてニヤけている。


「まったくテルマはいつまでも甘えん坊さんなのだな……」

「ユリアナ様~、自分外壁の見回りと補修作業からたった今戻りましたぁ。チョー頑張った! チョー頑張ったから褒めて? ね!? ね!?」


 と、ユリアナに甘える少女の名はテルマ・ラァウ。歳はユリアナの四つ下の十四歳で、姫王子騎士団専属の魔法使いだ。

 元素魔法の土魔法を得意とし、二年前に行われた入団試験で未成年ながらもユリアナの目に留まり、以来ユリアナとは身分の差を超えた交友関係を築いている。


 とは言ってもテルマのユリアナへの接し方は、主君と家来という間柄は元より、歳の近い友達同士という間柄にも収まらない一種独特の情熱的な空気を漂わせていたが。

 そんなテルマを律するかのように、低く引き締まった声が二人に近付いて来る。


「テルマお前と言うやつは……! いつも言っているだろ! いくらユリアナ様がお許しくださっているとは言えもう少し場所を弁えろ。ここは前線のど真ん中だぞ。しかもこのように雑兵たちが大勢いる目の前で……!」


 そう言いながらテルマの首根っこを掴んでユリアナから引き離す金髪の少年。甘い顔立ちにユリアナよりも頭三つ分ほど高い背丈。家柄が良さそうな知的な印象のする美少年だったが、全身を覆う銀色のフルプレートアーマーは傷だらけで、彼が文と武の両方に長けていると窺い知れた。

 その少年の名はイーロン・アルバ・トト・タリスマン。歳はユリアナの一つ上の十九歳で、剣の腕前は王国でも五指に入る実力者であり、ユリアナ騎士団の副団長も務めるユリアナの懐刀だ。


「イーロン、テルマは職務をしっかりと全うしてくれている。少しくらいは大目に見てもよいだろう……」


 ユリアナの顔には苦笑が浮かんでいる。その苦笑は馴れ馴れしいテルマへなのか、生真面目なイーロンへ向けられたものなのか。

 しかしテルマはユリアナが自分に加勢してくれたと信じて疑わないようで、


「そうだそうだ! ユリアナ様自分はしっかり仕事をしてますよね!? ね!? イーロンはいつもいつも糞真面目すぎるの! だから自分いいっすか!? もっとユリアナ様に甘えていいっすか!?」


 と、イーロンの手を振りほどいてまたユリアナに抱き着いた。少し困惑した顔を浮かべながらも、歳の離れた小さな妹でもあやすかの様に受け入れるユリアナ。そしてそれをため息をつきつつ見守るイーロン。


「――イーロン。それで状況の方は?」

「はい、今のところ全てが順調に回っております。ユリアナ様のご発案通りこのシタデル砦に拠点を構えたのは正解でした。少ない兵力ながらも十分に叫ぶものスクリーマーたちの侵入を防いでおります。これならば援軍が到着するまで持ち堪えられるかと……」

「そうか……」


 ユリアナは階段の下に広がる大ホールを見渡した。

 ホールは今兵士たちで溢れかえっている。

 入り口で魔物モンスターの侵入を防ぐグループと、治療と休憩をするグループが一定時間ごとにローテーションをしているのだが、叫ぶものスクリーマーたちの列は一向に途切れることなく、兵士たちの疲労が時間を負うごとに蓄積しているのが手に取るようにわかる。


 そしてホールのほぼ中央に鎮座して威容を放っている巨大な太鼓。

 全長四メートル直径二メートルの太鼓は数秒おきに叩かれては、重低音の音色をホール全体に響かせている。

 その音のせいで兵士たちの休息もままならずストレスを感じているのは明白だ。


 しかしユリアナを始めとするこの砦にいる全ての者のなかで、その耳に突き刺さる音色に対して文句や不平を垂れる者は誰一人としていなかった。

 それがここに居る全ての者の命を守ってくれていると同時に、最終防衛線だと理解していたから。


 その巨大な太鼓は魔法具ワイズマテリアだった。

 魔太鼓と呼ばれる叫ぶものスクリーマー討伐用に開発されたもので、どの騎士団でも数年に一度発生する叫ぶものスクリーマー討伐用として一つや二つは用意してあるポピュラーな魔法具ワイズマテリアだ。


