5:19「揺らぐ想い、固める決意」

「いやはや、本当によかった……我はこの辺りでお暇するとしよう」

「ああ、ありがとうグリーゲルさん。マジで助かったぜ」

「たすかったぜー」

「はっはっは。気にするな英雄殿よ、グラドーランが無事であったのだ。我はそれだけで十分」

「そうか?」

「「…………」」


 グレィの無事を確認できたグリーゲルさんが、里へ帰ると俺たちに告げてきた。

 親父やののがそれに応答してみせるものの、俺とグレィは互いに顔を俯かせ、あらぬ方向を見つめている。


 軽く十分以上だろうか。

 俺たちは親父たちの目もくれず二人で抱き合っていたのだ。もう恥ずかしさのあまり顔を上げられない。

 ……思い出したらまた余計に恥ずかしくなってきた。


「グラドーラン、それからエルナさん」


 しかしそんなことなどお構いなしに、グリーゲルさんは俺たちをご指名のようだった。

 まだまだ全身火照りまくりでできればそっとしておいてほしいところなのだが、名指しされてしまっては仕方がない。

 失礼かもしれないが、少しばかり首を上げ、上目遣いでグリーゲルさんに視線を向けた。

 これにグリーゲルさん自身は何も言わず、それどころかコクリと頷いて話の続きを始める。

 大げさな反応をするわけでもなく、最小限に気遣いのされた首の動き。今はその寛大さが非常に身に染みる……それはもう、痛いくらいに。


「我が招いた自体で申し訳ないがな……先遣隊の件もあり、今そなたらが里に顔を出すのは少々不味かろう。また少し落ち着いた時、改めて来てもらえると助かる。その時は総出で歓迎しよう」

「は、はい……それはもう……ありがとう、ございます」

「う、うむ……」

「ふたりとも、お顔まっか」


 言われなくともわかってるよぉ……。

 とまあそれはそれとして、グリーゲルさんの言う事はごもっともだ。

 正当防衛であったとは言え、結果的に11人もの同胞を殺めることになった連中を、ずけずけと里に入れるわけにはいかないだろう。

 長であり王であるグリーゲルさんがそのあたりは上手くやってくれるはずだ。

 歓迎してくれると言うのであれば、その手に乗らない理由はあるまい。

 グレィだってその方がいいだろうし。


 俺とグレィの反応を目にした後。

 グリーゲルさんはニコリと微笑んで見せると、次に会えるのを楽しみにしていると残して去って行った。

 本当のところを言えば、俺たちも連れて帰り道をショートカットしたいところなのだが、グリーゲルさんはそこまでするだけの魔力量を持たないらしく、それは断念せざる負えなかった。

 人数が増えれば単純にその人数分の魔力を消費するのだとか。グリーゲルさんはミネルバまでを二往復で魔力がからっきしになってしまうらしい。

 竜族の王ともなれば、ほとんどの生物はその力においても劣るはずなのだが……平然と七人を連れて隣国まで飛んだシーナさんがいかにずば抜けた魔力を誇るかが垣間見えた瞬間だった。


(俺が覚えられたら、どのくらいまでできるんだろ……?)


