第3話少年エルの人生の始まり

「うわっ!」


 目覚めると肌寒かった。

 よく見ると冬なのにTシャツで寝ていた。これはきっと自棄酒のせいに違いない。

 俺は、酔うと薄着になって寝る癖があった。幸いにして、今日はいつもよりは暖かい。風邪をひくことはなさそうだ。ほっとしながらも、俺は目覚ましの仕事もしてくれているスマホを手探りで探す。


 「スマホ……スマホ」


 随分とシーツのさわり心地が粗いな、と思った。それに目に入るもの一つ一つに違和感を感じる。


「ん……?」


 俺は、顔を上げた。

 そこは、見慣れた俺の部屋ではなかった。


 代わりにあったのは、壁紙もなにも張っていない木目調の可愛らしい部屋である。物は少ないが、パッチーワークのカーテンや布団カバーがカントリー調でいかにも手作り大好きなおばさんの部屋っぽいというか――とりあえず、二十代の男の部屋ではないという具合だった。パソコンや勉強机、ついでに本棚は綺麗さっぱりない。


「かっ、かっ、かっ、かーさん!!俺の部屋、なに勝手に改造しているの!!」


 俺は急いで、一階に下りて母親を呼ぶ。

 就職したら一人暮らしをする約束だったけど、いくらなんでも就職先が決まる前から部屋の改造は止めて欲しい。


「エル!ようやく目が覚めたのね!!」


 だが、一階にいたのは母親じゃなかった。

 俺と同年代ぐらいの若い女性だ。亜麻色の長い髪に、ロングスカート姿。そのスカートが汚れないように前掛けをしていて、おっとりとした雰囲気の女性であった。なんというか、全体に古臭い服装な気がしないでもない。


「まったく、聖者様のところに勝手に忍び込むなんてだめじゃない。許していただいたからいいけど」


「あっ、えっと……」


 姉さん、という情報が俺の頭のなかにある。

 だが、間違いなく俺とこの人は初対面である。


「エル、大丈夫なのか!」


 男の人が、俺に声をかけてくる。

 金髪で背が高くて、やっぱり俺と同世代ぐらいの人だ。あれ……俺と同世代のわりには、二人ともやたらと背が大きいような。まさか――俺。


「男の子がやんちゃなのが仕方がないが、たった一人の姉さんを困らせるんじゃないぞ」


 男の人は、ぽんと俺の頭をなでる。

 わけが分からなくなって「わぁぁぁ!!」と叫びながら、俺は自分が目覚めた部屋に戻った。女性は俺を引きとめようとしたが、男性がそれを止めた。


「ちょっと、エル!!」


「リーザ、放っておいてあげなよ。さっき見ていたけど、エルの奴は君の母親を間違えていただろう。まだ、両親を失ったショックから立ち直れないんだ」


 声が聞こえたから心配されているのは分かるが、俺は混乱していた。なにせ、何が起こっているのかがぜんぜんわからないのだ。


「おちつけ、俺には弟はいたが姉はいないはずだ……」


 だが、俺の記憶のなかに年の離れた姉がいる記憶もしっかりとある。自覚はまったくないのだが――。

 俺は、窓からそっと外を覗いていた。

 だが、外を覗くより前に移りこんだ自分の姿に愕然とする。

 姉と呼んだ女の人と同じ栗色の髪に、大きな茶色い瞳。健康的に日焼けした肌。俺の姿は十歳前後の子供のものになっていた。


「なっ、なんだよ」


 外の様子も、あきれかに俺の知っている風景ではない。

 俺は下町風情が残る都内で産まれて、俺の部屋からはコンクリートの道路が見えていたはずである。だが、今見えている風景は俺の部屋から見える景色ではない。それどころか、現代の景色とも思えなかった。

 周囲を森で囲まれた、小さな村。井戸や畑や家畜の姿が見える風景など俺は知らない・・・…知らないはずなのに、何故か記憶にはあるのだ。


「えっと俺は、金田純一……でも、ここではエルと呼ばれてたよな?」


 落ち着いて、考えてみる。

 俺のなかには、大学生のときに死んだと思われる純一の記憶がある。こちらの記憶には実感があり、俺の自意識はあくまで大学生・金田純一だ。ためしに、大学で割り振られている学生証の番号を言ってみるとスラスラと口から出てきた。いや、学生証もスマホもないから確かめようがないのだが。


 もう一つの記憶。


 まったく自覚はないが、エルという少年の記憶も俺の中にあるのだ。この世界で、今まで生きてきたのは恐らくはエルだ。といっても、エルはこの村の出身ではなくて、一年前まで王都に住んでいた。だが、両親を流行り病でなくして、この村に嫁いでいった姉を頼って生活しているはずだった。


「そうだ、日記!」


 王都に住んでいた俺は、比較的恵まれた教育環境にいた。

 文字が書けるし、読める。

 その特技を生かして、俺というかエルは夢にみたことを日記に書いていたのだ。


「おい……エル。おまえ、金田純一の人生の夢を見てたのかよ」


 呆然とした。

 今までエルが見ていた夢は、金田純一の人生そのものだった。あきらかに夢と思われる記述(竜となって、空から大地を見るような)もあったが、それ以外は俺の人生だ。


「つ――」


 俺は、頭を抱えた。

 可能性は、何個か考えられる。一番ありうるのが、エルという人格が金田純一という人生を想像で作って、自分がそうであると思い込んでいる可能性である。

 だが、十歳前後の子供が大学生までの現代人の記録を日記にかいて、思い込むというのは飛躍が過ぎると思う。

 もう一つが、俺の魂が記憶を持った状態で転生してしまったというオカルトじみた可能性だ。だが、窓から見たかぎり人々の生活は中世ヨーロッパ風だ。文明が衰退して、生活が中世まで戻るという未来なのだろうか。


「エル。ちょっと、エル!」


 姉さんが、部屋のドアを叩く。

 俺は、ドキっとした。

 とりあえず、今はエルという少年になりすましていたほうがいいだろう。いや、なりすますもなにも俺はエル本人なのだが。幸いにも、実感はないがエルの記憶は俺の中にもあるのだ――何とかなるだろう。


「あっ……ごめんね。姉さん、驚かせて」


 ドアを開けると、姉の目に涙が見えた。

 その涙に、俺はどきりとする。

 罪悪感でだった。


「まったく。心配かけないでよね」


 姉さんは、ぎゅっと俺を抱きしめる。


 ――そうだった。


 姉さんは、両親の死に目に会えなかったのだ。エルの親は嫁いだ娘に心配をかけまいと、本当にギリギリまで自分たちの具合についての手紙を書かなかった。姉さんが、手紙を握り締めて王都に戻ったときにはもう――両親二人の埋葬も葬式も終わってしまっていた。

 両親が最後の力を振り絞って手紙を書いたのは、俺のためだっただろう。

 そして、姉さんは自分の見えないところで身内が死ぬ恐怖にまだ打ち勝てていない。


「ねえさん、ごめんなさい」


 金田純一の母親や父親、弟もエルの姉さんのように心に傷を負ったのだろうか。

 だとしたら、俺は取り返しの付かないことをやってしまった。

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