K:5 「最悪の事態」
「行こう」と言い、みんなのいる後方へ振り向こうとした矢先だった。
アルカの白く華奢な腕が、その見た目からは考えられない握力で以ってオレを殺しにかかってくる。
「フゥー……ウウウウゥゥゥ……」
「あ……がっ……はっ」
「アルカさん!?」
「アルカ!? 何を――」
ガレイルとミァがこちらへ走り寄ろうとする。
完全に不測の事態。
しかしガレイルが一歩踏み出したと同時に、ミァは何か違和感を感じたのか、彼の前に手を伸ばし制止させる。
「待ってください、どこか……様子が変です」
「何?」
ミァがそうした直後だった。
二人の丁度一歩前の地面に、まるでかまいたちが通り過ぎたかのような傷が出来上がる。
このまま踏み出していたら、頑強な鎧諸共……間違いなくガレイルの体は真っ二つに割かれてしまっていただろう。
「っ――!」
「アっれレれレぇ……こなイんだぁ……ザンねん」
アルカの声。
しかしそこの声には彼女の面影など一切ない。
南海のように澄んだ明るく綺麗な声は、不気味なまでに歪み、淀み、とても正気とは言い難い狂った音を奏でていた。
「おま、え……」
「テメェは喋るンじゃねぇよクソが!!!」
「―――ぐっぁぁ!!」
眉間にしわを寄せ、不自然に口を引き釣らせ、憎悪にたぎった眼差しをオレに向ける。
再び強く首を絞められ、声にならない悲鳴が漏れ出す。
「お前ェ!!!」
これに制止させられていたガレイルが耐えきれず突っ込ん来ると、無理やり突き飛ばすようにしてオレからアルカを引き剥がす。
そして再びオレの元へ飛び込もうとしてきたところを押さえつけ、そのまま押し倒すような体勢になると、ガレイルは半ば怒りに任せたような……圧力の乗った声をあげた。
「何をとち狂ったアルカァ!! マ素にやられたわけでもあるまい!!!」
「……火弾」
アルカが小さく、やる気のなさそうに【
「なっ!?」
この薄暗い空間に、今度は爆発音と煙が上がる。
咄嗟に飛び退いたガレイルはその手首を抑えているようであったが、見えるのはガントレットに薄くついた焦げ跡のみで、目立った外傷があるようには見られない。
「大丈夫ですか、ガレイル」
「あぁ、なんともない」
抑えられていたから、腕に撃つのが精一杯だったのだろう。
中級の初歩的な魔法とはいえ、あの至近距離ではそれなりの衝撃も生む。ほぼ無傷であるのも、ガレイルの頑丈さあってのものだ。
「あーアーかったいなぁモウ嫌にナるー」
煙が掃け、露わになったアルカの姿は、やはり先の【
彼女の右腕……肘から袖口にかけてゆるやかに広がっている袖は衝撃で胸のあたりまでが吹っ飛び、その手は血で赤く染まっている。
しかしその表情には一点の曇りもなく――いや、むしろ曇りしか感じられない……不吉な笑みを浮かべていた。
「……普通じゃねぇ」
「はい……とても正気とは思えません」
不気味なまでに不吉で、不快で、それゆえに何を考えているのかもわからない。
アルカの形をしているが、多分これはアルカじゃない。
しかし怒り、狂い、オレに過剰な憎しみを訴えかけてくるその瞳は、確実に身に覚えがある気がした。
そう、これは……この気配は――
「……サタンだ」
「!!」
息を整え、口を開いたオレの元にミァとガレイルが来る。
「キョウスケ様! お怪我は」
「ああ……ちっと苦しいが大丈夫、なんともねぇよ」
「よかった……しかしどういうことだ、キョウスケ! あれはアルカじゃないのか!?」
「アルカがあんなことするかよ……なんとなくだけどな」
「なんとなくって……いや、お前の言葉を疑うわけではないのだが、それは――」
「あー……ははハはハハはハ……おっパいでッか! は、ハハはハは!!!」
「ヤロウ……!!」
「狂ってますね……本当に」
そうこうしているうちにも、アルカの形をしたソレはオレたちのことなどお構いなしに、その狂った内情を露わにしていく。
