長岡京建設

長岡京建設

 種継が遷都を進言した翌年の延暦二年(七八三年)十月十四日、桓武天皇は近習を連れ山背国やましろのくに長岡に鷹狩りに出た。

 巨椋池の北西に広がる長岡平野では、稲刈りが終わった後の田に、籾殻を焼く煙が何本も立ち上がっている。生駒山から下りてきた赤とんぼは優雅に長岡の空を泳ぎ、乾いたそよ風が心地よく頬を撫でてくれる。日は照っているが暑くない。

 野原には雉や兎がたくさん潜んでいるのか、風がなくても枯れた草が揺れている。籠に入れてきた鷹は、早く活躍したいとせわしなく動く。

 白馬に乗った桓武天皇は鷹匠から鷹を受け取った。

「宮に上がる前の若かった頃を思い出す」

「天皇様は鷹狩りをされていたのですか」

 馬の口を取る清麻呂が天皇を見上げながら尋ねてきた。

「朕は大和郷の出だ。子供の頃は早良と一緒に野山を馬で駆けていた。おかげで、百済王くだらのこにきし一族や、種継、明信とも知り合えた」

 天皇が馬を進めた場所から、一町ほどのところにある草むらが揺らいだ。

 天皇が、「行け!」と鷹を放つと、鷹は宙を滑るように飛んでゆき、驚いて飛び出てきた雉を仕留めた。

 午前中に鷹狩りで遊んだ後、桓武天皇は種継に案内されて向日むこう丘陵に登った。

 丘の上からは、巨椋池や鴨川や桂川、木津川といった大河川、班田制に基づいて四角に区切られた長岡平野の水田が一望できる。

「大和郷とはかなり趣が違う」

「俺は長岡で生まれ育ったから、とても懐かしい。長岡の山や川は子供の頃から変わっていない」

 桓武天皇の横に立った種継が答えると、早良親王や清麻呂たちも寄ってきて共に景色をながめた。

「きれいに班給された田地を見ていると、昔は天皇の権威が国の隅々まで届いていたのだと実感できる。昔の国司は開墾や灌漑に励み、戸籍を作って国内の政を行い、飢饉が起これば民を助けたという。しかし、今の国司は税を取るだけの役職になっている。税さえもまともに徴収できていない国司や、私財を蓄えることに精を出す国司も多い。朝廷や平城の都には澱が溜まってきた」

 桓武天皇が丘の先端まで進むと、丘に沿って登ってきた風に吹かれて髪や衣がなびいた。

 平野に広がる水田が、条坊制に基づいた都の区割りに見えてくる。

 父さんから皇位を受け継いで三年、皇太子の時代を含めれば十年以上にわたって政を聴いてきたが、国の立て直しは全くできていない。

 種継が言うように長岡遷都にはいくつかの利点がある。

 伝統氏族や民を平城の地から切り離せば民の意識は大きく変わる。官人を本貫の地から引き離して再び天皇の元に集めることができるし、山背国を拠点としている秦氏や百済王氏を重用すれば、藤原など伝統氏族の力を弱めることができる。遷都に際して寺院の移築を認めなければ、寺の発言力もなくすることができる。向日丘陵の上に内裏を建てれば、町からは内裏を仰ぎ見ることになり、朝廷の権威を目に見える形で示すことができる。

 長岡の土地は充分広く、向日丘陵から淀川まで朱雀大路を延ばせば立派な都になる。水運、陸運に優れているので諸国との連絡がよく、人や物の運搬や天皇の命令を伝えるのに都合がよい。河川が多いから平城京で問題だった水も解決でき、四神相応の土地でもある。

 早良の言うように、遷都には莫大な費用が掛かる。なによりも平城は日本の中心で大仏様に守られた土地だ。先人の苦労の上に築かれ、皆の心のふるさとになっている。だが、この考えこそ、自分が打ち破りたい澱でありしがらみなのだ。行き詰まってきた政を打開するには遷都しかない。

 種継に遷都を献策されてからずっと悩んできたが、長岡の地を実際に見て決断することができた。

「伝統氏族や寺院、寺院の利権を清算し人心を一新して、政を新しくするためには、遷都が適切と考える」

 即座に早良親王が噛みついてきた。

「兄さんは自分の言うことなど聞くつもりがないんだ。いつも種継とばかり話し合って自分は蚊帳の外だ。皇太子の自分はお呼びじゃない。鷹狩りにかこつけて遷都の宣言をするなんて、だまし討ちじゃないか」

「早良親王様はお控え下さい。天皇様も色々お悩みになった結果なのです」

「清麻呂と話しているんじゃない」

「大御心が定まったからには早良親王様も従うべきです。『心の忿いかりを絶ちおもての怒りを棄て、人のたがうを怒らざれ。かの人瞋いかるといえども、かえってわがあやまちを恐れよ。われひとり得たりと雖も、衆に従いて同じくおこなえ』と聖徳太子様もおっしゃっています。自分の考えに自信を持つことは大切ですが、考えを改める力も大切なのです」

「遷都をしても民が苦しむだけで国は良くならない。兄さんたちは、聖武天皇の過ちを繰り返すつもりなのか」

 早良親王は冷たい視線と、吹き上げてくる風にさらされた。

「長岡が好きならば、兄さんと種継だけが行けばよい」

 早良親王は馬に飛び乗り丘を駆け下りていってしまった。

 親王の後ろ姿を見送る桓武天皇に清麻呂が言う。

「早良親王様も天皇様と同じように国を立て直したいというお気持ちがあります。気持ちが強い分譲れなくなるものです。しかし、お二人は同じ思いを共有された実の兄弟であり、いずれ分かり合えると存じます」

 清麻呂の言うとおりになればよいが……。

「遷都については、平城宮に帰ってから朝議で決定する。種継は長岡遷都についてまとめよ」

 桓武天皇の命令に、種継と清麻呂が立て膝になって頭を下げた。

 延暦三年(七八四年)五月に桓武天皇は、早良親王を説得し、種継を造宮職ぞうぐうしきに任命して都の造営を始め、半年という短期間で、難波宮を長岡に移築して新宮とした。

 早良親王は遷都に同意したが、貴族の間には遷都への反対は根強くあり、桓武天皇は反対する勢力に有無を言わせないために、新宮ができると間を置かず平城から長岡に遷る。天皇が長岡に遷ってからも、内裏の建設、町の造営は続けられた。

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