第二十六章 魔王の血脈 -10-

 街道は丘の間を縫うように進み、渓谷の中にあるヴェルケメジル村まで続いていた。

 そこに向かう疲労困憊の騎馬隊を後ろから見ながら、みなの意志の強さを改めて見直していた。

 ろくに身体も動かない状況で、誰一人脱落しなかったのだ。

 これは誇ってもいいのではないか。


 ぼくはと言えば、申し訳ないくらいに疲労はなかった。

 聖杯グラールの液体の効果と、魔力の泉ドライオット・ヤーラッハの加護のお陰で、活力が後から後から沸いてくるようだ。


 外壁もない小さな村で、宿は一つしかなかった。

 憔悴した十八騎の騎馬に不審の目を向けられたが、見るからに高位の貴族とわかるノートゥーン伯を見ると村人は口をつぐんだ。

 だが、全員が泊まれるほど宿は大きくない。

 女性陣だけ宿に泊まり、男は村人の家に分宿することになった。

 分宿と言っても、寝るのは納屋だ。

 まあ、それでも野営よりはましである。


 配られたパンとチーズを食べると、同宿の連中はすぐに藁の中に潜り込んで寝息を立て始めた。

 疲労はわかるが、無警戒だ。

 本来叩き起こして歩哨の順番を決めねばならないのだが、まあ今夜はぼくが務めてやるか。

 どのみち、ファリニシュも警戒しているはずだ。


 索敵の網を広げると、ぼくの感知の範囲が恐ろしいほど広がっていた。

 うえ、情報量が多すぎる。

 処理が追い付かないから、情報の精度を落とすか。

 大きな魔力や殺気の持ち主だけ感知すればいい。


 納屋の外に出て、星空を見上げる。

 丘の頂の上に広がる夜空には雲ひとつなく、東であれだけ天候の異変があったのが信じられないくらいだ。

 あれだけ急激な気温の変化があったら、何らかの影響は出そうなもんだが。

 ファリニシュが何か調整しているのだろうか。


 暫く無心に星を眺めていると、隣の納屋から誰かが出てくる気配があった。

 この隙のない気配は、ティナリウェン先輩だ。

 あれだけ疲労していたのに、休んでいなかったのか。


「ティナリウェン先輩、寝なくていいんですか?」


 青衣に身を固める先輩に、声を掛ける。

 納屋の壁に寄り掛かりながら座っていたぼくに、先輩は初めて気付いたようだ。


「何だ、起きていたのか、アラナン。いや、警戒もせずに全員寝る軍などなかろう。イフリキアには、そんな戦士はいない」


 確かに、ティナリウェン先輩はイフリキアで軍人の経験もあるんだったな。

 イシュマール・アグ・ティナリウェンは、イフリキアの青衣の民ケル・タマシェクの出身だ。

 砂塵舞う南方の大陸の剽悍な遊牧民である。


「ノートゥーン伯は、わざと宿直を決めなかったんですよ。みんな、それどころじゃなかったですからね。心配しなくても、今夜はぼくとイリヤで警戒しときますよ。それに、あっちでストリンドベリ先生も起きていますしね。困った人たちだ」

「ストリンドベリ先生の魔力を感知できるのか?」


 ティナリウェン先輩が驚いて口を開ける。

 そういや、昔は先生の魔力隠蔽コンシールメントを見破れなかった気がする。

 だが、いつからかできるようになっていた。


「この部隊でぼくが感知できないのは、クリングヴァル先生とイリヤだけですよ。そのぼくが断言しますが、もうこの辺りにそう物騒な敵はいません。だから、安心してお休み下さい」


