2:16「弱いなりに足掻かせろ」

「我の邪魔をすると? 身の程知らずもいたものだね……君はついさっき起きたことも忘れてしまうほど愚かなのかな。お嬢さん?」

「…………」


 忘れるか。こちとらやるしかないんだよ!

 それにこいつの話し方、なんか気取ってるというか、聞けば聞くほど鼻につく感じがして非常に腹立たしい。


 俺は何が書いてあるのかを少しでも確認しておこうと、頼みの綱……右手に持った魔導書にちらりと目を向ける。


「―――――!!!???」


 途端、体の芯からおぞましいほどの寒気がイヤな予感とともに全身を襲った。

 顔に出すことを我慢するので精一杯……むしろ出さなかったことを褒めたたえてほしい。

 目を向けた先にあったのは、黄色く薄汚れた見開き。

 ……文字はおろか、筆が走った形跡すら見当たらない―――白紙のページ。

 俺は恐る恐る右手の指を前のページ……できるだけ始めのほうにあたる場所へと向け、開いてみる。


(……嘘だろ……!?)


 白紙。

 魔導書だと思って持ってきたものは、何も書かれていないただの紙の塊だった。

 俺が持ってきたのは、母さんが書庫の入口まで抱えて持ってきた十数冊のうちの一冊。

 そしてその十数冊はおそらくアルトガが用意した二百冊から持ってきていたはずだ。

 まあ、誰しもミスはするもの。中にはこんなものも混じっていたっておかしくはない……と思うが、ここにきてその一冊を引き当てるのか俺は!?


「最悪だ……」


「どうしたんだい? 我を止めるんだろう。かかってこないのかい?」


 安いお誘いをどーも。

 でも今そんなの買ってる場合じゃないんだよ。


 ぱたんと、ただの鈍器になり果てたそれを閉じ、目の前の男に視線を戻す。

 どうしようか……元々低すぎる勝率がさらに下がってしまった。

 こんな鈍器でも一応物理的な補正にはなるだろうから持っておくには持っておくが……先のヴィジョンが全く見えない。


「ふむ。 口だけならそこでじっとしていてくれないかな。我も暇じゃない……愛する人を救うために、一時も無駄にはしていられないんだよ」

「! ……それ! その愛する人って、なんなんだよ! そのためだったら何をしてもいいって言うのか!?」


 もっともらしい言葉が俺の口から飛び出した。

 せめて少しでも考える時間が欲しい……切り抜けるためには、何か秘策を――。


「答える必要はないな。我はもう君に用がない……邪魔をするのなら、倒していくまでだけどね」

「チッ……!!」


 舌打ちとともに、いよいよどうしようかと冷や汗が頬を伝う。

 ここは神樹さまの中……下は芝生だし、使えると言っても魔法は炎属性……倒れている人たちもいる以上うかつに動くこともできやしない。

 下手したら火事を助長させることにだってなりかねないし……こうなったら拳でもなんでもやるっきゃないんじゃないか。


(あークッソ……せめて前世だったらまだ太刀打ちできたかもしれないのになぁ……)


 前世では一応身体を鍛えていたのだ。

 親父が蒸発してからは特に。いざとなれば男の俺が母さんを助けないといけないから。

 それが転生してみたらなんだ、まさしくか弱い女の子……ああもう考えるのもイヤになる。

 ちから12に魔導書(物理)で一体何ができるというのか……――――いや。


(賭けはしたくないんだけど……)


 俺は唯一の武器を握る手を両手に変え、踏ん張っている足に力をこめ……出来るだけ勢いのつくように体勢を整える。

 こうなりゃ当たって砕けろだ。

 勢いよく、大きく足を踏み出しながら、俺は『物理的にできる精一杯の反抗』を……目の前にたたずむ男に向かって、魔導書鈍器を大きく振るった。


 何度も 何度も 何度も

 折り返し折り返し、当たれ当たれと願いながら……しかし当然、両手に握る鈍器は男にかすりもしない。


「クソ! はぁ!! このっ!! 当たれってェ!!」

「…………」


 ――トン。


 当たれ。

 男は俺が言い放ち振りかざした俺の細い右腕、そして魔導書を両手を使ってため息混じりにつかんだ。

 見るからに幻滅していそうな男の表情に体が委縮する。

 腕を引こうにもビクともしない。


「君は何をしにきたんだ……? まさか、本当に愚かものなのかい?」

「うるさい……!!」


 そんなことは言われなくたって百も承知だ!


