1:8 「不穏な視線 多分気のせい」
「なー親父、一ついいか」
「んー? なんだーエルナー」
「……当たり前のように俺の布団に潜り込んでんじゃねえよ」
目が覚めた時、目の前にごっついおっさんの顔があったらどう思うだろうか。
誰しもがそれを変質者か何かだと思い、警戒することだろう。人によっては恐怖のあまり体が動かなかったり、思わず手が出てしまうことだってあるかもしれない。
ということで、このクソ親父殴ってもいいかな……いややっぱやめよう。
「いやぁ、是非とも娘の初々しい生着替えを拝みたいとおもってな。着替えを持ってくるついで『う゛ぃ!!?』」
清々しいほどの堂々としたセクハラ発言に冷たい視線を送りつつ、ちから10の膝蹴りを親父の大事なところにお見舞いしてやった。
当たるかどうかはちょっと自信がなかったが、親父はものすごく顔をゆがめて悶絶している様子―――どうやらクリーンヒットしたらしい。
その後、親父が〝あの痛み〟に苦しんでいる中俺は掛け布団を広げ、綺麗にたたんでおく。
まあ痛みに関して同情の余地がないわけではないが、自業自得だ。なんならもう一発くらい入れても俺は許されると思うのだが、そこんところどうだろうか。
……と思い、再びその位置に足を持って行ってみたら、親父は悶えながらも一瞬にして綺麗な土下座をして見せたので、ひとまず二発目は我慢してやった。
まあ、気持ちはわかる。
「とりあえず親父、着替えるから出てけ?」
「……ひゃぃ」
俺が強めにそう言ってやると、親父は案外素直に部屋を出て行った。
別に着替えを見られるのが恥ずかしいなんてことはないが、わざわざあんなことを明言しておいてその通りにするのもシャクだったのだ。他意はない。
(そういや着替え持ってきたとかって―――)
ふと思い出したその言葉を頼りに、まだ片づけのされていないごちゃごちゃの部屋を見渡すと、ドレッサーの上に身に覚えのない布が置いてあった。
元の世界から持ち越してきた服はどれもサイズが合わなくなってしまったので、これはこれでありがたい。
……無理やり追い出してしまったのは少し悪かっただろうか。
あとで一応、一言お礼くらいは言っておこうと思いながら、その布に手を付けた。
* * * * * * * * * *
…………。
「? どうかしましたか、エルナさん」
「え! い、いや何でもない……大丈夫」
……全然大丈夫じゃない。でも仕方がないのだ、うん。
親父が部屋においていった布の中に入っていたものは、裾をフリルで飾り付けられた薄い水色のワンピース……母さんのお古だった。しかもご丁寧に下着までつけて……これ母さんにちゃんと許可とってあるんだろうな?
正直なところ、着替える前に親父の所に赴いてもう一発くれてやろうかと思いもしたのだが、他に着れるものがあるのかと言われればそれまでなので、甘んじて受け入れることにした。
心なしか胸部に物足りなさを感じるがまあ、これも致し方なしだ。
で、そんな俺がファルと二人で何をしているのかと言えば―――いわゆる朝練ってやつである。
こっちの世界で生活していく手前、文字の扱いはなるべく早くできるようにしなければならない。
そのために朝飯前のこの少しの時間でも有効活用しようという算段だ。
「でもごめんファル、俺のわがままにつき合わせて……部屋もかしてもらっちゃって」
「いえいえとんでもない! どうせ僕もしばらくは暇してますから、大歓迎です。それに、エルナさん呑み込み早いですから、十分助かってますよ」
「そ……そう、かな」
なんだか言葉に乗せられている気もしなくはないが、悪い気分ではない。
……というか、実際覚えは早いのだと思う。
音声言語が一致しているせいか、ちゃんと頭を使ってやればそこまで難しいものでもなかった。
前世での五十音順をそのままこちらの文字に当てはめただけ……とまでは流石に行かないものの、ある程度融通が利くのはやりやすい。
それからこの体になってからなのかは分からないが、心なしか俺自身の記憶力も格段に上がっている気がするのだ。
エルフの寿命は1000年ほどらしいが、その辺ともやはり関係があるのではないかと思う。
1000年……その途方もない時間を記憶しておける領域というものも、絶対的に存在するはずなのだから。
ハーフエルフがそのくらい生きるかは知らんけども。
「……おっと、そろそろ時間です。食堂に向かいましょうか」
「ん! あれ、もうそんな時間か……わかった」
俺は筆記用具を片付けノートをたたみ、ファルの後ろをついて行く。
彼の部屋は俺の2つ隣の部屋なので、行きがけに道具を自室に置いてから食堂に向かった。
* * * * * * * * * *
「母さん、暑い」
「だーって可愛いんだものぉー、お母さんのお古が似合ってよかったわー」
「そーだろそーだろー! わざわざ昨日の夜ロディと一緒に選んだ甲斐があったってもんだ!!」
夫婦そろってグルですか、ああそうなんですか。
俺は着せ替え人形ではございませんが?
