4:2 「メロディア先生の矯正教室」

 アリィの余計な言葉に軽く絶望しかけた俺だが、幸いその時・・・はそれ以上話が進展することはなかった。

 海水浴の日程に関しても、突発だったのでまた追々予定を立てるということに落ち着き、半ば逃げるように屋敷へと帰って来たのだ。

 帰ってきたのだが……。


「エルちゃん! 待ちなさぁーい!!」

「絶ッッッ対ッッッ嫌だあああああああああああああ!!!!」


 屋敷の中に俺の甲高い悲鳴が響き渡る。

 廊下を抜け、階段を飛び降り、1階の広間へと全速力で駆けていく。

 そんな俺の後ろを、真っ黒のスーツと赤ぶちメガネで先生風にキメた母さんが全速力で追いかけてくる。


 理由は簡単。

 母さんは俺の事を女性として矯正しようとしているのだ。

 絶望の続きは、あっという間に帰ってきていた。


「くそ! よりにもよってこんな時に貴族絡みの用事って、タイミング悪すぎだろ!!」




 そう、まさに最悪のタイミング。

 屋敷に帰ってきてすぐのこと、俺たちはまた親父に呼び出されたのだ。

 何でも今朝方、親父の元に1通の手紙が届いていたらしい。

 差出人は、ファメールの町から30分ほど歩いた先にある『フレド孤児院』のシスター、マレンさん。


 手紙の内容を要約すると、『孤児院の子たちが俺たちに会いたがっているので、どうにか時間を作ってもらえませんか』というものだ。

 なんでも『先のフォニルガルドラグーン討伐において英雄の一家が大活躍した』とのウワサが彼の孤児院にも届いていたらしく、隣町であるファメールに親父がいることを知っている子供たちが騒いで聞かないのだと。


 親父も丁度暇していてこの話には乗り気だったし、俺も断る理由はない。

 しかしそこで二つ返事でOKしてしまったのがまた悪手だった。


 子供と戯れに孤児院へ行く。それだけならまだよかったのだ。

 なんとシスターマレン、隣国『セレオーネ王国』の貴族の娘なんだそうな。

 そもそもなんでそんな人が隣国の孤児院でシスターなんぞやってるのかと甚だ疑問ではあるのだが……貴族が相手とあらばこちらも粗相を犯すわけにはいかないと、ここぞとばかりに母さんが張り切ってしまい、今に至るのである。




「……風さん」

「!? ふわぁッ!?」


 広間から一階の廊下に出たところへ、母さんの起こした風が俺の背中に優しく吹きかけてきた。

 全速力で走っていれば、少しの力でも簡単にバランスを崩しかねない。

 俺は一瞬体勢を崩しかけたが、どうにか踏ん張りを利かせて持ちこたえる。


「魔法使うのは卑怯だろお!!」

「今のエルちゃん、すっごく可愛かったわ……♡」


 ダメだ聞いてねえ!!


 そんな甘い声出して見とれるんならそのまま足も緩んでくれればいいものを、そっちの方は依然全速力のままだ。

 今の俺は母さんより基礎体力が低めなので、このままではそのうち捕まってしまうだろう。

 ルーイエの里で母さんには1度負けてるし、これ以上黒星を重ねたくもない。どうにかして策を練らなければ……


「……!」


 思考を巡らせようとした矢先、10メートルほど先の部屋から小さな人影が廊下に出てきた。

 俺の腰より少し上くらいの身長をしたソレはそう――。


「のの!?」

「……えるにゃん」

「危ない!! ぶつか――」

「そぉーーい」



 ―――ドッッッ!!



「ぐっほぁ!?」


 ののが急に繰り出してきた強烈なタックルに、俺はあっさりと後転しましたとさ。

 俺の体が軽いのではない……この天才児、力が強すぎるのだ。

 むしろ俺の体は育ってきた胸の分重みが――てそんな事考えてる場合か!?


「はーい、捕まえたわよーエルちゃん♡」

「げっ!」

「ののとめろにゃんの、コンビネーション」

「のーのちゃんには、後で約束通りアメちゃん持ってきてあげるからねぇー♪」

「わぁーい」

「き、汚ねぇ……」


 母さんのヤツ、ののを買収してやがった!!