「言っただろう、我は時間を無駄にしていられるほど暇じゃない。……里が燃えるのは心中察するけれど、さっさと倒れてもらうよ」

「うぐっ!?」


 男が言いながらギリギリと掴む力を強め、ちからの入らなくなった俺の右手が開く。

 そのまま彼の手に残った魔導書はそっと手放すようにして地面に捨てられ、直後にドンと大きな音を立てながらその表紙が足蹴にされた。

 俺は苦し紛れに自由な左手で拳を作るが、非力なパンチは簡単に男の手の内に収まり、両手が塞がれてしまう。


(……よしそうだ、『それでいい』。感謝するよ……そのままじっとしててくれ!!)


 完全に油断し、呆れ顔を見せる男に対してそっと心の中でお礼の言葉を送る。


 俺は弱い。

 だから弱いなりに足掻かせてもらうことにした。

 おかげでやっとこさ当たりそうだよ。

 ……効くかどうか知らねえけどな!!


 直後、俺はむき出しになっている右手を自然な範囲で広げ、手のひらを男の顔辺りに向けた。

 そして今度はあの時のようにやりすぎないように……。


 ――シュッ。


「ぬ―――っ!?」

「……当たった……!」


 ほとんど音は鳴らなかった。

 俺は鎌のような鋭利な刃物をイメージして、目には見えない魔力の刃を飛ばして見せたのだ。

 その鎌風は標準より少しズレ、男の左肩をかすめる。黒いコートには縦10センチほどの穴が開き、傷からは赤い液体が流れるのが垣間見える。

 最初から顔にあたればワンチャン……と思ったが、期待はしていない。傷はつけられるとわかった――これでも十分だ。


「何をし―――ッ!!!!」


 何をしたと少しばかり驚きの顔を見せる男に返すかの如く、俺は左手でも似たようなことをして見せた。

 手の内で小さな刃を三つ生成し、それを拳の指と指の間から同時に飛ばす。

 この村にたどり着き、精神修行を終えていなければこんな器用なことはできなかっただろう。

 男は血しぶきのあがる右手を引っ込め、そのままの手で左肩を抑えながら距離をとる。


 弱いなりに出した結果だ。

 いや、正確には思い出したと言うべきか。

 魔法とは極論イメージ、思いの力。

 エルフの使う術式や精霊はそれを効率化するためのもの。

 修行修行ですっかり固定概念にとらわれてた。

 取得途中のものをわざわざ使う必要なんてないじゃないか。

 その前にだってあっただろうに……魔法を使う機会は!


「手がヒリヒリする……流石にこれ以上細かいことはできないな。……今のも少しでっかくしただけで暴走しちまいそうだ」


 迷いの森での一発、そして今の二発で大体の要領はつかんだ。

 基本はシンプルな投げ技。

 それ以上は暴発の危険性ありってところか。


 俺は若干血がにじんでいる左手の拳をぎゅっと強く握りしめ、明らかに形相を変えている男にあらためて向かい合う。

 不意打ちはなんとか成功した……が、そんなものはもう二度と通用しないだろう。

 ここからは正真正銘、ガチで頑張って見せるしかない。


「愚かと評したことを訂正しよう。愚かなのは我だった……君を甘く見、油断した我は最高サイッッッッコーに愚かだ」

「…………」

「ありがとう。感謝するよ……君のおかげで一つ、大事な教訓を得ることができた。また一歩、王に近づけた気がするよ」

「……それはどうも」


 場の空気が変わる。

 男の目は本気も本気――まるで好敵手でも相手にしているかのようなマジモードに切り替わり、肩の傷口から手を放した。

 すると既に俺が必死こいて付けた傷は塞がっており、小さく切り裂かれたコート以外にそれを証明するものは微塵も残っていない。


「うっそ……早っ……」

(なんて言ってる場合じゃないんだけどな)


 男は何もない自由になった右手を腰元に手を構ると、そこからドスの効いた紫一色の刃が現れた。

 何の装飾もない……いうなれば、俺がさっき起こした風を目に見えるようにしたような、シンプルな刃物。

 恐らく切れ味も相当……少し触れただけでも簡単に肌が切れてしまいそうだ。


「お礼に今度こそ、一撃で眠ってもらうとしよう。できるだけ痛まないように、一瞬で」

「そ……それは勘弁して欲しいかな……!」


 決して痛くして欲しいということじゃないとだけ念を押して言っておこう。


 一回目は砕けずに済んだ。

 さて……ここからが本番だ。


「お願いしますよ精霊サマ神樹サマ……俺の初陣、どうか白星で飾らせてくれ!!」

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