情緒不安定……というよりは、まるで人格が壊れかけているかのようにすら見えるそれは、オレたちの気をこれでもかと逆撫でてきた。
「あアぁアァぁ……なンか あたーマが ふワーフわ、するナぁ? ……あぐっ!?」
いつまたガレイルが飛び出すかわからない状況の中、ヤツは今度は何か悶えるように両手で頭を押さえ始めた。
先ほどまでとは違い、明らかに苦しんでいる様子。
しかししばらくして、今度は自身の体を抱くようにして腕を抱え始める。その両手にはかすかに魔力の青白い光が宿り、オレたちの方へ顔を向けてくる。
その表情は苦しみながらも、先までの不気味さは感じさせない……見慣れた、優しい目をした女性だった。
「みん――な」
「……!!」
「アルカ! アルカなのか!?」
「ごめ、ん……私、の体……サタン、に乗っ取られちゃっ、た……みたい……あうっ」
「うううウウうアああアァァ消えロよババァ!!!! ガッ!」
「アルカ!!!」
「体を乗っ取る術……以前、そんな話を聞いたことがあります」
心当たりがあると、アルカの言葉を聞いてそう呟いたミァ。
裏社会の出身であるこいつは、そう言った表だって話すことができないような悪いウワサもよく知っている。
オレは小さく頷いて見せると、手短にそれについて教えてくれた。
自身の魂を、相性のいい肉体へ憑依させる禁術。
不老不死の研究の一環として生み出されたこの術は、その非人道的な特性と実用性のなさ故、裏社会ですらあっという間にその姿を消した術らしい。
何故ならこの術、発動の為に必要な条件が既に非現実的なのだ。
1――同種族、且つ肉体的相性の良い者でなければ拒絶反応を起こし、乗り移ることはできない。また成功したとしても、術者の人格が正常に維持される保証はない。
2――憑依の際、術者と憑依対象が直径1メートル以内の距離に居なければならない。
3――術の発動は、『術者の死後1度きり』に限られる。
つまりオレが……いや、オレでなくとも、ガレイルかミァにサタンの首を持たせていればこんな事態にはならなかった可能性が高い。
コーティング自体は一瞬で終わるし、帰るまでは十分に持つだけの持続性もある。アルカが持っていたのは、本当に保険的な意味合いでしかなかったのだ。
思えばサタンのやつ、最初にアルカの所に近寄った時……あいつの体を物色していたんじゃないか?
負ける気がなかったにせよ、保険をかけるのは当たり前と言える。
いや、ヤツはそもそも本当に死ぬとは思っていなかったんだ。
万が一負けた時、タダではやり直さないように……そんな実験的な軽い気持ちで試そうとしていたんじゃないのか……?
アルカを殺そうとしなかったのも、全部この時の為だとでも……!?
そしてその万が一が起こり、サタンのやつは一度死んだ。
オレはそれで全部終わったと思い込んだ。
そう思い込んで、もう何も起こらないと勝手に決めつけて……そうだ、初めからおかしかったじゃないか。
アルカに後始末を任せたのは、完全にオレの采配ミスだ。
そもそもが、アルカの気持ちを考えればあり得ないだろう……!
半魔人は迫害される……それ故に、同族同士の結束力も強い。
その同族の死体を持てと言ったんだぞ?
アルカが自分から申し出た事ではあったが、オレは止めようとはしなかった。それがあいつにとって負担になることは目に見えていただろうに!!
そんな当然の事にも気が付かないほどに、オレは……
「オレのせいじゃねぇか……! オレが気を抜いたばっかりに、こんな」
「あぐ……フゥー……スケさんの……せいじゃ、ないよ」
「いや、オレのせいだ……今助けてやるからな!」
「ムリ、だよ……もう、意識も……いつまで、もつか……わかんない。抑えて、られるのも……もう……」
「うるせえ!! 何か方法がある!」
「スケさん、お願い……私を、コロ、して……うぐ、あああぁぁ!!」
「アルカ!!!」
何か、何か方法は……!!
