2:17「ある日 森の中 くまさんに 出会った」

 燃える 燃える。

 木から木へ 

 葉から葉へ

 そして巡り巡って

 建物へ―――。


「あッ―――ぶねぇ!!!」


 間一髪、アルトガが里の民家へ燃え移ろうとしていた炎を消す。

 わしが小娘(メロディア)を連れて外へ出たとき、楕円形になっているルーイエの里の南側は、いつ里へと燃え移ってもおかしくない程までに火の手が回っておった。

 他の三方はまだ少しはもちそうではあるが……どの道時間がない。

 しかしなぜ南だけがこんなにも早く……。


「え……えいちゃん」

「しゃべっとる場合か!! 術に集中せい!!!」

「違うの! あれを見て!」

「なッ……なんじゃ? そんなに焦りおって……」


 わしと小娘でアルトガの手の届く範囲外を水属性の上級魔法【激流大水破】でもって消火していく。

 その名の通り、激しく放たれる水砲によって破壊をもたらす魔法。

 しかし消せども消せども一行に火の手が弱まる気配はない……むしろじりじりと押されておるような気さえもしてきておった。

 そんな中で、燃え盛る炎の先を指さし、小娘がわしを呼び止めた意味はなんなのか。

 わしは術を途切れさせないよう注意しながらも視線を向ける―――と。


「なっ!? ……なんじゃあれは!!!」


 そう遠くない……二、三十メートルほど先であろうか。炎の中を何か影がうごめいているのが見て取れた。

 あれは……あの影の形はどう見ても――。


「くまさんじゃないかしら?」

「そんなこと見ればわかるわい!! なぜあんなところに熊がおるんじゃ!!!」

「さぁ~……」


 普通は丸焦げになっている……炎の中へ飛び込んでいくなどありえるのか!?

 確かに熊には火を恐れない種類もいる……が、そんな問題ではないじゃろう。あれはどう見ても、炎の中を自由に動き回っておるではないか。


 全く持って意味が解らない……そもそもどうしてあんなところに熊が?

 この森に熊など住みついてはおらんハズだというのに。


「長様、メロディア! どうかしたのか!?」

「なんでもないわい!! おんしはそっちに集中しておれ!!!」

「がんばれがんばれー!」


「しかしいい加減らちが明かん……!! やむ負えん、体力を持っていかれるがこのまま燃えるよりはマシじゃ!! 小娘、ちとそれ借りるぞ!!」

「へ? えいちゃん!?」


 わしはそう言い放つと自分の魔法を一旦止める。

 そして小娘の横から重ねるようにして、彼女の手の上に自分の手を添えた。

 そのまま小娘の手を通じて魔法にわしの魔力を流し込み、主導権を握る。


「そのままじゃ、止めるんじゃないぞ!! ―――せいやあぁぁああッッッ!!!!」


 特定の魔法を極めた者のみが扱える【極意】と呼ばれる特殊能力。

 わしはその一つ、【魔法の極意・水】を発動させ、小娘が放っている【激流大水破】を限界ギリギリ……横幅およそ二十メートルにまで及ぶような扇方へと変形させ、消火範囲を一気に広げて見せた。


 しかし精霊の力を借り、スタミナという概念を捨て去るエルフの魔法と違い、この【極意】と呼ばれる能力の行使には己の魔力と体力を膨大に消費する。せめてもの消費削減にと、小娘が放つ魔法を使わせてもらったのじゃ。

 本当はこんなところで体力を使っている暇などないのじゃが、もたもたしていてはほかの三方向からくる火の手が里を燃やしてしまう。もはや力を持て余している余裕もなくなっていた。


「えいちゃんすごい……! けれど……」

「ああ、このままでは……!!」


 度重なる【極意】の行使により、重戦士並みの体力を持つアルトガですらもすでに限界が近くなってきておる。

 このままでは里が燃えるのも時間の問題。

 せめて、せめてここさえ何とかなれば更なる増援を―――。


(小娘を呼びに行ったとき、奥まで行って助けを募るべきだったかのう……いや、それでは……)


「イカンイカン! 余計なことを考えてる場合では……――――!!??」

「? ……どうかしたのー?」

「…………燃えておる」

「え――?」


 目の前に広がる水の扇の先――わしはかすかにそれを感じ取っていた。

 いくら先端部分で威力が落ちているとはいえ、上級魔法ともなれば相当の……燃え盛る木を消火するほどの威力は十分に備えているハズなのに。目先の一角、明らかに木からではない炎が上がっているのじゃ。