俺に抱き着いて放さない母さんを置いといて、俺は着々と食事を進めていく。
暑い上に視界の半分が母さんの胸で隠れてよく見えないが、もしこれでどこか汚しても俺は悪くないと思う。そしてなんだろう、この無駄にデカい脂肪の塊を見ていると、どこかふつふつと湧き上がるものが……。
「! あら、エルちゃんその服」
「……何?」
ここぞとばかりに母さんが俺の胸のあたりを凝視してくる。
――ぎゅ。
「……何をしていらっしゃいますの?」
母さんは服の上から手のひらで俺の胸を押しつぶした。
あの、食いにくいんでいい加減やめてもらっていいですか。
ものすごく邪魔で仕方ないんですけど。
ほら! 親父もなんけすっげえ視線向けてきてるし!!!
「うーん、やっぱりブラのサイズがあわないのねぇー」
「「ぶっ!!???」」
あの!
食事中にそういうのやめてもらっていいですか!?
「奥様、それでしたら私が今日調達してまいりましょう。今朝の洗濯で既にサイズは把握しておりますので」
「ミァさん!?」
「あら、じゃあお願いしようかしら―。私もついて行っていい?」
「はい、喜んで」
「ちょっと!? 何勝手に進めて……ていうか母さん字の練習するんじゃ!?」
「もー覚えたわぁ♪」
「っっッハァ!!!????」
母さんの脳みそは本当に異次元らしい。
理解が早いとかそんなレベルじゃない。何、知力振り切れてるとそんな簡単に言語覚えられるんですか!?
今の発言に流石の親父とファルも開いた口が塞がらないと言う様子。
そりゃそうだよ、いくら理解が早いったって一晩しかたっていないのに……ありえないだろう。
「はい。奥様は既に『グース文字』をほぼ完ぺきにマスターしていらっしゃいます。『エルフ文字』はまだですが、この調子なら明日にでも」
「お……おう……そうか。 流石俺の妻だ!」
もう親父、ちょっと引いてるよ。
そしてミァさんはどうしてそんなに平静沈着なの? 昨日の若干ギスギスしてた二人は一体何処へ!?
色々ツッコミどころしかないものの、俺が食い終わるころには母さんとミァさんは準備のために食堂を後にしていた。
魔法といい文字といい、こうもチート級の才能を見せつけられると俺の肩身が狭く―――。
「――――?」
背中……窓越し?
どこかから視線を感じたような気がした。
しかし振り向いてみても、そこにあるのは当然の如く食堂の壁……それから窓越しに見える綺麗な庭のみ。特に変わった様子はない。
「ん? どした恵月」
「エルナさん?」
「……いや、何でもない。 ファル、行こう」
「あ、はい。そうですね。僕たちも負けていられません!」
気のせいだろうか。
昨日も冒険者ギルドで似たような視線を感じた気がしたが、まさか王都からこの屋敷にわざわざ来るだなんてあり得ないだろうし。
……いや、切り替えていこう。ファルが言った通り。まだまだ先は長いのだから、さっさと覚えちゃわないと!
今はこっちが最優先だ。
俺は気持ちの切り替えに伸びと共に深い深呼吸をして、ファルと共に食堂を後にした。
「―――――か」
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