 ふとそんなことも頭をよぎるが、同じくしてもっと大事なことが目に入ってくる。

 話を聞くために起き上がっていたグレィがふらりと体を前傾させ、その手で頭を抱え始めたのだ。

 顔色は特になんともなさそうなのだが、状況が状況だけに心配せずにはいられない。


「グレィ、大丈夫……?」

「ん、ああ。問題ない。少しふらついただけだ」


 にこりと、微笑みながら答える姿に、ただでさえ熱い頬に熱が加わってきた。

 咄嗟に目をそらして逃れたが、それと同時に、親父がグレィの肩を正面からぽんと押してやる。

 するとグレィの体は力なくベッドに倒れこみ、ベッドに腰かけた親父が口を開いた。


「病み上がりなんだ、あんまり無理すんなよ――つっても、またこれから五日は飛んでもらわにゃいかんのだが」

「問題ないと言っている。何ならすぐにでも発つことは可能だ」

「ダーメーだ。少なくとも今日は休んでろっての。そんなんでもし落ちでもしたら、今度は恵月の命がなくなるぞ? 明日の調子次第じゃ、馬車で帰ることも頭に置いとけ」

「ぐっ……そ、そうか……」

「お、俺も死ぬのは嫌かな……」

「だろ? んじゃ飯買ってくっから、大人しく待ってろよ」

「ののもいくー」


 グレィが目覚めるまでずっと閉じこもっていたから退屈したのだろう。

 親父の後を嬉々としてついて行くののを見送り、パタンと部屋のドアが閉められるのを待った。


 俺とグレィ、二人きりの空間ができあがった。


「「…………」」


 ……気まずい。

 グレィからしたら今までとさして変わらないような気もするので、多分俺だけだ。

 先ほどまでは辛うじて面と向かうことはできたものの、こうして二人きりにされるとどうしても意識してしまう。


 気が付いてしまった……彼への想いを。


 いつからだったのだろうと、火照る頭で記憶をさかのる。

 出会いこそ敵同士で、殺されかけた相手。

 それがひょんなことからウチにやってきて、今では俺の専属執事ということになって。

 思えばそれから……ネリアの町へ行っていた数日間を除けばほとんどの時間、グレィは俺の隣にいた。

 その間なのは間違いないと思うが、いつからかとなると……それに。


「お嬢」

「ふぇっ! な、にゃに!?」


 不意にグレィが話しかけてきて、俺は体を大きく跳ねさせてしまった。

 いや、実際はそこまで大げさなものではないのだが……気持ち的に。

 思い更けていた時に、その思い人から話しかけられてしまったのだから。それだけビックリしたということだ。


「これで、元の体に戻れるんだな」

「……うん」


 しかし次に聞こえてきた言葉に、俺は再び顔を俯かせる。


「でも……」

「念願だったのだろう? その割には元気がないじゃないか」

「元気……うん。そう、なのかも」


 グレィにこんな感情を抱いていたのはいつからだったのか……自分では明確に分からない。

 それに今となっては、関係のないことだ。

 元の体…臣稿おみわら 恵月えづきの体に戻るのだから。

 なのにそう、俺の心の中は元気なんてこれっぽっちもない。

 答えは簡単……気が付いてしまったからだ。


 念願の、元の体に戻るというこの願いが叶う。

 しかしそのタイミングで、一番気が付いてはいけない感情に気が付いてしまった。

 何よりも捨てがたく、大事な……でもこの場に限っては、絶対に見出してはいけない感情に。


「あの時と同じ顔だ」

「え?」

「今のお嬢は三週間前の、あの夜と同じ顔をしている。何か重要な事に悩んでいる顔だ」


 ……そのセリフ一つで胸が痛い。

 意識すればするほどに、この想いを打ち明けられないことが苦しくてたまらない。


 俺は一体どう在りたいのか。

 今に限って言えば、その答えはたった一つだ。

 この気持ちを伝えたい。

 種族が違おうと、対等な関係じゃ無かろうと構わない。

 好きだって、ずっと一緒に居たいって伝えたい。


 でもダメなんだ。

 もしこの気持ちに気付くのがもっと別のタイミングだったら、葛藤はあれどそちらを選んでいたかもしれない。

 でも今は、今だけは……俺にとって、元の体に戻るということは、それほどに大きすぎるものなんだ。


 エルナとしての、この世界で生まれ持った体を脱ぎ捨て、本来の自分に戻る。

 他の感情の何よりも、これだけはもう捨てられない。

 ……大勢の人に迷惑をかけたせいというのもあるかもしれない。

 命を奪った先に見出していたものを、おいそれと切り捨てるなんてありえないだろう。


 だがしかし。

 それならそれで、今は一つの希望にすがるしかない。

 戻った先にある――いや、あるかもしれない希望に。


「戻ったら、だせるのかな……答え」


 女のこの体から、男の体に戻る。

 そうすることで、本当の意味で自分がどう在りたいのかがわかるかもしれない。

 不安と葛藤に苛まれる日々から、本当の意味で解放されるかもしれない。


 もしかしたら……この感情を忘れられるかもしれない。

 もしかしたら――この感情を忘れてしまうかもしれない。


 男に戻ったら、今の体はどうなるのだろう。

 もう一度選択することができるのだろうか?

 昨日までは考えもしなかったことが頭を行ったり来たりする。


 本当に答えが出せるのだろうか?

 後悔したりしないだろうか?

 そんな不安もまとわりつく。


 目尻に涙が浮かび上がりそうになった時、ふと頭になにかが押し当てられた。


「出せるさ」

「っ――!」


 顔を上げてみると、優しく、でも微笑んではいない……少し顔を困らせたグレィの姿があった。

 押し当てられていたのは、そんな彼の右手だった。


「――などとは、気安く言わない方がいいのかもしれないがな。お嬢なら、きっと納得のいく答えが導き出せる」

「さ、流石に買いかぶりすぎじゃない……かな」

「そんなことないさ。お嬢は我の命を二度も救ってくれた。もっと、自分に自信を持っていい。我はお嬢が男に戻ろうとも、この命の限り付いて行くよ」


 俺に自信を持て。

 そう言ってきたときのグレィは、自信に満ちていた。

 そこまで肯定的に見られてしまうと、やっぱり買いかぶり過ぎだとは思ってしまうが、悪い気はしない。

 むしろ好きな人に自分を根から認めてもらえた気がして、本気で嬉しかった。

 でも……それはそれとして。


「……知ってたんだ」

「ああ」


 グレィには俺が元々男だとは告げていない。

 感づいているのではとは思っていたが、改めて言われると結構来るものがある。

 それでも付いてきてくれると言ってくれたのは、それ以上に嬉しくもあったけど……。


「男に付きまとわれるのは迷惑か?」

「いや……いいよ、グレィなら」

「そうか。ありがとう」


 最後にやさしく笑みを見せたグレィに、俺も僅かながらに笑って見せる。


 不安はぬぐえない。

 心の葛藤も、悩みも消えない。

 それでも今は、歩みを止めるわけにはいかない。

 それなら信じて突き進むしかない。

 グレィの言葉を聞いて、そう思った。

 絶対答えを出せると、そう信じてくれているグレィの信頼を、俺は裏切っちゃいけない。


 そう、間違ってない……絶対に。


 グレィの期待に応えるためにも、俺はこの道を突き進む。

 そう思えば、心が少しは楽になる気がした。


「うん、ちょっと元気出たかも――」

「……そうか」


 この時、最後に小さく「ありがとう」と言ったのは、きっと聞こえていなかっただろう。

 こうして俺は、元の体に戻ることへの新たな決意を固めたのだった。

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