下級でも俺の勇者であることに変わりはねぇ

五十嵐葉月

第1話『俺を助けてくれたのは小さな勇者様でした』

「お疲れした~~」


いつも通り簡単に同僚と別れの挨拶を交わし、いつも通りバイトに行って、いつも通り家に帰り、いつも通り酒を飲んで寝て、また翌日会社に出勤。

それが、そんなごく平凡で作業のようなサイクルが彼こと間藤翔まとうかけるという社畜の毎日だった。

彼は特別才能に恵まれているわけではなく、特別運動神経が良いわけでもなく、特別頭が良いわけでもなく、特別顔が良いわけでもなく、すごく何処にでもいる人間だった。

恋人いない歴=年齢。両親いない歴=社畜歴。

昔彼は借金を抱えた両親に逃げられて高校を中退し、何とかして会社に就職し花の社畜として今まで生きてきた。会社の給料では食費だけでなく今住まわせて貰ってる家の家賃さえも払えない為、会社が終わった後は急いでシフトを入れていた飲食店へのバイトへ走る。

それが彼の日常。

先程恋人いない歴=年齢と言ったが、彼は恋人を作れないのではなく作れないのだ。毎日明日を迎える為に必死に働いている翔には恋人なんて作る暇なんてあるわけがないし、恋人に貢ぐ金もない。だから作らない。

いや、それ以前に彼はもう他者に興味すらわかなくなっていたのかもしれない。

両親に捨てられ、面倒を見てくれる人はおろか、両親に捨てられた自分を責める人間ばかり見てきたのだから、興味を示さないのも当然と言えよう。


「ただいま~~」


誰も「おかえり」と返してくれない寂しい言葉が室内に反響して、そして消える。

翔はこの度に胸が締め付けられる。

誰かに迎えてほしい。誰かに甘えさせてほしい。それが今の翔の一番の望みだった。

翔は日々夢を見る。両親が自分を捨てる前、幸せそうに家族三人で食卓を囲んでいた日々を夢に見ては、毎日涙を流した。

歳は今年で二十三。もうよい歳の大人だが、翔とて人間だ。やはり支えてくれる人が誰もいないという現実は心に来るものがあった。

いつかそんな人が現れる。

そう信じて翔は毎日を生きている。けど、もうそんな希望も薄々消えかけていた。このまま生きていてもツラいだけだ。

たまらず零れ落ちた一滴の滴が熱されていたフライパンに落ちて蒸発する。そして次から次へとポタポタと落ちてはジュージューと蒸発する。


「助けて」


その言葉は無意識から出た物だった。

けどそう唱えた刹那━━━


「えっ?」


足元に穴が空いた。

すっとんきょうな声を出す翔だが、確かに彼の足裏は床を蹴っていない。明らかに空気だ。


「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!!?」


わけも分からないまま翔は穴を落ちていった。真っ暗闇の中を絶叫が木霊する。

何これ!?何これ何これ!?


「あっ、これ死んだ」


落ちながら翔は死を悟った。

とうとう死ぬのだと。そう悲しくなりながらも、やっと死ねるのかと、何処か安心している自分もいた。

叫ぶのを止め、瞼を閉じた。迫り来る死を覚悟した。

やがて闇は少しずつ晴れていき、辺りが黒から白に反転する。

落下時特有の浮遊感が消え、自分が何処かに寝転んでいると感じた翔は恐る恐る閉じていた瞼を開いた。


「えっ?」


彼が見たものは、天井でも人でも何でもない。

頭から湾曲した角を二本生やして荒く鼻息を出している牛に良く似た棍棒を持って自分を見下ろす巨大な何か。


『ゴォォォォォォォ!!』

「あっ、これ死んだ」


謎の何かが恐ろしい雄叫びを上げると同時に二度目の死を悟った。

この牛擬きはファンタジー漫画やゲームで俗にいう魔物というやつだろう。こんな物が実際に存在するのか。馬鹿げている。

内心鼻で笑うが、目の前にいる魔物から溢れんばかりに感じられる殺気を知ってしまってはそんな理論を簡単にぶち壊される。

魔物は右手に持っていた棍棒を振り上げる。翔は胸の前で両手を握って目を閉じた。さも「殺してください」とでも言っていると思えるような潔さだ。この潔さには流石に脱帽だ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


けど、そんな彼の潔さを無下にするかの如く、一筋の閃光が目の前を横切った。次に縦に一筋。合計二本の閃光が十字を描くように魔物に刻まれ、筋から赤い液体が噴き出して魔物は後ろに力無げに倒れた。