 太鼓が奏でる音色には二つの効果があり、一つが統率がなくバラバラに散ってしまう叫ぶものスクリーマーを一箇所に誘き寄せること。その為効率よく討伐ができる。

 そしてもう一つが魔法が使える上位種になると、叫ぶものスクリーマーの叫び声には精神錯乱を引き起こす魔法効果が含まれてくるのだが、この太鼓の音色にはそれを打ち消す効果があった。

 だからホール全体に響く太鼓の音色は耳障りではあるが、それが同時に外から聞こえてくる死者たちの怨念のこもった叫び声を打ち消してくれているので文句などある筈がない。


「それで王宮からの返信は……?」

「それは……まだです……」

「そうか。しかし食料はまだ三日分はある。それまでにはなんとか……!」


 ホールを見渡しているユリアナの紅い双眸が一瞬だけ揺らいだが、辛うじて輝きはまだ消えていない。十八の少女が背負うにしては重すぎる責任と重圧だったが、ユリアナの華奢な体はまだそれに耐えていた。

 イーロンやテルマに気取られぬよう必死に、懸命に。


 このシタデル砦での拠点防衛を思いついたのはユリアナ自身だった。

 サウザンドロル領からの支援要請を受けて草原地帯に辿り着いてすぐに叫ぶものスクリーマーの集団と遭遇。

 本来ならば個々が勝手に活動しているところを、兵士が数人掛りで取り囲んで各個撃破していくのが常だったが、今回の叫ぶものスクリーマーたちは少し違っていた。

 まるで軍隊のように集団で行動しており、明らかに指揮系統が存在する動きを見せていたのだ。


 最初に遭遇した叫ぶものスクリーマーは十人程度の集団だったが、いつの間にかどこからか表れた援軍が加わってきて、気がついた時には騎士団の三割を失うことに。

 草原地帯を突っ切ってサウザンドロル領騎士団と合流は出来たものの、ここでも叫ぶものスクリーマーは小隊単位で活動しており、その各小隊による昼夜問わずの波状攻撃により両騎士団ともに疲弊していくばかりだった。


 その時に伝書蝶の第一報は出している。その後のシタデル砦に辿り着くまでの戦闘で残りの伝書蝶は失ってしまっていたが、昨日このシタデル砦に辿り着いたときに砦で飼育していた伝書蝶を王宮へ放つことが出来、無事である報せと再度の援軍の要請をしてある。


(最初の援軍は既にサウザンドロルへ到着しているころ。二度目の伝書蝶を受け取った王室がその第一陣に連絡をつけてくれさえすれば、すぐにでもこの砦に向かってくれるはず……!)


 ユリアナはぎゅっと下唇を噛んだ。

 もしその援軍も叫ぶものスクリーマーに襲われていたら、という考えが脳裏を横切ったからだ。

 しかし今は悪い方へ考えるべきではない。

 王宮にはまだイーロンやテルマと並ぶ騎士も魔法使いも大勢いる。今回は自分たちが特に優れていたから生き延びている訳ではないと、自分自身に強く言い聞かせる。


 それにしても今回イーロンとテルマは本当によく頑張ってくれた、とユリアナは心から感謝していた。

 イーロンはその剣の腕前で襲い掛かってくる叫ぶものスクリーマーを全く寄せ付けない鉄壁の盾となってくれていたし、テルマの土魔法に至っては八面六臂の大活躍だった。

 ある時は遁走する騎士団の周囲に土の壁を張り巡らせて敵を寄せ付けなかったり、行く手に横たわる河に急造の橋を掛けて渡河を迅速に行えるようにしてくれたりと、騎士団がシタデル砦へ辿りつけたのはテルマのお陰と言っていい。


 また砦に到着したらしたで、今度はトンネルを先細りさせて叫ぶものスクリーマーたちが一気に砦内へ雪崩れ込まないようにしてくれたり、外壁の人が通れそうな窓や空気穴を全て小さくなるまで塞いでくれたりと、テルマが居なかったらこのシタデル砦の拠点防衛は成り立たなかったと言っても過言ではないだろう。


(ほんとうにこの二人には感謝してもし尽くせない。ほんとうに私の大切で大事な仲間……。この二人が居てくれることがどれだけ頼もしいことか……)


