第二十六章 魔王の血脈 -9-

「お前にとどめを刺したのは、ぼくの拳だ。神の力ではなかったな、ウルクパル」


 紅焔ジャラグティーナに灼かれたとき、ウルクパルはぼくの力量を否定し、神の力だと言った。

 だが、最後に決めたのはアセナの拳と円環の拳の融合。

 まあ、ウルクパルの技だけれどな!


「恐ろしい小僧を──鍛えてしまったですねえ……」


 最後の述懐とともに、ウルクパルの気配が消える。

 降霊シューンスレッグが切れたのだ。

 一度目を閉じ、そして魔女が薄く目蓋を開ける。


 あれほど辺りに撒き散らされていた強大な魔力が、いまはもう見る影がない。

 左手は黒く焦げ、顔を覆っていたヴェールもいまはなかった。


「かはっ」


 吐血と同時に、浮遊も維持できずにアルトゥンが下降し始める。

 すっかり地形の変わった地面に向け、初めはゆっくりと、そして徐々に加速していく。


「なぜ──わたしが負けねば……ならぬのか……」


 アルトゥンの表情には恐怖も怒りもなく、あったのは疑問であった。

 確かに、彼女の力は強大で圧倒的だった。

 ぼくも何度も殺されかけた。

 敗れることは、想像すらしていなかっただろう。

 だが、ぼくは一人で戦っていたわけではない。

 ファリニシュ、マリー、トリアー先輩たちの手助けがあったから、こうして落下する魔女を見送ることができる。


「敗因は、その驕りだ、アルトゥン」


 落ち行く魔女に言葉を投げ付けるが、もう聞こえていないだろう。

 凍り付いた大地に激突したアルトゥンは、鮮血を撒き散らして息絶えた。

 魔王を彷彿とさせた黒き魔女も、ボーメンが終焉の地となったのである。


 魔女の死と同時に、亡骸から光が立ち上った。

 ウルクパルのときにも起きた、加護の剥奪だ。

 あのときよりも光量が多いということは、それだけ死の女王シャヘルの加護が大きかったのか。


 光が収束し、ぼくの中に吸い込まれる。

 どくんと、心臓が大きく脈打った。

 身体中から、燃え上がるように魔力が噴き上がる。

 なんだ、これは。

 身体が熱い。

 ちょっと指を動かしただけで、魔力が飛んでいきそうだ。


魔力の泉ドライオット・ヤーラッハの加護……これが……」


 落ち着いて目を閉じ、魔力を制御する。

 神力の制御すら修得しつつあるぼくだ。

 自らの魔力くらいなら、どんなに巨大でもコントロールはできる。


 それにしても、恐ろしい魔力だ。

 この魔力量は、ハーフェズにも劣らない。

 これを圧縮しきるのは、逆に難しい気がする。

 でも、達成したら開かれた門は空前の規模のものになるだろうな。


 思わず全能感に囚われそうになる。

 だが、ハーフェズもアルトゥンも、敗れたことはあるのだ。

 戦いの勝敗は、魔力の多寡では決まらない。

 何で決まるのか──。

 ぼくにも明確なことは言えないが、結局勝とうとする人の意思ではないかと思う。

 思いの強さこそ、困難を打破する力となるのだ。


 色んな思いを噛みしめながら、ゆっくりと下降する。

 映る景色は、ここに来る前とはすっかり変わってしまっている。

 流石に溶岩の噴出は止まったが、あちこちの地面は隆起しているし、森林は薙ぎ倒され、あるいは焼失し、あるいは凍り付いている。

 街道も石畳が破壊され、馬車が通れる状況ではない。

 近隣の住民には悪いことをしたな。


「やったわね、アラナン」


 力尽きたマリーは、ファリニシュに抱え上げられていた。

 まあ、そこが一番安全だろう。


「ほんまにあれを倒したんか……? ごっつ凄いやんか! まだ信じられへんわ。ここで終わりやと思うたで、ほんま」


 最後まで立っていたのは、ジリオーラ先輩だけのようだ。