倒れた後ろに立っていたのは全長百六十はあるであろう大剣を片手で抱えた青髪の幼い少年。歳は多分自分よりも十歳くらい歳下。それほど幼く見える少年を前に翔は言葉がでなかった。


「お兄さん大丈夫?」


頬に付いた返り血を拭って少年は翔に優しく心配の言葉を投げた。

翔はわけも分からないまま首肯する。少年は「そっか」とはにかんで翔の手を取って立たせようとする。

だが翔は色んな事が一度に起こりすぎて困惑して腰を抜かしているようだった。

子供に何とも情けない姿を見せてしまったと恥ずかしく思うが少年はそんな事少しも気にした素振りを見せずに、大剣を何処かに、本当に何処にしまったのか分からないが大剣のシルエットを消してから翔をその小さな背中に背負った。


「取り敢えずここから出よっか」


少年は翔を背負ったままヒョイヒョイと洞窟の中を進んでいく。翔は今もまだ困惑状態だった。


「お兄さんも災難だったね~。まさかケンタウロスに出くわしちゃうとは。無事でよかったよ~」

「け、ケンタウロス?」

「知らないの?」

「お、俺、ここ、初めてで………てか、ここ何処?」

「……………この話は家でゆっくりしよっか。お兄さん名前は?僕はシャルル。シャルル・セリライト」

「俺は、間藤まとう……かける………」

「カケルかぁ~。じゃあカケル兄って呼ぶね♪よろしく♪」


いきなり兄呼ばわりされて若干驚いたが不思議と悪い気はせず、翔は訂正を要求しなかった。

シャルル・セリライト。青髪短髪の元気な男の子。歳は恐らく十三歳あたりで、結構人懐っこい。誰にでも気さくで優しく、気取ることのない心の広い子供。

そう翔の中で提示された。

だがやはり気になるのは今の自分の置かれている状況とシャルルが持っていた大剣とそれを消す力。

鈍感な翔だが、流石に自分が今まで住んでいた場所とは明らかにかけ離れた別の場所に来てしまったことくらいは分かった。

他にもシャルルに色々聞きたいことはあるが、彼の背中の上は妙に安心感があり、そのせいで睡魔が翔を襲ってきた。翔は睡魔に抗うことをせず、目を閉じて夢の中へと落ちていった━━━。





