2:32「エルナちゃんの1日メイド生活 3」
あああぁぁぁあぁぁぁぁああああもう……。
「やってられっかあアァッ!!!!」
屋敷の庭。
植え込みの茂みの中へ枝切ばさみが放り投げられ、少女らしいの鈴の音の様な高い声が鳴り響く。
こんな時でもただただ可愛い声しか発することのできない自分も憎たらしくて仕方がない。
あれから……あの屈辱的なネコの真似(?)から4時間。既にお昼も回って久しい(というかもうすぐ日が沈み始める)時間ではあるが、俺はようやく屋敷内部の清掃を終え、庭に取り掛かっていた。
ちびちびと、ミァさんにあれこれ言われながら進めていったはいいものの……もう限界だった。主に精神的な面で。
ふと植え込みから庭全体へと視線を移した瞬間に、何もかもが嫌になって放り投げてしまったのだ。
「何をしているのですかエルナさん! そんなことではいつまでたっても終りませんよ」
疲弊した精神に追い打ちをかけてくる……ひどく、耳につく言葉だった。
「うるさい!! 知るかよそんなこと!!!」
「あ! 待ってくださいお嬢様!!!」
そして逃げた。
目じりにじわじわとこみあげてくる水たまりを耐えながら、俺は庭の外――ファメールの町へと続く林道へ駆けだした。
息も絶え絶えに、しかし一歩も足を止めることなく。
ただただ必死に……この最低最悪な罰ゲームから目を逸らして。
ミァさんが提示した条件も、もう頭の片隅にものこっちゃいない。
(なんだよみんな揃いも揃って! 俺が何をしたって言うんだ!? なんで俺がこんなことしなくちゃならない!!!)
「もうこんなの散々だ!!!!」
半ば八つ当たりのように林の中へ訴えかける。
もちろん答えなど返ってくるはずもなく、俺の大声と重なって逃げ隠れる動物やカラスの飛び立っていく音が、余計に気分を害していった。
こんな俺を見放すかのように目じりから飛び去っていく雫を引き留めようとギュッと目を瞑りながら、それでも足は止めずに町へ向かって走り続ける。
―――と、その時だった。
「ぉわあっ!!」
「きゃっ!?」
ファメールの町へもう少しでたどり着こうというところで誰かにぶつかり、俺はしりもちをついてしまった。
よりにもよってこんな時に、弱弱しく女々しい声まであげて。
「いったたたたぁ……と、大丈夫ですか?」
こちらからぶつかったというのに、その人はやさしく手を差し伸べ、俺を労わるようにそう言った。
ああ、なんと優しい人なのだろうか……屋敷の人間とは大違いだ。
「あ……その、こちらこそ、ごめんなさい……」
震える声をぐっとこらえながら、精一杯の謝罪をし、その暖かく柔らかな手を握り返す。
「いえいえー私も焦りすぎまし……て、あれ?」
「あれれれれ? もしかしてエルナちゃんですか!!!」
「ふえ……?」
沈みかける日の影になって顔はよく見えなかった……が、その声には確かに聞き覚えがあった。
陽気さを感じさせる明るい声質に、頭の上に三角耳が乗ったシルエット。
……間違いない。
「あ、アリィさん……?」
「あー! やっぱりエルナちゃんだー! どうしたんですかそんなに急いで……うん? メイド服ですかそれ?」
「え! いやあの、これはその……えっと……」
「それにエルナちゃん……泣いてます?」
「っ……泣いて、ないです」
俺は顔を逸らして、小さく否定した。
ああ泣いてるとも。
人前で、弱弱しく、女々しく、みっともなく涙を流していますとも。
さっきは暖かいとか優しいとか思ったけれど、どうせアリィもバカにするんだろう。
彼女とは二回しか会っていないけれど、どちらとも決していい思い出とは言えない。頼んでるオーダーメイドの衣装はたのしみにしてるけども、それとこれとは話が別だ。
「はぁ……その感じだと、キョウスケの旦那に一日メイドでもさせられて逃げてきた……てところですか?」
「うぐ……」
(なぜそこまでわかる……!!)
