2:35「エルナちゃんの1日メイド生活 6」★

「あ!? ご、ごめん親父」


 中々の爆発音とともに、自分がしたことにハッとした。

 慌ててのびている親父の元に駆けつけて抱え上げると、鼻血を出してはいるものの目立った外傷はないようで少しホッとする。


「う……」

「だ、大丈夫?」

「……こ、これが……お約束ってやつ……か……」

「……なんて?」



「男が、入ってる風呂に……女が――」



「もう一発喰らっとくか」

「すみませんでした!!!!!」


 うん、なんともなさそうだ。

 俺が右手に構えた炎に本気で慌てている親父を見て、失礼かもしれないが軽く吹き出してしまった。

 親父は色々な意味で顔を赤くしながら、そんな俺を不思議そうに見ているが……俺も二重の意味でホッとしていた。

 何ともなかったのももちろんそうなのだけれど、それ以上に「こんな顔もできるんだ」と。こっちの世界で親父に出会ってから今の今まで、親父の顔は笑いはしても、そこには必ず影があったように見えたから。


 慌てている親父を見て、心底ホッとした。


「え、恵月! 俺もう――」


 親父がそう言って慌てて俺の腕の中から立ち上がる。

 俺の手は逃げようとする腕を咄嗟につかみかかって静止させると、親父の慌て顔が今度は「えっ?」という疑問符と共に困惑へと入れ替わった。

 ……まあ、俺もなんだけど。


「恵月……?」

「え、えっとその……」

(なんで俺親父の腕掴んでるの!? いや、ホントなんで!?)


「た、たまにはいいじゃん? ……ガキの頃みたいにさ」

(っっっっ!?!?!?!?!?!?!?)


 な……何言ってるの俺ーーー!?

 意味わかんないよ!?

 母さんと入るのはあんなに嫌がっておいてなんで親父にこんなこと言ってるわけ!?

 この口と腕はもう……ああああああもうなんなんだホントにぃ!?


 ―――と、自分の行動と心の矛盾に大いに戸惑っているところに。


「大丈夫ですかお嬢様!!!!」

「「……あ〝」」


 ガラガラ!!っと大きな音を立ててミァさんが駆けつけてきた。

 多分俺が魔法で立てた音が原因だと思うけど……うん、どうもありがとう、最悪のタイミングだ。


「え、きょ、キョウスケ様……?」

「ミァ! 違うんだこれは―――」

「ご……ごゆっくりお楽しみくださいませ」


 ガラガラガラ。

 今度は静かに引き戸が閉められ、ミァさんの影は急ぐように遠ざかっていく。

 前に似たようなことがあったような気がするけれど……今回は完璧に誤解されたに違いない。

 ……これ、マジでどーしよ。


「…………」

「…………」


「……と、とりあえず入ろ……か」

「そ、そう……だな」


 俺の提案に渋々親父が同意の意を示すと、親父は掛け湯をして湯船の中へ、俺は体を洗ってから湯船の中へと身を浸していく。

 思えばこのまま親父を解放するか、俺が体だけ洗って外に出ておけば変な誤解を解くチャンスになったのかもしれないが……そこまで頭が回らなかったのはまあ、致し方ない。

 全然仕方なくないけども。


 それにしても……。


((気まずい))


 入ろうと言ったはいいが、親父は奥まで行って視線はガラスの外。

 俺は一番手前で奥にいる親父には背を向け、互いに一言も発することができない。

 浴場自体が無駄に広いせいもあってか、余計に距離が遠く感じられてならなかった。


「え、えっと……恵月、そのー」

「……ん」


 そんな気まずい空気の中、先に口を開いたのは親父だった。

 てっきりもうしばらくこうして俺がしびれを切らすのかと思っていたが、やればできるじゃないか。


「その……」

「うん」




「ほ、星が……綺麗、だな」

「  」




 前言撤回。

 こっちから外見えないし。

 つーか親父、その反応はちょっとウブ過ぎまない!?

 本当に二児の父ですか!?