 ……いや、ののがここで待ち伏せていたということは、そもそも俺がこの場に誘い込まれたということを意味する。

 結局のところ、最初から母さんのシナリオ通りだったということだ。

 どうあがいても俺の負けが見えていたのだろう。

 やっぱり敵わない……悔しいが、母は強しとはよく言ったものである。


「……ちくしょぉ……」

「えるにゃん、よしよし」

「ののぉ、やめてくれぇ……そのよしよしは俺に効く……」


 卑怯だろうが何だろうが負けは負け。

 何もこれだけで心まで女に染まるわけじゃない。

 目尻に浮かび上がる水気をじっと耐えながら、俺はひとつ覚悟を決めたのでした。




 * * * * * * * * * *




 覚悟を決めた俺は、母さんの部屋で特訓を受けることになった。

 そこに向かい合うように椅子を並べて、母さんが面接でもするような形で俺の姿勢を見ている。

 見ているのだが……


「……エルちゃん」

「な……何?」

「合格よ!」

「………………は?」

「非の打ち所のない可愛さだわぁ♡」

「言ってる意味が分かりません!?」


 まだ何も始まってないんですが!?


「だってほらぁ、鏡見てみてぇ~」


 母さんはそう言いながら、椅子と椅子の間に姿見を持って来る。

 無論、そこに映し出されるのは腰かける俺の姿だ。

 ……しかしそこに居たのは、内股の膝の上に両手を乗せ、背もたれに深々と腰掛ける可憐な美少女。

 本来なら足は膝とくるぶしを揃え、両手は広げて膝の上……なのだろうが、母さんが即合格と言ったワケはおそらくそこではない。


 鏡に映る俺の姿勢からは、男の気など微塵も感じなかったのだ……。


「え……あれ……お、俺……ぇ……!?!?」


 完全に自然体でその姿勢をとっていたことに動揺を隠せない俺は、逃げるようにして目を逸らしてしまう。

 そして少し意識して股を開いてみる。

 が……


「……~~~~っ」


 どうにも落ち着かず、すぐに元の内股に戻してしまった。 

 骨格が変わったせいだ、俺は何も悪くないと必死に自分に言い聞かせるが、やっぱりショックが大きく誤魔化しきれそうにない。


 初っ端からかなりの精神的ダメージを負ってしまった俺を見かねてか、姿見をもとの位置に戻した母さんがそっと寄り添ってくる。


「だ、大丈夫?」

「う……うぅぅ……ま……」

「ま?」

「……まだ、大丈夫……続けて……!」


 いや、正直めちゃくちゃツライ。

 ツライけど……こんな初っ端で挫けたらそれこそ男が廃る。

 一度覚悟を決めたのだ、最後までやり切ってこそ尊厳が保たれるというものだろう!

 男に二言はないのだ!!


「そぉ? じゃあお作法とかはまた今度にして……簡単なところから行きましょうか」

「! ……う、うん」


 簡単なところときいて、ほんの少しだけ気が楽になった気がした。


「この場だけでいいから、『私』って言ってみて!」

「わたっ……!」

「?」

「ゎ……わた、し」


 気がしただけだった。

 いやでも、それでもさっきよりは抵抗が少ない。

 元々これだけは避けられないところだと分かっていたからだろうか。

 それにさっきは完全に不意打ちだったから、余計にショックだったのか……?


 そう考えてみると、今度は確かに気が楽になっていくのが分かった。

 まるでゲリラ豪雨が過ぎ去った後のような、そんな清々しささえも感じる。

 うん、なんだか出来る気がしてきたぞ。


「うんうん♪ じゃあ次のステップね~『私の名前はエルナです』 はいっ」

「わ……私の名前はエルナですっ!」

「やだ可愛いっ♡!」

「そ、そう? ……っていや、それはいいから」


 しまった、ちょっと乗せられそうになった。

 気を確かに持て!! 俺!!!

 あくまで外の顔を作るためだと言うことを忘れるな!!


 でも……ちょっとこれはこれで楽しいかも?

 新しい言葉遊びみたいな感じだ。


「乗ってきたみたいねぇ~、それじゃー次、どんどん行きましょ♪!」

「お、オウ!!」


 こうして母さん指導の元、俺はあれやこれや……あんなことやそんなことを何の躊躇も無しに口走っていく。

 ……そしてその夜。


「何を……何をしてるんだっ……俺はぁ!! あ、あぁ……死にたい……あーーっ!!!」


 正気に戻った俺は、それはもう激しく、死ぬほど項垂れ悶えることになったのだった……。

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