 そう思ったユリアナの胸に小さな痛みが走った。

 理由は考えなくてもすぐにわかった。

 このシタデル砦に辿り着くまでの間に、一時だけ共に戦ってくれた若き兵士がいた。

 その若き兵士を最後に見た姿が脳裏に焼き付いている。

 彼は村に残された老人や子供たちのためにたった一人で残ると言い放った。

 その時の微塵の迷いも感じさせない清々しいほどの笑顔。

 彼を残してきたことに後悔がない訳ではない。

 彼の持つ不思議な火筒は十分に戦力になる。イーロンとテルマと共にこの騎士団で戦ってくれたならば、どれだけ心強かっただろうか。


 しかしユリアナはわかっている。胸の痛みはそればかりが原因ではないと。

 本当の胸の痛みは少年兵が教えてくれた言葉にある。その話の内容にある。

 少年兵は自分のことを違う世界からやって来た稀人マレビトだと言ったのだ。

 そして今回の叫ぶものスクリーマー大発生も、その稀人マレビトの仲間が引き起こしたと言う。


 少年が嘘をついていないことは、道中で見掛けた鉄で出来た奇妙な動く塔や、叫ぶものスクリーマーたちを指揮している少年と同じ衣服を身に纏った稀人マレビトの存在が証明している。

 それらをユリアナ自信がはっきりとその目で確認している。

 イーロンとテルマの二人がこれからもずっとユリアナの傍に居てくれるためには、この砦を取り囲む諸問題の背後に居る稀人マレビトたちを倒さなければいけないということだ。


「ユリアナ様どうされました? 顔色が優れませんが……」

「あ、ほんとだ! ユリアナ様疲れてるんだよ! 自分が添い寝するからお部屋に戻ろう! ね!? ね!?」

「だ、大丈夫だ……。それよりも稀人マレビトたちの動向に何か変化は……?」

「今のところは何も……。相変わらず小筒の一人がこの大群を指揮しているようで、ほかの稀人マレビトの姿は依然と消えたままです……」

「そうか。恐らく近隣の集落を襲って更に勢力を拡大しているのだろう。まったくおぞましく忌々しい化け物どもめ……」


 ユリアナたちは四人いる稀人マレビトを大筒と小筒一、二、三と名付けていた。

 このシタデル砦で篭城を始めた当初は稀人マレビトは四人揃っていたが、いつの間にか小筒一人だけを残して、残りの三人は姿を消していた。


 恐らく魔太鼓のせいで叫ぶものスクリーマーたちが稀人マレビトの指示に従わずに砦に釘付けにされてしまったために、一人だけを監視役に残して新たな軍勢を作りにいったと思われる。

 稀人マレビトには魔道具ワイズマテリア・魔太鼓が効果がないという事実はユリアナをひどく落胆させたが、それでも一万体は優に超える叫ぶものスクリーマーたちをこの地に足止め出来ていることは一縷の希望だった。


(稀人マレビトの新たな軍勢よりも援軍が先に到着してくれさえすれば活路は見出せる……)


 ユリアナは一層思いつめた表情になり、それに合わせて顔色も血の気が失われていく。

 その様子にテルマとイーロンが即座に気がついたのは流石と言うべきか。

 ユリアナがこの二人に絶大な信頼を寄せると同時に主従関係を超えた親愛の情を感じているのと同じように、またこの二人もユリアナにそうした感情を抱いているのであろう。


「あわわ、ユリアナ様ほんとうに少し休んだ方がいいよ!? ね!? ね!? そんなに無理しないで。自分やイーロンも居るんだから!」

「そうですユリアナ様! ここはテルマの言うとおり私たちにお任せください。さ、お部屋までお供しましょう」


 そうユリアナに詰め寄る二人の顔色もまた別の意味で優れない。まるで病気の母か姉を気遣う幼子のように見えなくもない。


「ふっ。まったくお前たちときたら……。雑兵の前では弁えるのではなかったのか? お前たちがそんなに取り乱していては兵の指揮は乱れてしまうぞ?」


 ユリアナはそう言って愛しそうに苦笑を浮かべる。


「だが、ここはお前たちの助言に素直に従うとしよう。少し部屋で休む。なにか変化があったら遠慮なく叩き起こしてくれ」

「――た、大変です! ほかの稀人マレビトたちが戻りました!」


 そう血相を変えて走ってきたのは見張りについていた兵士だった。

 ユリアナたちは弾かれたように駆け出すと、見張り窓が設置してある小部屋へ駆け込んだ。

 そして見張り窓の外に広がる光景を見てユリアナは言葉を失っていた――

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