Chapter4 〝心の在り処〟

4:1 「忌々しき事態」

 今日はセイの月55日。

 グレィさんとのの様がお屋敷に来てから、早一か月――60日が経過しようとしていました。

 ここ一週間ほどは朝食の下準備をグレィさんにお願いしていますが、彼は中々手先が器用です。認めたくありませんが、メイドを始めたころの私では手も足も出ないくらいには、仕事の呑み込みも早いですね。

 しかしだからと言って、私が現を抜かすわけにはいきません。私はいつものように洗濯を済ませ、郵便受けを確認しに足を運びます。


「いい天気です。そろそろ本格的に夏ですね……おや?」


 郵便受けに入っていたのは、少しばかり薄汚れた白封筒。

 赤い封蝋印ふうろういんの施された面を裏返し宛名を見てみると、確かにキョウスケ様宛であることがわかります。

 しかし、この差出人は……


「フレド孤児院のシスターマレン……ですか。また面倒事でなければいいのですが」



 * * * * * * * * * *



「…………」


 緊急事態だ。

 それも今まででも最大級の。

 エルフの里が燃えたとか、王都がドラゴンに襲われたとか、そんな事がどうでもよくなってくるくらいには緊急だ。

 もしこんなことが母さんにバレた日には……ああ、考えたくもない。


「お嬢遅いぞ、もう朝食の時間だ」

「も、もうちょっとだから!! ホントもうすぐ行くから! ね!?」

「……わかった」


 ヤバい、時間がない。

 いっそもうこのまま行くか……?

 でも擦れて痛いし……でもでも、痛いのはどっちも一緒か?

 だったら――


「サイズが合わないのね!?」

「ひゃぅっ!?」


 今、後ろから絶対聞きたくな声がした。

 どうか、お願いだから空耳であってほしい。

 いや、空耳であれ!!


 神にそんなことを願いながら、俺は恐る恐る後ろを向いてみる。

 やはり、まことに遺憾ではあるが空耳ではなかったようだ。

 俺の目の前には、ほぼゼロ距離でニコニコと笑顔を向けてくる母さんの姿が――


「うおぁ近ッ!?」

「あらあら」

「じゃなくて、なんでここに居るんだよ!!」

「エルちゃんが遅いから、何かあったのかなぁ~って そーしたらぁ――」

「いい! みなまで言うな!! いや、言わないでください!!」


 全くグレィのヤツ……門番さえできないとは、使えん執事め。

 こちとら着替え中だぞ!?


 ……とは言ったものの、大方母さんの言う通りだ。

 下着のサイズが完全に合わなくなった。

 実は結構前から感づいてはいたのだが、そっちの成長を認めたくなかった俺は放置を貫き……貫き通し過ぎた結果今に至る。

 自業自得だと罵りたければ罵るがいい。そんなの自分が一番わかってるもん。


「でもエルちゃん、目に見えておっきくなってるわよぉ? あとで一緒に新しいの買いに行きましょぉー♡!」

「い、いや俺は別に」

「だーめ!! このまま放っておいたら、それこそ体にも悪影響が出ちゃうわ。今はお母さんの貸してあげるから。ね♪」

「……イカナキャダメ?」

「だーめ」

「ドーシテモ?」

「だーめ! エルちゃん、あれからずっとおうちに籠りっぱなしでしょ?」

「うっ……」


 確かに五日ほど前、グレィの二回目の経過報告をした後から外出は許されていた。

 だが今それを言うか!

 卑怯な……断れないじゃないかぁ。


「わ、わかったよぉ……」

「じゃあ決まりね♪! お部屋に下着取り行ってくるから、ちょっと待っててねぇー」


 めちゃくちゃ嬉しそうに部屋から飛び出して行く母さんを見送り、俺は大きなため息を落とす。

 全く、今日は長い一日に……


「お嬢、もういいのか?」

「え?」

「――あ」

「……火弾!」

「おい!? やめいたッッ!!!」


 不用意に主の着替えを覗く執事はお仕置きである。

 ……本当、長い一日になりそうだ。




 * * * * * * * * * *



「うん、『G』ですね!」

「……ジー」

「じーです!」

「Gですって!」

「繰り返さんでよろしい!?」


 現在午前九時半。

 母さんから下着を借り、朝食を終えた後すぐに出発し……例によってアリィの店『すしや。ファメール北店』へ来ている。

 そして胸囲の採寸を終えたところである。


「しっかしまー以前お会いした時から思ってましたけど」

「な、何ですか……?」

「エルナちゃん、やっぱり育ってましたね!!」

「やかまっしぃ!!!」

「羨ましいですよコンチクショウ!!」


 ああ育ってましたとも。

 2カップアップですよ畜生がァ!!!


 まあ? 嫌な予感はしてたんだよ?

 母さんの借りてさ、なんか思ってたよりも大きく感じないと思ってたのよ。

 ブカブカまではいかないまでもさ、もうちょっと余裕あるんじゃないかなーと思ってたの。

 ホントにもう……このまま母さんくらい育ってしまうんじゃないだろうかと思うと末恐ろしい……。

 ちなみに母さんは『H』である。


「はぁ……あげれるもんならあげたいよ」

「りーちゃん、おっきくてもそんなにいい事ないわよぉー?」

「ヌっ」

「肩凝るし」

「走ると痛いしー」

「蒸れるし」

「下見えないしぃー」

「男共の視線は全部エロいし」

「あら、そーぉ?」

「母さんそこ自覚ないの!?」


 その無頓着さが羨ましいよホントに!