「全く……」

「な……なんだよ……」

「いーや、なんでもない」


 でもなんだか、心は若干楽になったような気がした。

 きっと親父の顔は今真っ赤っかなんだろうとか思うと、少し笑いすらもこみあげてくる。

 俺はちらりと親父の方を覗いてみると、湯気で表情までははっきりとは分からなかったがやっぱり赤い気がした。

 案の上で「ふふっ」と声が出てしまったが、どうやら親父には聞こえていなかったようで反応は返ってこない。


「親父」

「んー、な、なんだー?」

「えっと……今日は、その……」

「じ、焦らすなって……」

「わかってるよ! えっと、だから……」




「あ…………ありが、とぅ……」




 照れくさそうな鈴の音が、この二人だけの空間に鳴り響いた。

 多分聞こえた、と思う……音の響きはそこそこいいから。

 恥ずかしくて後ろを確認する気も起きなかったが、直後にバシャりと水の弾く音が聞こえてきたのでそれで良しとする。


 それからまた沈黙の時間がしばらく続き、そろそろのぼせてきそうと思い始めた頃に再び大きな水しぶきが親父の方から聞こえてきた。


「おっ……オレもうあがるわ! お、お前もあんまり長風呂しすぎるなよ!」

「え、あ……うん」


 親父が俺にそう言い残すと、そそくさと……途中滑って転びそうになりながら更衣室へと出て行く。

 最後までベタベタな反応をしめす親父に何度目かの笑いがこみあげてきそうになったが、そんな親父がどこか可愛らしいとすら……。


「……疲れてるな。俺もあがろ」


 可愛らしいとすら思えたとか、そんなことは絶対にあってはならないと思った。





 * * * * * * * * * *






「お」

「お嬢様、丁度良いところに。準備が整いましたので、食堂の方へお願いします」

「うん。ありがとうミァさん」


 着替えを済ませ廊下へと出ると、知らせに来てくれたミァさんと遭遇した。

 どうやら今度はグッドタイミングだったらしい。


「それでお嬢様、大変恐縮ではありますがその……先ほどはキョウスケ様と何を――」

「ほぁ!? ホ、ホントに何もないから!!! 誤解だって!!」

「然様でございますか……失礼しました、食堂の方へお願いします」

「うん……わかった」


 あれ、なんかミァさんの顔が残念そうに見える。

 いや……多分気のせいだろう。やっぱり疲れてるんだよ、うん。

 一刻も早く英気を養い、床に就いた方がいいかもしれない。


 俺はそんな風に全部を疲れのせいだと思いながら、ミァさんの後をついて食堂へと足を運んで行った。


 * * * * * * * * * *


 今日驚くのは何度目になるだろう?

 食堂に入り、その食卓で目にしたものを前に、俺はミァさん……そして母さんへ顔を向けずにはいられなかった。


「ミァさんこれ……!?」

「奥様から調理方法を教えていただきまして、本日は共にご用意いたしました」

「えへへへへー、エルちゃん食べたいって言ってたでしょー。これは絶好のチャンスかなーって!」


 そう、あの時確かに俺はこれを食べたいと言った。

 目の前に並べられたそれは寸分たがわず……かは分からないが、間違いなく、その見た目は昔好きでよく作ってもらっていた……母さんのハンバーグそのものだ。


「うん……えっと……あれ」


 一瞬、目の前がにじんで見えなくなった。

 これを目にした瞬間に、何故だかはわからないが……今自分がものすごくこれを欲していた気がして、たまらない気持ちになっていた。

 気がつけばテーブルの上にはいくつもの雫が零れ落ちていて、今にも皿を濡らしそうだ。


「あれ、れ……」


 今日はなんだか……特にあの時、親父の前で涙を見せた時からおかしい。

 いくら何でも涙もろすぎやしないだろうか。


 咄嗟に顔を俯かせて耐えようと必死に頑張っても、次から次へと雫が頬を伝っていく。

 絶対おかしい。

 普段だったらこんなことで泣きはしないと、頭では分かっているのに……拭っても拭っても、一向に止まってくれる気配はなかった。


「……エルちゃん?」

「エルナさん?」

「恵月……?」

「どうかなさいましたか?」


「ううん……なんでもない……」


 みんなも心配そうに問いかけてくるが、俺は俯かせた顔をあげずに短くそう返す。

 何でもないわけはないのに、今度も口が勝手に返事をした。


 一体どうなってしまったのだろうか。

 ……やっぱり疲れてるから、頭がおかしくなってるんじゃないだろうか。


「…………」


 それでも不思議と悪い気はしない。

 むしろ俺自身の意思とは関係なく……心の底から嬉しいと、そんな感情を持っている気がしてならなかった。

 おかしいのはわかっているけれど、しばらくはこの感情に浸っているのも悪くないと……そう思えた。


 俺は涙をぬぐうのをやめてナイフとフォークにその手を移し、震える声で小さく「いただきます」と呟いた。

 そしてまだかまだかとうずいている口の中へそのデミグラスソースの絡まった肉を持っていく。


「どうでしょうか?」

「おいしくできてるかしら……?」


 不安そうにミァさんと母さんが言う。

 親父とファルも、俺の返答を待っていてまだ手は付けていないようだった。


 どうかと聞かれれば返事は一つに決まっている。

 この懐かしくも大好きだった味を忘れるはずもない。

 完璧に再現されたそれを十分に味わい、喉の奥へと渡していく。

 そしてそれが食道を通って、胃の中へと届いていくまでのわずかな時間に、まるで走馬灯でも見ているかのような……そんな不思議な感覚に襲われる。


 本当に、長い一日だった。

 朝、母さんに衣装部屋に呼ばれて、メイド服を着せられて……そこを親父に見つかって、1日メイドをしろと言い放たれ……。

 途中で嫌気がさして投げ出して、アリィに拾われたと思ったら、案外すぐにみんな探しに来てくれて。

 それから屋敷にかえって今に至るまで、本当に長い……永遠にも感じられるような長い時間だった。


 結局その一日で、俺は何を思ったのだろう。

 思い起こせば大変すぎて、そんなことは微塵も考えていなかった。

 ただひとつわかったことと言えば……そうだな、大分照れくさいけど。


 俺は愛されているんだ……と、いうことだろうか。


 なんだかんだ色んなことがあったけれど、俺は今日一日を通して、みんなからの愛情を……嬉しかったことも嫌だったことも全部ひっくるめて、一心に受け止めてきたような……そんな気がした。

 だからものすごく疲れたし、そのせいで心も不安定になっているのかもしれない。

 でもそれならそれで、愛情には愛情で……しっかりと返してやらなければならない。そう考えてみると、今流しているこの涙も、一種の愛情表現といえるのかもしれない。

 しかし涙では伝わらないこともある。

 伝えるなら言葉で、しっかりと自分の思いを伝えなければならない。


 今日一日で受け取った愛情のすべてを籠めて、同時に明日以降の自分自身にエールを送るように。

 これからもっと大変なことが待っているみんなへの、せめてものエールができるように。

 俺は俯いていた顔をあげて、その言葉を精一杯の笑顔に乗せた。


「うん すごく美味しいよ――ありがとう……!」

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