第二十五章 無音の暗殺者 -3-
クリングヴァル先生とエスカモトゥール先生のしごきに耐えて、ようやく宿に帰ってきた。
いやー、流石にもう疲れたよ。
常時
ぐったりしているのは、精神的な疲労だ。
そんな感じでぼうっとしていた意識が、いきなりのファリニシュの念話で覚醒させられる。
(主様! カサンドラ・ペルサキスがわっちの領域の外に出なんした!)
んあっとと。
何だって?
ファリニシュは、確かブリュンの宿を中心に敵を感知する領域を展開して怪しいやつがいないか見張り、高等科生たちを見守っていたはずだ。
高等科生たちはブリュンの街に繰り出していたようだが、ファリニシュの感知の範囲からは出ないよう、予め言い含められている。
それを破って飛び出ただって?
カサンドラ先輩はちょっとひがみっぽいが、無謀な性格ではない。
わざわざ自分から危険なことをしようとは思わないはずだ。
(感知が消失したのはどのあたりだ?)
(大聖堂の南でありんす。いまビヨルン・ストリンドベリが向かいなんした。主様もお願いいたしんす)
クリングヴァル先生にも同じ念話が届いていたようで、顔をしかめている。
先生は、エスカモトゥール先生にファリニシュと宿の警護をするように頼むと、ぼくの方に向き直った。
「急ぐぞ」
いつもへらへらしているクリングヴァル先生の真面目な表情にどきっとする。
事態の深刻さが身に染みた。
小高い丘の上に佇むシュピルベルク城を右手に見ながら、南へと向かう。
じきに青い屋根の大聖堂が見えてくる。
それを更に通り過ぎると、スヴラトカ川の流れに行き当たる。
川に沿って城壁が築かれており、ブリュンの堅固な守りとなっている。
ストリンドベリ先生を発見したのは、その城壁の近くの小路であった。
「来たか、スヴェン」
巨体が震えていた。
ストリンドベリ先生の足許には、子犬を抱えた少女が一人血まみれになって倒れている。
少女の背中には大きな弾痕が開いており、一目見ただけで死んでいるのがわかった。
「唐突に吠え出した犬を見て、ペルサキスはいきなり庇うように抱え込んだらしい。その瞬間、血だらけになって倒れたそうだ」
「ふん、ウルクパルも犬に察知されるとは落ちぶれたじゃねえか」
「いや、あのウルクパルがそんな間違いはしない。わざと犬を吠えさせた。そして、ペルサキスを誘い出したのだ」
そうか。
カサンドラ先輩は、動物と意思の疎通ができる。
だから、子犬が吠え出したときに危険を感知した。
ウルクパルは、子犬を痛め付けることでカサンドラ先輩をファリニシュの感知の圏外に誘おうとしたのだろう。
子犬を庇おうとするとまでは思っていなかっただろうが。
「ビヨルン、彼女を頼む。おれはウルクパルを追う」
「やつの足取りがわかるのか?」
「やつの任務はケルテース・ラースローに協力することで、おれたちの暗殺じゃない。ならば、やつが都市に侵入した目的はひとつだ。内部から門を開け、騎馬隊を率いれること。つまり、此処から近い南大門にいるだろう」
先生たちの声を聞きながら、ぼくは彼女がしっかり抱えていた子犬を抱き上げた。
強い力で抱え込まれた子犬は、脱出できずにもがいていたのだ。
抱き上げた子犬は、カサンドラ先輩が亡くなったのがわかっているのか、引き離された瞬間、悲しげにきゅーんと鳴いた。
「そうか」
ぼくは子犬の頭を撫でると、抑揚も入れずに呟いた。
「わかるか、お前にも」
カサンドラ先輩とは、それほど話した記憶はない。
でも、ジリオーラ先輩とはよく話していた。
というより、喧嘩していたのか。
国はなくなっても、グリース人としての誇りは失くしていない人だった。
長駆が終わるといつもだらしなくへたばっていたが、疾駆中に脱落したことはない。
ストリンドベリ先生が彼女を抱え上げて歩き出した。
衛兵を呼ばれそうな気もするが、甲冑で武装した巨漢のスヴェーア人に近付こうとする命知らずもそういない気がする。
「行くぞ、アラナン」
クリングヴァル先生は、南大門へと向かおうとする。
ぼくは小さく首を振った。
「先に行っていて下さい」
「何だ? 感傷か? 確かにペルサキスを殺されたことにはむかついているが、いまは優先することがあるだろう」
「──すぐ追い付きます」
訝しげに先生は首を捻ったが、状況は切迫している。
ぼくとの問答に拘らず、じゃあ後から来いと言い捨てて先生は走っていった。
「それほど確証があるわけじゃないんだけれど」
ぼくは子犬を地面に下ろすと、駆け去っていく姿を見送った。
「さっきから、ぼくの勘が警鐘を鳴らしているんだよね、此処が危険だって。だから、ウルクパルはまだ去っていない。此処に残っているはずなんだ。──そうだろ、
ぐるりと周囲を見回す。
不思議なことに、この周辺には全く人通りがなかった。
ストリンドベリ先生は周辺の目撃者に聞き込みなどもしていたようだから、少なくともさっきまでは普通に人の喧騒があったはずだ。
ひひひひ。
そんな人気のない裏通りで、何処からか笑い声が聞こえてくる。
不気味な話だが、予想が外れていなかったことに安堵も覚える。
「やはりいたか、アセナ・ウルクパル。此処でカサンドラ先輩を殺したのは、貴様の本来の任務ではない。ならば、クリングヴァル先生の読んだ南大門にはいないはずだ。貴様の目的は、誰かを誘き寄せたかった。クリングヴァル先生を行かせたということは、ぼくが標的と言うことだ」
よくぞ、見破りましたね。
薄暗い路地に、ウルクパルの声が響き渡る。
声は不思議と反響し、一方向から聞こえてこない。
昨日の勝負はいいところで邪魔が入りましたからねえ。
職業柄、獲物はきっちり最後まで仕留めないと、落ち着かないんですよ。
演説の途中で、ぼくは軽く体を捻る。
すれすれを、
突き当たりの壁に、弾痕が刻まれた。
「無駄だ。何となくだが、ぼくには
忌々しい小僧ですね。
ウルクパルの言葉に、憤激の色が混じる。
だが、冗談ではない。
そう──。
「悪いが、ウルクパル。怒っているのは──こっちの方だ」
怒っている。
そうだ、ぼくは憤っていたのだ。
幼い頃から戦うための訓練を受けたぼくは、日頃は激しい感情を抑えるようにしている。
感情を昂らせては、戦闘時に冷静な判断ができない。
そして、それは往々として死に直結する。
いまのぼくは、冷静な判断ができていない。
それはわかっていた。
何せ、一日中鍛練をして、魔力も精神も磨り減らしている。
万全じゃない状況で、一人でこんな強敵と対峙するなど、愚の骨頂だ。
だが、クリングヴァル先生やファリニシュを呼べば、ウルクパルは去るだろう。
こいつは、あの二人と直接戦おうとは思っていない。
他にも任務がある以上、自分に危険が及ぶ戦いをするつもりはないのだ。
それで、ぼくなら余裕で相手ができるってことか。
ふざけるな、ウルクパル。
そんなことのために、わざわざカサンドラ先輩を殺したのか。
「来い、ウルクパル。来年の今日、お前のために祈ってやる。地獄で苦しむようにな!」
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