「そ、そうですよ。笑うなら……笑ってください……」
そうだ、罵るなら罵ればいい。もう知るもんか。
「何言ってるんですか笑いませんよ! 全くあの人は本当に……とりあえずウチ来てください!」
「え……」
思いもよらない言葉に、一瞬頭が考えるのをやめてしまった。
「ど、どうして……」
「どうしてじゃないですよ! ほら、行きますよ!!」
「あの! えっ!? ええ!?」
な、何がどうなってるんだ本当に……。
そして相変わらずの馬鹿力。
俺はワケも分からないまま腕を掴まれると、そのままファメールの町へと連れていかれた。
* * * * * * * * * *
「はい、これ飲んで落ち着いてください」
「あ、ありがとうございます……」
ファッションチェーン店『すしや。ファメール北店』の二階にあるアリィの自宅。
そこで真っ先に出されたハーブティーをひと口すすった後に、先ほどの質問の続きを口にする。
「あの、アリィさん。どうして俺をここに……」
「何言ってるんですか。泣いてる女の子、放っておけるわけないじゃないですか」
「そう、ですか」
(泣いてる女の子……か……)
「ましてやお得意さん候補となってはなおさらです! 恩は売っておかないと!」
「……絶対そっちが本命ですよね」
「ありゃ、バレました?」
「は、ははははは……」
「えへへへへ」
場が少しの間浅い笑いに包まれた後、俺はアリィさんに今日の出来事を話した。
ルーイエの里で母さんとの勝負に負け、その結果この格好をすることになったこと。
その時に丁度やってきた親父に言われ、不本意ながら一日メイドをさせられる羽目になったこと。
ミァさんの言うことについて行けず、何もかも嫌になって逃げだしてしまったこと。
そのすべてをアリィは真剣に聞いてくれた。同じハーブティーをすすりながら、じーっと。
「なるほどねぇ。元々男の子のエルナちゃんからしたら、それは大変なことだったでしょうねえ」
「それはもう……ふえ!?」
「? どうしました?」
「し、知ってたんですか……? 俺が元男だって」
「あれ、言ってませんでしたっけ? ロディさんから聞いたんですよ」
初耳です……。
でもそれならなぜ俺のことを女扱いするのか。
それについて物申したくなってくる……確かに今の体は女性かもしれないが、精神的には正真正銘、男のつもりなのだから。
「それにしてもさっきのエルナちゃん、可愛かったですねえ」
「っ!?」
「『きゃっ』って言ってました」
「やめてください!!! やっぱりバカにしてるんじゃないですか!?」
「おっと失礼失礼……つい悪いクセがでてしまいました。悪気はないんですよ、どうか許してください」
「…………」
ふくれっ面になる俺を前に、アリィは軽く弁明をする。
本当、一体何のつもりでこんなことを。本当に俺を助けたかったのか、それとも笑いものにしたいのか……恩を売るとかなんとか言っていたが、それはきっと嘘だ。
「それはさておき、さっきのエルナちゃん……本当に放っておけないって感じがしたんです。似たような事……とは言い切れませんけど、私も昔はよく着せ替え人形にされていたので」
「アリィさんが……ですか?」
俺の返事にアリィは苦笑いでもって返して見せる。
「はい。母がファッションデザイナーでして、その関係で毎日色々着ましたよー。それが興じて、必死になって腕を磨いて今はこんな仕事してますけど」
「……なんか意外です。もっとおてんばなのかと思ってました」
「はにゃ! 心外ですねー、これでも私、獣人でも力は激ヨワなんですから! ……よく馬鹿力とか言われますけど」
「ははははは……」
アリィの話を聞いていると、その陽気な話し方のせいか、どこかこっちまで元気が出るような気がしてきた。
怒りが収まったわけではないけれど、彼女なりに俺のことを元気づけてくれようとしていることだけは、確かに伝わってくるような気がしたのだ。
「多分母と同じだったんですよ。そのミァさんも」
「え……?」
「キョウスケの旦那からよく話は聞いてました。ずっとあの人一人でメイドさんのお仕事してきたんでしょう?」
「みたい……ですね」
「ずっと一人だったから、一日だけでもエルナちゃんが同じメイドさんとしてお仕事をすることになって、嬉しかったんじゃないでしょうか。嬉しくて、よく知ってほしくて……それで張り切り過ぎちゃったんですよ」
「そういうもん、ですかね……」
「きっとそうですよ! 私がどうこう言えることではないと思いますけど、人間興奮するほど嬉しい時って、案外やり過ぎちゃうものなんですよ」
「…………」
(興奮するほど……か……)
思えばそんなに……興奮するほどに嬉しいという感情を持ったことは久しくないような気がする。
この世界に来てから、何かに対して嬉しいと思ったことも。
良かったと思ったことは何度かあったけれど、心の底から嬉しいと、そう思ったことはなかったはずだ。
(俺がミァさんの立場だったら、同じことをしただろうか……)
「おや?」
「? どうかしましたか、アリィさん」
そんなことを思っていると、アリィが何やら窓の外に何かを見つけたらしく、俺に手招きして見て見てとその先をゆび指して見せる。
「……どうやら、お迎えが来たみたいですよ」
「え……?」
「お嬢様―!! いらっしゃいませんかーー!!」
「恵月―!!!!」
「エルナさーーーん!!」
「え〝る〝ちゃ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝ん〝っ〝!!!!」
俺がのぞいた窓の先には、通りに行く人から白い目で見られながらも必死に俺のことを探している……屋敷のみんなの姿があった。
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