そう思い考えようとしても、自責の念に駆られ、追いつめられた頭は正常な思考を失っている。
アルカは今、サタンがオレたちに襲い掛からないようにと、魔法で必死に抑えている状態だ。
しかしそれを示す両手の魔力も、徐々にその光を失ってきている。
迫り来るタイムリミットが、思考をさらに圧迫していた。
「フゥーーー……うッさいババァだナぁ……」
「サタンてめェ!!」
「来ルなッッッ!!!!」
「―――っ!!!」
「近づイてみロヨ? このオンナごと、何もカも全部吹ッ飛ばスかラさァ……あハははははハハは――あぅ」
「させ、ない……スケさん、早く!」
「黙レぇ!! ボクはぁ死ナない……全部、ぜンブぶッ壊しテ、あGAあああアアァァ!!!」
「――スケさ、ん!!!」
見ていられない、見たくない。
自分の頭で考えようとも……浮かんでくるのは己の愚かさと不甲斐なさ、そして増長するサタンへの憎しみばかり。
「クソ! ミァ、何か方法は!!」
「……ダメです」
「何だと……?」
「もう精神汚染がかなり進行しています。これ以上はアルカさんが――痛っ!?」
「うるせェ!! 絶対に何か方法があるはずだ!!」
もう1ミリたりとも心に余裕なんか残っていない。
アルカを殺せと言ってくるミァの胸倉を、オレは容赦なく掴みかかった。
「落ち着いてください!! このままでは本当に手遅れになります!!」
「オレに仲間を殺せってのか!? 救えるかもしれねえ命を諦めろってのか!? あァ!?」
イライラしてたまらなかった。
逃げ出したくてたまらなかった。
どうしてオレがこんな目に会わなければならないのかと、この世界を憎む気持ちさえ生まれてきた。
……それを仲間にぶつける自分が何よりも憎たらしくて、許せなかった。
「お気持ちはわかります、でも……!」
「気持ちはわかりますだぁ? お前にオレの何が分かるんだよ!!! そりゃお前にとっちゃあ殺しなんて日常茶飯事だったもんな!? 殺せと言われれば二つ返事で殺せるよなぁ!?」
「そ、それは……」
「オレは違うんだよ!! この世界の人間ですらねぇ!!! 仲間を殺すくらいなら、こんな世界滅ぼした方が――」
「キョウスケ!!!!」
オレの減らず口を止めたのはガレイルだった。
彼の叫びに気を取られたオレは、ミァから乱暴に手を放す。
「なんだよガレイル!! まさかお前までアルカを殺せってんじゃねぇだろうな!?」
「頭を冷せ、キョウスケ。自分が何を言ってるのか、わかってるのか……お前の使命は何だ?」
「し、メイ……? 知るかよ、そんなこと……そうだよ、オレは被害者だ。こんな世界どうなろうと、オレの知ったこっちゃ――」
「世界が滅べば、お前は家族にも会えなくなるんだぞ!」
「っ―――」
世界がサタンの手によって滅ぼされれば、オレも元の世界に帰る術を失う。
当然のことだ。
もとより異世界転移の魔法は途方もない量の魔力を一瞬で消費してしまう。
一年がかりなのはこれが理由だ。
世界が混沌の渦に飲み込まれれば、もはやそれどころではなくなってしまうだろう。
この場で全部終わらせなければ、オレは一生……もう二度と、愛する妻と息子の顔を見ることも叶わなくなるのは明白だ。
「で、でもよ……!」
それでも、オレは――
「オレはお前のことを尊敬している。この選択がお前にとってどんなものなのかも……わかってるつもりだ。その上で頼む……アルカを、楽にしてやってくれ」
「おい……」
「これはあいつの……アルカの、最期の頼みでもあるんだ」
「つッッ……!!」
これでもかと歯を食いしばった。
そうすることしかできなかった。
こうしていないと、オレは今にも、自分を殺してしまいそうな気がしたから。
オレはガレイルがどんな気持ちでその言葉を発していたのか、分かってしまうから。
……ガレイルが、アルカのことを好いていたのを知っていたから。
「…………」
「わかっ、た」
もう、心のうちには静寂しかなかった。
何もかも全部通り越して……今にも消えてしまいそうな声で、オレは答えを絞り出した。
鞘にしまった聖剣の柄を再び握る。
「……ご勇断に、最大級の敬意を」
「悪いのはお前じゃない、オレたち全員だ。あまり……気に病むなよ」
そうしてオレは、未だ悶え続けているアルカの前に立った。
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