眩しい。

目覚め一番がそれだった。翔は重たい体を起こして辺りを見回した。主に木材で形成された壁や床。仄かに香る木材の匂いが翔のぼやけた脳を優しく覚醒させていく。


「何処だ………ここ……」


完全に意識がクリアになった翔は今の状況を冷静に整理していく。

一つ。いつも通り会社を終えて帰宅し、夜食を作っていたところ足元に謎の穴が出現。

二つ。落ちたと思ったら目の前に怪物がいて殺されそうになった。

三つ。青髪の少年が助けてくれて背負われて何処かに向かっていた。

四つ。目が覚めると知らない部屋のベッドで寝ていた。


「無理。わからん」


両手を上げてお手上げと首を振るが実際は翔自身も気づいていた。

自分は漫画等でよくある異世界転生をしてしまったのだと。

まさか自分がそんな目にあうなんて今まで考えたことも無かったが、ここまでリアリティーに体験しちゃあ否定はしたくても出来ない。


「取り敢えず誰かにあって色々聞かなきゃ」


一番優先なのはここが何処なのか知ることだ。少年と話したとき言語は通じていたから会話は出来るだろう。ついでに少年に助けてくれたお礼も言わなくてはな。

ベッドを降りて五メートル先にあった扉のドアノブに手を掛ける。するとドアノブが独りでに回転して翔が開けるより先に開いた。


「「あっ」」


あの時の青髪の少年と目があった。


「えっと、君は確かシャルル━━」

「良かった!やっと起きたんだね!」


安堵の息を吐くシャルルの言葉に微量の違和感を覚えた翔。


「『やっと』?」

「うん。カケル兄は三日間も寝てたんだ。起きてくれて良かったよ。死んじゃったのかと何度不安になったことか」

「三日!?」


道理で空腹がヤバいわけだ。

ぐ~とだらしなく音を鳴らす腹を擦る。するとシャルルはクスクスと笑って翔の手を引いてリビングへと案内する。

翔は引っ張られるまま着いていくとリビングには沢山の美味しそうな食事と綺麗なサファイア色の長髪を頭の後ろで結ったエプロン姿の美女がいた。

今まで見たことがない凄まじい美貌に翔はたじろぐ。

美女は翔を見てニコリと微笑んで腰を曲げた。


「おはようございます。翔様のことはシャルルから伺っております。わたくし、シャルルの母のテレサと申します」

「は、母親ぁ!?」


若過ぎる。姉妹と言われた方がまだしっくり来るぞ。

翔は信じられないとあんぐりと口が開きっ放しになる。その口を下からシャルルが小さな手でそっと閉じる。そんな二人のやり取りにテレサは微笑ましく眺めていた。

生まれも違い、血縁も一切ない筈の二人なのに端から見れば仲の良い兄弟にしか見えない。


「あの、年齢にそぐわない若々しさでございますね………」

「あら御上手ですね」

「いや、お世辞とかではなく本当に………」

「へへ~ん!僕のお母さんは世界一綺麗なんだよ!」

「こ~らシャルル。馬鹿なこと言わないの」


翔はシャルルの言葉が嘘とは思えなかった。

少なくとも自分がいた世界にはこんな綺麗な人はいなかった。世界三大美女と呼ばれた『クレオパトラ』『楊貴妃』『小野小町』なんて比にならない。彼女が人妻でなければ確実に惚れていた。これがこの世界ではデフォなのか?

翔はあまりのレベルの高さに気が遠くなりそうだった。


「取り敢えず空腹でしょうし早く食卓に着かれてはどうですか?」

「えっ!?よろしいんですか!?」


まさかあの旨そうな食事に自分もありつけるとは思っていなかった翔はつい聞き返してしまった。

しかしテレサは気を悪くしたような感じもなく「勿論です」と頷いた。

翔は心から感謝して用意された椅子に腰を下ろした。同じようにテレサも他の椅子に座り、シャルルに至ってはわざわざ椅子を翔の隣まで運んで座った。


「では頂きましょう」


テレサが合図すると三人で手を合わせて「いただきます」と食前の儀式を行った。

こういう文化もどうやら翔の世界と同じのようだ。

翔はスプーンを手に取り、クリーム色のスープを口に含んだ。

口内全体に優しい温もりと甘味がぶわっと広がる。

旨い。『ほっぺが落ちそう』という文句があるがそれを明らかに凌駕している。

空腹もあり、翔は飛び付くように他の皿にも手を伸ばした。肉や魚、サラダにパン。その全てが翔には言葉に出来ない程美味であり、自然と頬が緩む。

そして━━━


「…………あれ?」


涙が流れた。


「あれ?何で?あれ?」

「カケル兄どうしたの?」

「お口に合いませんでしたか?」

「ち、違うんです!!凄く美味しいです!!何か、感極まっちゃって………」


涙を拭うが全く止まってくれない。

翔にとって、誰かに食事を振る舞って貰うのも、誰かと一緒に食事をするのも凄く久し振りだった。最後に誰かと食べたのは両親が消える前日。両親と一緒に食卓を囲んだ思い出が呼び起こされて恋しくなった。

更に見ず知らずの自分に臆することなく気さくに接してくれた二人の優しさに触れて、もう我慢が出来なくなったのだ。


「すいません………折角の食事に…………」

「いいんですよ」

「そうだよカケル兄。今は沢山泣いていいよ。僕が慰めてあげる!」


よしよしと涙を流す翔の頭を撫でるシャルルにまた感動してしまい、翔の涙は更に増すばかりだ。

止まっていた筈の翔の中の歯車はこの時にやっと正常に回りだしたのだ。




◆◆◆


涙も止まり、三人で仲良く談笑しながら食事の続きをしていると扉が急に開いた。

入ってきたのは竹っぽい植物で作られた篭を背負った二本足で立つ事が出来る茶トラ猫。


「お?」

「うニャッ?」


翔と猫はお互いを見ては首を傾げる。するとシャルルが立ち上がり、猫を抱き上げてふわふわな猫顔にプニプニほっぺを擦り合わせた。


「ケットシー!おかえり~!山菜採りお疲れ様~!」

「ニャ~~」


ケットシーと呼ばれた猫が背負っていた篭の中には確かに山菜と判断できそうな植物が山盛りだった。かろうじて判断できたのはキノコ。あれのシルエットは何処の世界に行っても共通なようだ。