 まあ、俺は元男だから余計わかるし、別の要因もあるとは思うけど……。


「ぬぬぬぬ……いいですよ! 持たざる者の気持ちなどわかるわけないのです! ムキー!」

「あ、あれ!? アリィさん?」

「ふんっ」

「あらあら」


 しまった、流石に失言だったらしい。

 アリィはむくれっ面で腕を組み、完全にそっぽを向いてしまっている。

 尻尾もピンと立っていて……うん、これはこれで可愛い気がしてきた。

 獣人というのがとてもイイ感じにプラスに動いている。


 ……なんて考えてる場合ではなく。

 可愛いように見えるけど……完全に機嫌を損ねてますよこれは。

 こういう時ってどうすればいいの……?


 育ち柄、女の人の機嫌の取り方など俺は微塵も知らない。

 藁にも縋る……というのは少し変な話であるが、この手のことは母さんに頼らざる負えないのでそっと視線を向けてみる。

 すると


「ごめんねーりーちゃん、お詫びに今度美味しいスイーツのお店紹介するからー」

「お、お菓子で釣るのかそこ……」


 流石に子供じゃないんだから、そんなことで――。


「……が……です」

「ん?」

「……海がいいです」

「海?」


 海ってーと……海?

 Sea?

 Ocean?


「海水浴、行きましょう!」

「へ?」

「あら! いいわねそれー♪!!」

「決定です!」

「ファ!?」


 また急な……俺水着も持ってないんですけど!?

 ってあれ、なんかアリィの獣の如き眼光が俺の方に……あれ? 母さんも?

 やだ、嫌な予感しかしない!?


「エルナちゃんの水着は私にお任せください! とっておきをご用意しますよ!」

「じゃあ下着はわたしが選んでくるわね!」

「ちょっと!?」

「エルナちゃんは適当に服でも見ててください!」

「いやあのー!?」


 ダメだこれ!!!


 夏場に来てしまったのが運の尽きか。

 まだ出来立てほやほや、シーズン開始直後の水着コーナーにアリィが、下着コーナーには母さんが、双方ともに鼻息を荒くしながら突撃していく。


 ああ、どうしてこんなことに……いやまあ、この店にくると決まった時点でこうなるような気はしていた。

 妙なところで息の合う母さんとアリィは、この場がファッション店であることをいいことに、俺を着飾ろうと必死になるのだ……本当、勘弁してもらいたいところである。


 結局この日、俺は母さんが持ってきたGカップサイズの下着から『できるだけ』シンプルなものを選んだ。

 しかしアリィが選んだらしい水着は見せてもらえず、有無を言わさず「奢るから」と押し付けられた。とんでもないモンよこしやがったんだとしたら絶対返品してやる。


 後はついでに夏服用にと、こちらもできるだけ無地なブラウスとズボンを……買おうとしたら、なんだかフリルが目立つノースリーブのブラウスとチュニック、それからプリーツスカートも一緒に買わされました。





 ――しかしそれでも、この苦難はまだ終わらなかった。





「あぁ……こうして慣れていく自分が恐ろしい……」

「今まであんまり言わなかったけれど、エルちゃんもう少し気を遣った方がいいかなーって思ってたから~」

「余計なお世話じゃー!」


 いいし!

 籠るし!

 外出ないし!

 いざとなったら討伐隊の時みたいな冒険者の格好で行けば――


「そうも言ってられないわよぉ。お父さん、一応この世界じゃ偉い人じゃない?」

「……なんで親父の話が」

「お偉いさんは大変ですからねぇ。旦那の屋敷にはたまに貴族の来客もあるって聞きますし、失礼の無いようにって考えると、やっぱり身だしなみは大前提ですよ」

「なっ……」

「いざとなって着るものがないじゃ大変だものねぇ」

「うちはチェーン店ですが、私お手製の貴族御用達商品も少し置いてますので、その辺は抜かりないです!」

「な……な……」


 返す言葉が見つからねぇ……!!


 そういえばこの世界に転生してから来客とかなかったしな……そうか、曲がりなりにも親父はこの世界の英雄で、ファメール近郊の領主様。

 しかもこの国の王族とも深い親交があると来た。

 そんでもって? レーラ姫はファルの許嫁だろう?

 全然自覚なかったけど……ウチって今めっちゃいい家柄じゃん!?

 そんな家の人間がみすぼらしい恰好するわけいかないもんな、確かにそう思うわ!


「お……おぉぉ……」

「エルちゃん大丈夫?」

「俺、もうダメかもしんない……」

「あらあら……」

「あ、そういえばもう一つ気になってたのですが」


 何!?

 まだあるのん!?

 これ以上俺をいじめないで!!



「元々男の子なので仕方ないとは思いますが、人目を気にするなら外で『俺』と言うのも品がないと言われかねませんよ」

「―――!?」



「――――――――!?!?!?!?」




「―――――――――――――!?!?!?!?!?!?」




 やめてくれえええええええええええええ!!!!!

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