掌編小説詰め合わせ
ささなみ
彼女の憂鬱
私は、男の子が隣にいる人生が想像できない。これまでいないのが普通だった。恋人がいないと寂しいと言う友人たちの気持ちも分からない。女の子はいつか男の子を好きになり結婚するという、当然の前提。私にはその前提が、ない。
「やだ、里穂? 久しぶりー」
受付を済ませてウェルカムボードをぼんやり眺めているところに、呼び声がかかった。声のほうに向きなおると、ピンクのワンピースを着た華やかな顔立ちの女性が、ロビーを横切ってくるところだった。
「明奈」
心の底から嬉しそうな笑顔を咲かせている彼女に微笑む。
「久しぶり。高校卒業してから年一でしか会ってないもんね」
「ほんとだよー。里穂が地方の大学行っちゃうからー。しかも大学出たら帰ってくると思ったのに帰ってこないし」
「んー、確かにね」
帰りたくなかったのだとも言えず、私は無難な相槌を打つ。
「もう会場入れるよ。行こう」
話題を変えたくて、会場の中へと明奈をうながした。
「ていうかさー。ななみが手塚とだよ。知らなかったよね? まだ一年しか付き合ってないらしいし。なんか私もやっとするんだけど」
席に着いた途端に声をひそめて言う明奈に答えられず、私は黙って自分の膝に目線を落とした。青いドレスが、膝に重たくまとわりつく。
高校時代、明奈とななみと私はずっと一緒だった。まるで息苦しい水槽の中の金魚のように、木と汗の臭いが混ざった埃っぽい教室の中に押し込められていた。好きな服を着ることも許されず、好きな人と手を繋いで帰ることも許されず。それでも私たちは、精一杯きらきらと泳いでいた。今より十五センチは短いスカートを、尾びれのようにひらめかせて。
「手塚が『植田が俺のこと好き』とか頭おかしいこと言い出した時はほんっとむかついたけどさ、まさかこうなるとは」
「うん……。思わなかったね」
片眉を上げて険しい顔で話す明奈に、半ば上の空で返事を返した。明奈が、真剣な時や怒りぎみの時に片方の眉毛を吊り上げるのは、高校時代から変わらない。私もきっと、自分では気づいていないだけで二人から見れば変わっていないのだろう。年末に三人で集まったときのななみも、高校時代のななみと何一つ変わっていなかった。
でも、あの子は。私は俯いた視界に青いシャンタンを映しながら、高校での日々に思いを馳せようとする。ななみは、高校時代は微塵も好きではなかった男の子に、一生を捧げようとしている。私たちの、知らないところで、彼女は変わっていく。
「あいつスカート短すぎじゃね?」
お弁当を食べたあと、教室の隅で喋っていた明奈と私のところに、手塚がニヤニヤしながらやってきた。
「あいつって?」
「植田だよ」
ななみのことだ。確かに彼女はスカート丈が短い。でも、それが一体どうしたんだろう。私はきょとんとして手塚の顔を見た。
「よくバスで隣になるんだけどさ、すんげえ見せつけてくるんだよ」
「何をよ」
明奈が、アーチ型に整えられた眉をきゅっと上げた。ちょっと機嫌が悪くなったときの彼女の癖だ。
「だからー、スカートん中だよ。困るんだよねー、そんなアピールされてもさ」
私はよく分からなかった。手塚は何を言ってるんだろう。首を傾けて明奈の顔を見ると、彼女は眉間に深いシワを寄せていた。
「アピールとか見せつけてくるとか何言ってんの? まじ意味不なんですけど」
「いやいやいや、もろパンツ見えそうなぐらい出してさー、どう考えても男誘ってる」
そうだよ、と他の男子も声を上げた。何だか胃のあたりが冷たかった。お昼ご飯に食べたサンドイッチは温かかったのに。
「パンツ見せつけることがアピールだと思ってるなら、女子のこと馬鹿にしすぎだから。その考え方やめたほうがいいよ」
明奈の呆れ声が、だんだん刺々しくなっていく。
「そもそもななみが手塚を好きっていうのを当然の前提にしてない? バスでたまたま隣になっただけでしょ、理解に苦しむわ。次は目が合ったから好きとか言い出すんでしょ」
ななみがスカートを短くするのは、ただ単にみんながそうしているから。男子の目なんか気にしてないと思う。男ウケより女ウケだよねって言ってたし、男子は全員うるさいしバカだから、彼氏もいらないって言ってた。
私だってそう。男子のことなんて全然考えてなかった。ただ単に、みんなと同じようにしてはしゃぎたいだけ。長いより短いほうが可愛いと思っただけ。それにどうせおばさんになったら足なんて出せなくなるもん。今のうちに出しとかなきゃ。それだけなのに。
「じゃあスカート長くしとけよ。たいして見たくもない足見せられて迷惑だわ」
「何それ」
絞り出した声が上擦った。男子たちがこっちを見る。小馬鹿にしたような顔。ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる顔。怪訝そうに眉をしかめる顔。
