第四章 道鏡の奸計

佐保川髑髏事件

佐保川髑髏事件

 藤原仲麻呂の乱から五年たった神護景雲三年(七六九年)五月、大学助だいがくのすけ(大学寮次官)として働いていた山部王は、上役の式部卿しきぶきょう(式部省長官)石上宅嗣いそのかみやかつぐから呼び出された。

「不破内親王様が天皇様を呪詛していると、お付きの侍女が訴え出てきた。山部王は内親王様の屋敷に出向き内親王様を連れてきて欲しい」

 不破内親王は称徳天皇の異母妹である。夫である塩焼王しおやきおうは藤原仲麻呂の乱の際に、仲麻呂に同行して近江で誅されたが、不破内親王は都に残ったために連座を免れていた。

 宅嗣様はいつもやっかい事を持ってくる。

 山部王は宅嗣に感づかれないよう溜め息をついた。

「侍女によれば、内親王様は天皇様の髪の毛を盗み出して、佐保川から拾ってきた髑髏の中に入れ、宮中にて三度のまじないを行ったという。実際に今年になってから天皇様の具合が悪い。道鏡禅師は早くから天皇様の体調不良を呪詛によるものと見抜かれ、自身の呪法によって呪詛の効力を打ち消していたが、呪詛を行っている者までは分からなかった。昨日になって侍女の訴えで犯人が分かった」

「本当に不破内親王様が天皇様を呪ったのでしょうか。お二人は異母姉妹の間柄ですが」

「不破内親王様は夫である塩焼王様が仲麻呂卿の乱の際に殺されたことを恨みに思い、塩焼王様の妹である忍坂女王おしさかのひめみこ様、石田女王いしだのひめみこ様といっしょに塩焼王様の仇を討とうとした。天皇様を呪い殺した後に、息子の氷上川継ひかみのかわつぐを皇籍に復帰させ天皇にするつもりであったらしい」

「できすぎた話であると思うのですが」

 宅嗣は声を落とした。

「ここだけの話だが、天皇様は気に入らないという理由で道祖王ふなどおう様を廃太子した。仲麻呂卿や大炊天皇おおいてんのう様のように、最初はうまくいっていても、気に入らないことがあるとバッサリと切る。仲麻呂卿の乱の後に、道鏡禅師が付け入ってから歯止めが利かなくなり、天皇様の機嫌を損ねた者は身分にかかわらず遠ざけられている。称徳天皇様は異母妹である井上内親王様や不破内親王様と昔から仲が悪くて、結局のところ、気に入らないから宮中から追い出そうということだ」

「四年前の和気王わけおう様の時のように、仕組まれた誣告なのではないですか」

 天平神護元年(七六五年)八月、和気王が皇位を望んで謀反を企てているという告発があり、和気王は逮捕され、伊豆国へ流罪となる途中で殺されるという事件があった。皇位継承権を持つ和気王は、道鏡に濡れ衣をかぶせられて殺されたのだと噂されていた。

「氷上川継は新田部親王様の孫に当たりますが、父親の塩焼王様が謀反に関連しましたし、すでに臣籍降下していますので、皇位を継ぐことはできないと思うのですが。川継よりも不破内親王様の方に皇位継承の可能性がある。少しでも可能性がある者は潰しておこうと……」

「山部王は察しがよいが、思っていることは誰にもいうな。道鏡禅師や取り巻き連中に聞かれたら、お前も罰を受ける」

 山部王は溜め息をついて尋ねる。

「状況は理解できましたが、どうして自分が不破内親王様をお連れしなければならないのですか。自分は大学助、宅嗣様は式部卿です。衛士府に任せれば良いでしょう」

「仮にも不破内親王様は称徳天皇様の妹様だ。迎えに行くにはそれなりの格がいる」

「自分は従五位上になったばかりで格不足だと思われるのですが」

「山部王は皇族の一員で、不破内親王様の同母姉あねである井上内親王様は山部王の義母だ。さらに山部王は中衛府に勤めたことがあるから兵の気質も知っている」

 いい加減な理屈だ。誰も行きたがらない嫌な仕事を押しつけられるというわけだ。

「不破内親王様が陥れられるのならば、井上内親王様も危ないのでは」

「井上内親王様には白壁王様という後ろ盾があるから今のところは大丈夫だ。今のところだが。山部王も庶流とはいえ皇族であれば言動には十分注意せよ」

 称徳天皇様と道鏡禅師は皇位継承の可能性がある者を潰している。天皇様は本当に道鏡禅師を即位させようとしているのだ。

「『みことのりけては必ず謹め』という。行ってくれるな」

 宅嗣様は自分が聖徳太子に敬服していることを知っているから、嫌なところで聖徳太子を引っ張ってくる。

 不破内親王様がどんなお人か知らないが誣告であれば無罪だ。和気王様の二の舞にしてはいけないが、自分に何ができるのだろう。

「謹んで拝命します。不破内親王様を宮中へお迎えします。ただ、自分は内親王様が呪詛を行ったとは思えません。台閣の方々には本当に呪いの儀式が行われたのか、それとも、誣告であったのかしっかりと審議していただくようにお伝え下さい」

 宅嗣は「承知した」と言って、ほっとした表情を浮かべた。

 山部王は溜め息をつきながら、輿を用意するために部屋を出た。

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