 ティナリウェン先輩も、ベルナール先輩も、魔力が尽きて転がっている。

 気絶するまで障壁を維持していたのだから、それはそれで大したものだ。


「もう少し抑えなんし。昔の主様に戻りんしたなあ」


 ファリニシュが苦笑する。

 ぼくが魔力の細かい制御が苦手だった頃を当てこすったのか。

 でも、これでも精一杯抑えているんだが。

 それでも、軽く石を握れば砕けそうなくらいに力が溢れている。


「──ハーフェズの気持ちがわかるよ。これじゃあ、学院の初等科で本気になんかなれっこない」

「主様もようお相手いたしんしたなあ」


 クリングヴァル先生に出会って、基礎魔法ベーシックとアセナの拳を教わったからだ。

 そうじゃなければ、逆立ちしたってハーフェズには勝てなかった。

 ぼくがいまあるのは、本当に先生のお陰だ。


「ゆっくりしてないで、とっとと移動するですよ。くたばっている連中の尻を蹴り飛ばして、叩き起こしてください。どっかの年増が見境なく凍らせるから、寒くてしょうがないですよ。このままじゃ、凍え死んじゃいます」


 なごやかなムードをぶち壊す馬がいた。


 とはいえ、言っていることは間違っていない。

 確かに、気温が大分下がっている。

 ぼくは自分の周囲の気温を調節できるが、へたり込んでいるみなはそうもいかない。

 ここで寝たりしたら、折角助かった命も失う羽目になるかもしれない。


「仕方ない。移動しようか。ノートゥーン伯は起きているのか?」


 声を掛けると、よろよろと見慣れたアルビオン貴族が立ち上がる。

 足に力はないが、意地で立ち上がったようだ。


「そうしようか。ストリンドベリ先生、エスカモトゥール先生、宜しいか?」


 ぼくが来る前にみなを守っていたのは、二人の先生だった。

 何せファリニシュと黒の魔女と対峙していたのだ。

 荒れ狂う自然と魔力に耐えきっただけでも凄い。


「こういうときこそ、長駆の調練にはちょうどいいな。スヴェンなら、そう言うはずだ」

「クリングヴァル先生の悪癖を真似なくてもいいですよ!」


 思わずストリンドベリ先生に突っ込むが、それが先生の強がりであることに気付いて口をつぐんだ。


「大丈夫だよ、アラナン。わたしたちは教師なんだ。生徒にばかり負担を掛けるわけにはいかないさね」


 白衣を翻すと、格好よくエスカモトゥール先生が立ち上がった。

 ぴんと張った背中には、疲労の色は見られない。

 痩せ我慢もこのレベルまで行くと感動するよ。


「さあ、みんな立ちな。移動するよ。遅いやつは、夕食抜きだからね。腹が減っているなら、死ぬ気で立ちな」

「そりゃ殺生ですよ、エスカモトゥール先生」


 トリアー先輩が立ち上がろうとするが、力が入らない。

 彼女も体格のせいか、大食いだ。

 飯抜きを想像してか、情けなさそうな顔をしている。


「ほら、先輩。手を貸しますよ、どうぞ」


 トリアー先輩に右手を差し出す。

 先輩は太い眉の下の双眸をぼくに向けると、にやっと笑ってその手を掴んだ。


「礼は言わないよ、アラナン・ドゥリスコル」

「命の借りに比べれば、安いもんですよ、先輩。助かりました。アルトゥンに勝ったのは、先輩のお陰です」

「はっは! 天下のアラナンに感謝されるとは、あたしも偉くなったもんだね!」


 膝を叩いて愉快そうにトリアー先輩が笑う。

 短い赤毛が少し伸びてきていることに気付く。


 それは、今までぼくが気付かなかった小さな変化。

 マリーやハンスたちだけじゃない。

 この人たちも、学院の大切な仲間なのだ。

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