「何でそんなに上から目線なの? 人のスカート丈に口出しできるぐらい偉いの? じゃあお前らの腰パンはどうなの? 尻見せて誘ってんの?」
きもちわるい、と言った声が声にならなかった。
「明奈ごめん、私無理」
乱暴に立ち上がると椅子も元の位置に戻さず、教室を走り出た。
「何、あいつ」
背後で手塚の声と男子たちの笑い声、それに明奈が怒る声が聞こえた。歯を食いしばると、涙が出た。
廊下を走り回って、ななみを探した。職員室の前、食堂、テニスコート。中庭に出てやっと、梅の木の下に佇んでいる彼女を見つけた。
「ななみ!」
彼女は、私の呼ぶ声にゆっくりと振り返った。膝上十五センチのスカートから伸びる、すらっと引き締まった色白の足。きゅっと突き出た丸い膝小僧が、ほんのり赤みを帯びている。
「なにー、どうした」
「ななみ、」
上がった息を整えるのに必死な私を、ななみは笑いながら待ってくれる。
「どうしたの」
「手塚のことなんか、好きじゃないよね?」
「えー、当たり前じゃん。何で手塚?」
ゆるやかに弧を描く長い睫毛が、ゆっくりと上下に動く。
「ううん、私手塚あんま好きじゃないから。それだけ」
「何それー」
ななみがふんわりと包み込むように笑う。堪らずぎゅっと抱きついた。
「わ、わ。もー、ほんとにどうしたの?里穂」
私よりひと回り小さなななみの体からは、花の香りがした。私は何も言わず、そのカーディガンの袖からちょこんと覗く指先を握った。柔らかくて、あたたかい。
同じ服を着ているのに、ななみの制服は私の何倍も軽やかで綺麗に見える。
目をぱしぱしと瞬いた。ふうっ、と鼻から息を吐く。
「高校二年生の時に同じ教室で出会ったお二人は、すれ違ったまま大人へ。八年後の同窓会で偶然再会したお二人の距離はあっという間に縮まり、お付き合いが始まりました」
あれから、十年も経ったのだ。
私の視線の先で、ななみが柔らかく笑っている。ふんわりとホースヘアーの効いた、純白のドレス。ななみが軽やかに動くたび、三段になった裾が弾むように跳ねる。きっと私があれを着ても、ななみほど軽やかで綺麗には見えないだろう。やっぱり彼女はちっとも変わらない。
私は、彼女の横で勝ち誇ったように笑う手塚を見る。男子は全員うるさいしバカだから彼氏もいらない、と繰り返し言っていたななみは、いともたやすくその男子のものになってしまった。
「あーあ、私らももう二十七だもんねー。三十までには結婚したいって思ってたけど、もうギリギリじゃん」
明奈が頭を振りふり嘆いている。年末に結婚相談所で出会って付き合い始めたと言っていた彼氏とは、四ヶ月で別れたらしい。
「そうだね」
三十までに結婚したいと思ったことはなかったが、深く頷いて見せた。子どもは欲しいかもしれない。玉のような女の子。でもそのためには私もいつか、男の子のものにならないといけない。
新郎新婦が、順番にゲストのテーブルに回ってくる。天使のように真っ白な服をふわふわさせて、ななみが近づいてくる。同じ服を着ていても、私よりずっと可愛かったななみ。自由に選べるなら、私は迷わず手塚よりななみを選ぶのに。
「明奈、里穂。来てくれてありがとうー」
涼やかに通る声で、花嫁さんになったななみが言う。それがあまりにも美しくて、私はぽうっとしてしまう。
「おう、久しぶり」
隣の手塚がちょっと笑って言った。
「お前らには高校の時、何かガキみたいにひどいことも言ったと思うけど、ごめんな。ま、俺も若かったね」
白いタキシードをさらりと着こなした男は、何でもないように白い歯を見せて笑う。
「ななみには、ななみの好きな服を着て、好きなように生きていて欲しいんだ」
ぼうっと歪んだ視界の中、幸せそうな白い二人は去っていった。
今更、そんなこと言われても。
かつての呪いは、若さのせいになってするりと逃げた。私だけが、取り残されている。
「なーんか、何の因果関係も根拠もないことを当然の前提のように話しちゃう男のほうが、結局強いのかもね。罪悪感もないし、前に前にぐいぐい突き進んで事実にしちゃう」
二人の後ろ姿を見送りながら、明奈がため息をついた。
「そうだね」
私は声をあげて泣き出してしまいたかった。けれど、私はそうしなかった。ふと思い出したように明奈を見て、「今日何食べて帰る?」と聞いた。
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#リプでもらった台詞でお話を書く
「(名前A)が(名前B)を好きっていうのを当然の前提にしてない?バスでたまたま隣になっただけでしょ、理解に苦しむわ」
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