「わ~!たくさん入ってる!ありがとうね!」

「本当ですね。これだけあれば暫くは困らなさそうです。お疲れ様でした」

「ニャニャ!!」


ケットシーは翔を指差す。どうやら翔が誰なのか聞きたいようだ。

シャルルはケットシーを下ろし、テレサは山菜の入った篭を受け取って翔の紹介を始めた。


「彼は間藤翔さんです。三日前、シャルルが迷宮に行っている時に倒れていたのを見つけたそうです」

「もしかしたら行き倒れなのかな?って思って一先ず連れて帰って来たんだ」

「ニャ~」


なるほど。と何度か頷いたケットシーはてこてこと翔に歩み寄る。翔は膝を曲げてケットシーと目線を合わせる。

クルリとした愛くるしい瞳。キュっと伸びた髭。ピョコピョコと動く耳。くにゃりくにゃりとゆっくり揺れる尻尾から視線を目の前にやるとやはり違和感のある二足歩行。

この時翔は思った。

いやこれ完全にア◯ル━………。


「それ以上言うと喉元かっ切るニャ」

「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!」

「喋るに決まってるのニャ」


翔は尻餅をついてケットシーから離れる。二足歩行の時点でおかしいとは思っていたがまさか喋れるとは。

ここで翔はふと思い出した。

ケットシー。ファンタジーなどでよく聞く名前。彼らは猫の姿をしていながらも人のように振る舞い、言葉もちゃんと喋れるという。

やはりこの猫もそれと同じなのだろう。まさか実際に見ることが出来るとは思わなかった。

意識が驚愕から興味に変わると翔はケットシーに近づいて四方八方から観察を始めた。

ケットシーは最初こそは大人しく観察対象になっていたが時間が経つに連れて観察対象にされているのことが嫌になってきたのか、目の前に戻ってきた翔の額に猫パンチを一発。


「もう止めるのニャ」

「すいません………」


謝るが額から感じる柔らかい肉球の感触に翔は心が癒される思いをしていた。そうとも知らずにケットシーは肉球の右ストレートと左ジャブのコンビネーションを繰り出す。

翔は猫好きではないが、目の前でこんな愛くるしい姿を見せられては猫好きにジョブチェンジしそうな勢いだ。


「えっと取り敢えず自己紹介。俺は間藤翔。シャルルに助けられて今は少しだけご厄介になってるんだ」

「あてはケットシーだニャ」

「それは種族名だろ?」

「そうだけどそれでいいのニャ」


シャルルに説明を求めるよう視線を送る翔。シャルルはケットシーの頭を撫でて話し出す。


「ケットシーはカケル兄と一緒で、迷宮で倒れているところを僕が助けたんだ。その日からケットシーは僕達の家族なんだけど、何でかこの子は『助けられた上に名前まで貰えないニャ!ケットシーでいいニャ!!』って聞かないんだよ。だから僕達はケットシーって呼んでるんだ」

「あては本来使い魔として扱われる存在ニャ。なのに姫達はあてを家族として扱ってくれるのニャ。こんな贅沢な思いはないニャ。それだけで十分なのニャ。だからあては名前なんていらないニャ。あてのような居候の身の呼び名なんて種族名で十分ニャ」

「なるほどな~。っで、姫って何?」

「それは僕の事だよ」

「シャルルの?」

「ケットシーはね、主人と認めた人を男女問わず『姫』って呼ぶようにしてるらしいんだ」

「それで姫か」


翔はじっとシャルルを見た。翔の脳内にはスカートを履いたシャルルがイメージされていた。


「…………悪くない」

「何が!?今変な事考えたでしょ!!」


満足そうに頷く翔にシャルルが突っ込みを入れる。

シャルルは幼いし、顔の作りも少女のようで少年のような中性的なので案外女装しても女の子にしか見えないのでは?

そんな結論に至った翔はシャルルに女装を求めてみたが勿論却下された。

名残惜しそうに俯く翔の顔をケットシーが突然掴んだ。


「どしたの?」

「……………今気づいたニャ。カケル、もしかしてかニャ?」

「「えっ!?」」


ケットシーの言葉にシャルルとテレサは声を上げた。翔は当たり前すぎる事を問われた真意が理解できずに困惑していた。


「ニンゲンってあのニンゲンですか!?」

「カケル兄、もしかして異世界人!?」

「人間か?って聞かれても、この世界にも人間いるだろう?」

「確かにカケルと同じような種族、人類種ヒューマニアはいるニャ。けど、カケル、つまりニンゲンと人類種には決定的な違いがあるニャ」

「決定的な違い?」

「魔力適正能力があるか無いかニャ。カケル、この世界に来るまでの過程をあて達に教えて欲しいのニャ。もしカケルが本当に異世界人、ニンゲンだとするとこのまま放っておくと少し厄介な事になるニャ」


ケットシーだけでなく、シャルルとテレサの二人も緊迫した表情だ。

ただならぬ雰囲気を悟った翔はこれまでの経緯を三人に話すことになった━━━。

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