早良親王薨去

 桓武天皇は大伴竹良たちを処刑した日から寝込んでしまった。

 長岡宮で床に横たわったまま目を開けると、代わり映えのしない天井が見えてきた。

 三日も床に横たわっていると、日が経つのが分からなくなる。考えても分からないのは早良の動機だ。早良は遷都に反対で種継と衝突したが、兄のように慕っていた種継を殺して遷都を止めさせようと考えるだろうか。遷都は天皇の事業として進めているのであって、種継が行っているわけではない。種継を殺しても、他の誰かが造宮職に任じられるから、遷都を中止に追い込むことはできない。早良も長岡に遷ってきてからは反対しなかった。

 早良は幼い頃から心根が優しかった。花や小さい虫が好きで、魚釣りの餌に川虫を使うことさえ嫌がった。仏教に熱を入れたのも、衆生済度という教えに惹かれたからだ。近江に転戦したときには、『戦いに勝つも、喪礼を以て之にる』と戦の虚しさを教えてくれた。自分が即位するときに、父さんは早良を還俗させて皇太子にしたが、早良は自分を気遣って、『后を迎えず、安殿あてが大人になったら位を譲るよ』と約束してくれた。優しくて命の尊さを知っている早良が種継を殺したのか。

 だが、暗殺に関与した者が春宮坊に関係の関係者ばかりであれば、早良が種継暗殺に深く係わっていたのは事実だ。秋霜烈日。天皇の弟であっても罪を償わなければ、律令の規律や天皇の権威が保てない。種継暗殺の首謀者である早良を流罪で済ますことはできない。実の弟を殺さねばならないのか。

 早良のことを考えると、考えれば考えるほど分からなくなって、頭が痛くなるし熱も出てくる。

 桓武天皇は横たわったまま、御簾が上げられた戸口から外を見た。音もなく降る雨は、部屋の中に湿気を運んできて気持ちをさらに沈めてゆく。

 桓武天皇が目を閉じて寝ようと思ったとき、明信が転がり込んできた。

「早良親王様がお亡くなりになりました」

「早良が死んだ?」

 桓武天皇は思わず起き上がる。

「今日の昼に早良親王様が亡くなっているところが見つかったと清麻呂殿から知らせがありました」

「種継に続いて早良が死んだ? 一体何が起こったのか。早良は乙訓寺で清麻呂から取り調べを受けているはずだ。早良は殺されたのか」

 桓武天皇は明信の制止も聞かず、寝間着のまま馬に乗って乙訓寺に向かった。

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