その僵尸、異端につき。

バホ・メッティ

第1話


私は18歳である。受験期真っ最中の高校三年生であった。


その日は第一志望の大学の入試の日であった。もそもそと朝食を食べ、頑張って!と言う母に送り出され、駅までの道を歩いていた。絶対に受からない試験へ向かうのは中々苦しかった。

「盲腸になったら試験休めるなぁ」

だが次の瞬間私に起こったのは、右腹部の痛みでなく、全身への強い衝撃であった。倒れ込んだ頰にアスファルトが当たる。目を閉じる前に見えたのは、慌てて逃げていくトラック。どうやら跳ねられたらしい。

「このまま死んだフリをしていたら試験なんてうやむやになるのでは?」

我ながらこの怠惰さには飽きれるが、この時は実に名案だと思った。そして私は跳ねられた格好のまま救急車を待ったのである。


まぶたの裏の暗闇を見ながら自分の怠惰さに苦笑した。その実、私は何も考えていなかったのだ。ある程度名のある大学へ行けば、良い学生生活が得られるだろう。と軽率で怠惰に大学を選んだ。強い意識など皆無であった。

しかし大人に煩く介入されるのも嫌であったので形だけは意欲のある姿勢を見せていた。親も先生も騙されて、「明人あけひと君ならきっと希望の大学に受かる」と励まされた。私の成績は夏から変わっていなかった。


どれくらい経ったのかわからない。足音がした。

「おい、死んでるのか」

腕を足で小突かれた。爪が当たって痛い。半身を起こす。と、目に映ったのは見知らぬ林と、鬼であった。


鬼、肌は青に近い紫色で額には荒削りの岩のような角が一本、生えている。濃紺の着流しに包まれた体は私の何倍もあり、足元は裸足であった。恐ろしく尖った爪。先程私を突いたのはそれであるらしい。逃げなくては、と思っても体が動かない。鬼は竦む私をつまみ上げた。

「邪魔だ。早よどけ」

そのまま脇へ放り捨てる。強く投げられたらしくぶつかった木がメキョ、と歪んだ。打った背中が痛い。

一寸ちょっと

とか細い声が聞こえた。鬼の後ろから老婆が現れた。骨と皮ばかり手を這わせるようにして私に向かってくる。めくらであるらしい。しかし次の瞬間私は恐怖でヒュ、と喉を震わした。その手の平には大きな目が付いていたのだ。ぎょと、ぎょと、と私を、私の中身も見られているような気がした。

手の目が弓なりに曲げられる。笑っているのだ。

「お前さん、僵尸きょうしだね」

ほほほほほ、と老婆は笑う。珍しい者がいる、と笑う。きょうしとはなんだ、そもそもここは何処だ。

信号機もアスファルトも建物すら見当たらない。ただ夕暮れと木々があるだけである。知らない、場所だ。

「あの、ここはどこですか」

彼らは顔を見合わせた。答えはない。

「いまはなんじですか」

答えはない。上手く口が回らない。頼りない声があぶくのように弾ける。

「えきはどっちですか」

「いえにかえれますか」

「あなたたちはだれですか」


「わたしはなんですか」

最後の泡も弾けて、消えた。



顔を伏せてしまった私に彼らはゆっくりと語り始めた。

ここは義阿山だということ、自分たちはアオ鬼と樫女だということ、そして私が死んでいるということ。

死んでいる、らしい。そんな馬鹿な、だって怪我もしていない、と思った。

身を検めるために立ち上がる。バランスを崩した。とっさに近くの木を掴むと、音を立てて幹がへしゃげた。

「僵尸は、総じて怪力だ。不用意に物を触るな」

とアオ鬼が呟いた。助言のようであった。

「きょうしとは、なんですか」

それが私であるように語られる、きょうしがわからない。

「僵尸とは…きょんしーとも言うね。生きる屍だ。呪師によって作られる場合と自然に生まれる場合があるけどお前さんは後者のようだね。人を食べたり、生気を吸ったりする。あれだ、余所でいうぞんびだよ」


キョンシー、ゾンビ。私はそんなものになってしまったらしい。

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