 そう勧めたが、ティナリウェン先輩は首を横に振った。

 剣を壁に立て掛けると、ぼくの隣に腰を下ろす。


「いや、おれも付き合うよ、アラナン。付き合いたいんだ」

「そうですか」


 元々ティナリウェン先輩は饒舌ではない。

 だが、短い言葉に、ティナリウェン先輩の思いが籠っている気がする。

 先輩の軍事的常識からすれば、この騎馬隊は異常だ。

 たった二十騎弱で、敵の主力機動部隊を追いかけ回し、狩ろうとしているのだ。

 普通は、こっちが包囲されて殲滅させられる。

 何しろ味方は学生で、軍人ではない。

 貴族や騎士出身者がいるからまだいいが、年齢が若く従軍経験はないのだ。

 その上、出会う敵がウルクパルにアルトゥンだ。

 化け物が立て続けに襲ってくる状況で、味方に戦死者まで出ている。

 普通の軍人感覚を持っているティナリウェン先輩にとって、ここで撤退しないのは狂っているとしか思えない判断のはずだ。


 事実、先輩は無謀すぎる作戦では、いつも消極的な立場を取ってきた。

 今回の騎馬隊結成も、決して賛成はしていない。

 ベルナール先輩と一緒に、ノートゥーン伯を諌める場面も度々見てきた。

 それでも、いざ命を張らねばならぬときには果敢に先頭に立つ。

 戦場での瞬間的な判断力は、誰よりも優れているだろう。


 そんな先輩がわざわざぼくの隣に座ったのには、幾つか理由が考えられる。

 この間のベルナール先輩のように、騎馬隊を離脱したいと言い出す可能性もあるが、今回は低そうだ。

 何故なら、先輩の表情には負の感情が見られなかったのだ。

 では、この寡黙な先輩が何のために疲れた体を押してまで夜番に加わったのか。


「──何か、ぼくに話でもありましたか? 先輩」

「ん、いや……」


 先輩はおもむろに煙草を取り出すと、一本抜き出し、口に咥えた。

 軽い火魔法で火を付けると、大きく煙を吐き出す。


「──吸うか?」


 ぼくにも差し出してくるが、右掌を上げて断る。

 レオンさんには憧れるが、まだ煙草がぼくに似合うとも思えない。


「そうか」


 先輩は、間を持たせるようにひとしきり煙をふかす。

 煙草にはリラックスする効果もあるというから、戦場で愛用する兵も多いらしい。

 ティナリウェン先輩もその一人なのか。


「ま、別に深い意味なんてない。たまには、こんな夜があってもいいじゃないか。お前さん、いつも一人で突っ込んで、おれたちと肩を並べてないだろう。だから」


 こうして二人、星を見上げてのんびりするのもいいじゃないか。


 先輩の言葉に、思わず胸を突かれる。

 確かに、ぼくは僅かな時間で高等科の先輩たちを追い抜き、学院最強の座を手にした。

 だが、それで先輩たちをどこか侮っていなかっただろうか。

 今日だって、トリアー先輩がいなかったら、アルトゥンに殺されていた。

 明日、ティナリウェン先輩に助けられる可能性だってあるのだ。


「悪いが、エリオットもおれも、こういうことが苦手だ。だから、何か問題を抱える人間がいても放置してしまう。それで、ジリオーラもオーギュストも苦しんでいた。ま、こいつはおれの罪滅ぼしみたいなもんだ。後輩ばかり働かせちまった、な」


 意表をつかれ、まじまじとティナリウェン先輩を見てしまう。

 先輩は煙草を地面に押し付けて火を消すと、訝しげにぼくを見た。


「──何だ?」

「いえ、本当に意外で。申し訳ないですが、先輩ってそういうところに気を遣っていたんですね」

「放っとけ! おれだって木や石じゃねえよ」


 先輩は唇を尖らせたが、目を細めてぼくに視線を移す。

 暫し二人で睨み合う。

 過ぎたのは数秒か、それとも数十秒か。

 どちらともなくぷっと噴き出すと、先輩はぼくの肩を力任せに叩いた。


「いてえっ。アラナン、お前さん、どういう堅さしてんだよ、それ。障壁か?」

「障壁なんか張らなくても、いまのぼくの身体はそこらの剣の刃くらいは弾けそうなんですよね」


 大袈裟に痛がる先輩と笑い合う。

 ま、苦しい戦いが連続したんだしな。


 確かにこんな夜も悪くはない。

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