第三十二章 聖戦の加護 -8-
斬り落とし。
撃ち込んだノートゥーン伯から見れば、なにをされたかわからなかっただろう。
攻撃したはずの自分が、斬られている。
究極のカウンター技だ。
脇から見ていたからわかるが、正面からならぼくとてひとたまりもなかっただろう。
それほど、ブンゴの剣は精妙だった。
その刃が、伯爵の頭上で、一瞬止まった。
刹那、ノートゥーン伯が身をかわす。
危機を回避した伯爵は、荒い息を吐きながら、咄嗟にファリニシュを見た。
彼を救ったのは、当然ファリニシュだ。
あの狼がブンゴを凍り付かせて動きを止めなければ、伯爵は真っ二つにされていただろう。
「──獣ガ邪魔ヲシテクレルモノヨ。ヤハリ、貴様ヲ放置シテイタノガ誤リダッタカ」
初めから、ブンゴはファリニシュを警戒していた。
此処まで明確にファリニシュだけを警戒されたのは、初めてだ。
こいつは正確にファリニシュの素性と力を見抜き、唯一自らに敵し得る存在として認めていたのだ。
「イリヤ・マカロワ──貴女なら、あの魔王の剣に勝てるのか?」
喘ぎながら、ノートゥーン伯が尋ねる。
ブンゴとの、力の差がわかったのだろう。
どんなに勇気があろうと、もう一回斬り込むことはできまい。
「かように渇いた地では難しなんすな。ペレヤスラヴリであれば、わっちに敵はおりんせんが」
ファリニシュは武人というわけではない。
むろん、肉体的な強度は高いが、武術を修めているわけではない。
氷雪系の魔術が、主な攻撃手段だ。
だが、それはこの砂漠の地では相性が悪い。
全力を出せる環境ではないのだ。
それでも、ブンゴを一瞬でも凍り付かせたのはファリニシュならではだろう。
ぼくの
魔法に対する彼の防御は、かなり高い。
魔族特有の豊富な魔力と、それを圧縮して運用する技術が立ちはだかっている。
やつの剣は幾つか見たが、下から斬り上げる
だが、その精度と威力が桁違いに凄い。
ぼくの
魔力の練り方が、イスタフルの武人とは雲泥の差だ。
「──イリヤ、援護を頼む。やつには、ぼくだけでも、イリヤだけでも勝てない」
ならば、一人で勝つことは諦めよう。
幸い、セリム・カヤの兵はみな逃げ去っている。
ブンゴは、一人だけだ。
トリアー先輩がとりあえず命を繋ぎ止めたなら、彼女の回復は後回しにしてファリニシュにはぼくの援護に回ってもらう。
さもないと、ブンゴに斬られる者が続出しかねない。
「クカカ! 強敵、
「──やってみろよ!」
「デハ、参ロウカ」
滑るように、ブンゴが動き出した。
独特の歩法。
油断は、なかった。
だが、それでも一瞬、繰り出される斬撃への対応が遅れる。
正面からでは、見えないようになっているのだ。
ノートゥーン伯への攻撃を横から見て、わかったことだ。
やつと相対しては、術中にはまるだけ。
だから──。
むろん、一瞬で砕かれるが、その僅かな時間で回避はできる。
その隙に距離を詰め……。
いや、詰まらない。
いまの間合いは、ブンゴの刀の間合いだ。
アセナの技を使うには、どうしても刃を掻い潜って接近しなければならない。
だが、踏み込んでもブンゴが下がる。
攻撃の瞬間に踏み込んでいるはずなのに、どうしても距離が詰められない。
間の取り方が、恐ろしくうまい。
ファリニシュのお陰でなんとか攻撃は防げているが、こっちの攻撃が届く気がしない。
接近するのが駄目ならと
もっと至近距離じゃないと、当たらない。
だが、間合いが縮まらない──。
歩法が重要なのは、知っていた。
ぼくも、アセナの歩法は幾つも修得している。
だが、クリングヴァル先生ほど全てを使えるわけではない。
歩法に頼らなくても、加護の力で接近できたからだ。
なんてこった。
これじゃ、人のことを笑えない。
加護に頼っていたのは、ぼくの方じゃないか。
「クカカ……一度見セタ技デハ、通ジヌヨウジャノ。
奥義とは、切り札だ。
ブンゴの
ブンゴの言うとおり、あれでぼくを殺せなかったのは、大きなミスだ。
ぼくの攻撃も通じないが、ブンゴもファリニシュの介入でぼくに攻撃を当てられない。
次第に、ブンゴに苛立ちが見えてきた。
「ダガ、コレハドウダ」
下からの斬り上げでないなら──上か!
跳躍からの唐竹割り。
上を見る前に、身体が動いていた。
円運動で回転し、刃の圏外へと逃れる。
「──
危ないところだった。
咄嗟に上からの攻撃を予測しなかったら、真っ二つになっていた。
下からのフェイントが、完璧すぎたのだ。
あれで逆に違和感が出た。
これも、ブンゴの奥の手のひとつであろう。
ファリニシュの援護がなくともかわされたことが、ブンゴは面白くないようだ。
次第に、ぼくが剣筋に慣れてきているのがわかるのだろう。
見えていなくとも、戦士としての本能が、ブンゴの動きを予測させる。
それは、ファリニシュの反応をも、時に上回るのだ。
ファリニシュが反応できなかった初見の
「驚イタ。大陸ニ渡ッテヨリ出会ッタドノ強者ヨリモシブトイ。ワシニニノ太刀ヲ使ワセタ男ナゾ、本当ニ数エルホドダト言ウノニ」
「こっちも驚きだよ、響談衆。これほどの使い手、ぼくは四人くらいしか知らない」
西方で、ぼくより強い男と言えばこんなもんだろう。
「西方ニソレホド手練レガ……? イヤ、ソノ拳ノ師カ。マダ生キ残ッテオッタトイウコトカ。クカカ──面白イ」
無造作に、ブンゴが踏み込んでくる。
だが、雑ということではない。
正直、彼の所作には微塵も隙がない。
「主様!」
ファリニシュの叫び。
一瞬、ブンゴの動きが止まる。
ファリニシュが凍らせたその一瞬を突いてブンゴとの距離を詰め──。
そして、咄嗟に右に飛んだ。
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