 そこからかすかに燃え広がるように、激流の先に半円状のへこみができておる。

 しかしわしがそれを認識し小娘に伝えるや否や、突如として炎のへこみは下に落ちるかのようにしてが消え失せ、元の扇状へと元通りになった。


「みえないわよー?」

「いや、確かに……一体どうなっておる」


 下に消えた……落ちるように。

 まるで意思でもあるかのようにだ……己の火が消えるのを防ぐかの如く。



「まさか」

「へ?」

「小娘 危ない!!!」


 咄嗟の行動だった。

 わしはかばうようにして小娘を横から突き飛ばし、放たれていた魔法が途切れる。

 直後に魔法の下……水の陰に隠れて見えにくくなっていたそれが、わしの目の前に姿を現した。

 その刹那。


「!! しまっ―――」




 ―――ドッッッ!!!!




「えいちゃんッ―――!!!!!!」

「長様!?」


 水面下を突進してきたそれ――熊の攻撃を正面から受け、わしの体が大きく十メートルほど飛んでいく。

 炎を纏った突進により腹部の服には焦げ穴ができ、露わになった皮膚には火傷と突進の傷が痛々しく刻まれていた。

 即座に回復魔法を施していなければ骨がバッキバキに砕けていたところであろう。


「あの容姿……まさか『火グマ』か!? よもや……本当に存在しようとは」


 わしはフラフラとしながらも身体を起こし、先ほど突き飛ばしてくれおった熊を見る。



 【火グマ】……幻獣と呼ばれる伝説上の生物の一体。その名の通り全身に炎を纏わせ、辺り一面を焼け野原と化す。また彼の前では一切の炎はひれ伏すと言われている。



「えいちゃん!! 大丈夫!?」


 立ち上がった矢先、小娘がわしのもとへ駆けつける。

 火グマはわしの方を見て威嚇を続けており、再び襲い掛かってくる様子はない。


「大丈夫じゃ、じき治る……しかしこれでは……」


 この程度の傷、治癒に集中すればすぐにでも治せる……が、先ほどの一撃で残されていた体力の大部分も持っていかれてしまった。

 今治したところでしばらくは消火を再開することは困難だろう。いくら精霊の力を借りているとはいえ、基礎体力くらいは残しておかねば話にならない。

 それに火グマ……こやつがいる限り、この森……そして里は燃える。


「長様!! 俺が熊を――」

「いや、やつに炎は効かん……おんしは消火に専念するんじゃ! わしが熊を引き付けておく!」


 せめて引き付けるくらいは。

 こやつが火事の原因ならば、引き付けておけばこれ以上早く火が回ることは無い。

 その間に小娘に出来うる限りの増援を呼んできてもらえばまだなんとか……。


「わたしがくまさんの相手をするわ」


「……な?」

「えいちゃんは神樹さまのところへ行って、助けを呼んできて」

「――何を言うておる!! おんしはまだペーペーのド素人じゃろう!! いくら才能があるとはいえ、いきなり幻獣を相手にするなんぞ無理じゃ!!!」

「お願い 時間がないの!」

「ダメじゃ!」

「お願い!!」

「ダメじゃ!!」

「行って――ッ!!!!!」

「っ―――!?」


 涙。

 こやつ、なぜ泣いておるのか。

 切に願う小娘の表情は、わしに行くことを懇願しているというよりは、もっと別の……どこか悲壮を感じさせるような顔をしていた。

 決してわしを心配しているのではない――いや、心配はしているのだろうが、本命はもっと別のところにある。


(なんじゃ……この気迫は)


「行ってくれ長様!!」

「! アルトガ、おんしまで!」

「どのみち今の長様じゃ体力回復する前に丸焦げになっちまうよ! メロディアは俺がサポートに回るから心配すんな!!」

「なッ……何を言うとるか!!」


 おんしだってもう息切れ寸前じゃろうが!!


「……はぁ。 仕方ないのぅ」


 じゃがまあ、言う通りか。

 少しの間じゃ。神樹さまの元でなら、体力の回復も比較的早く済むじゃろう……焦りは禁物。

 ここは見栄を張らず、若造共に任せておくとしよう。


「死ぬでないぞ!!」

「だいじょーぶっ!!」

「おうよ!」


 死ぬなと一言だけ言葉を送り、わしは里の西側にそびえる神樹さまめがけて足を踏み出した。

 その奥地で起こっていることなど、全く知る由もなく――。

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