第二十四章 イ・ラプセルの騎馬隊 -1-

 湖畔を渡る風を感じた。


 北にシュトランツ湖を臨み、南にかつて実習で向かったゼルティン山を控える街道。

 それはまた、ファドゥーツ伯の領土の北に繋がる道でもある。


 現在のファドゥーツ伯は、シュヴァルツェンベルク家が兼ねる。

 それはつまり、ボーメンの赤い悪魔ルディ・ダーベルミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルクの支配下にあるということだ。


 急造の騎馬隊を結成し、訓練もろくにせぬままフラテルニアを発ったぼくらの、最初の関門がここになる。


 もっとも、シュヴァルツェンベルク伯は麾下の兵を率いてエーストライヒ公国軍に帯同しているから、ファドゥーツ伯領には警戒するほどの兵は残っていないはずだ。


 二十騎の先頭を征くはノートゥーン伯。

 いかにも貴族然としたノートゥーン伯が、従士も連れずに騎馬で駆けるのはやや違和感がある。

 まあ、騎馬ばかりで二十騎、それも若い男女が多い集団など怪しさ満点だろうな。

 とはいえ、ヘルヴェティアの領内なら問題はない。


 ぼくたちの第一目標地点は、ブレアガーツである。


 ブレアガーツは、エーストライヒ公国領の西端に位置する都市である。

 かつてはブレアガーツ伯の領土であったが、ヴァイスブルク家がブレアガーツ伯の爵位を取得し、そしてファドゥーツ伯の爵位とともにミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルクに授けた。


 ここを放置しておくと、ヘルヴェティアやパユヴァール公の軍が後背を攪乱されることになる。

 その前に叩くのが、ぼくらのひとつ目の任務であった。


 普通に考えれば、二十騎ばかりの騎兵に与えられる役目ではない。

 無茶な命令をしてくれるものだ。


「ファドゥーツから、乾肉やチーズが運ばれてくる。まずはそれを奪い、シュヴァルツェンベルク伯の食糧輸送計画を狂わせるぞ」


 事前にノートゥーン伯から方針は示されている。

 盗賊の真似事のようなことをするのは、急造の騎馬隊の演習を兼ねてのことらしい。

 実戦こそ最大の教練ということだ。


 まあ、地方の領主の警備隊くらいなら、ぼくだけでも蹴散らせなくはないだろうけれどさ。


 国境の村マルグレーテに到着すると、ノートゥーン伯は小休止を取った。

 ヘルヴェティア領内では街道を進んできたが、ここからは街道を外れて進むことになる。

 街や村に立ち寄るのも、パユヴァール公の勢力圏に入るまではお預けだ。

 だから、最後の補給も兼ねての小休止となる。


 とはいえ、フラテルニアを発ってまだ数時間。

 物資も十分に持ってきているし、身体強化ブーストしているぼくらに疲労はない。

 小さな村にはさほど物資もないし、わざわざ補給する必要もないかな。


 そう思っていたが、ジリオーラ先輩はエスカモトゥール先生や数人の女生徒を連れて村の散策に出掛けていった。

 ぼくたちはリンドス島で実戦の経験があるが、高等科生の大半は初陣だ。

 緊張をほぐすためにも気分転換は必要かもな。

 流石エスカモトゥール先生やジリオーラ先輩はそのあたりの機微に聡い。


 ぼくも周囲を見回してみると、落ち着かない様子でヴォルフガングが地面に座り込んでいるのが見えた。

 そういや、ハンスが帝国に帰ったから、ヴォルフガングは導いてくれる先輩がいなくなったんだよな。

 唯一の中等科生だし、ここは先輩として励ましてやるべきだろうか。


「平気か、ヴォルフガング」


 声を掛けると、ヴォルフガングはぼくの姿を認め、慌てて立ち上がった。


「いやですね、アラナンさん。平気ですよ、平気。これでも帝国騎士ライヒスリッターですからね」


 強がってはいるが、ヴォルフガングは実戦に出たことがない。

 落ち着かなげな様子で、緊張しているのは丸分かりだ。

 彼ほど才能のある騎士でも、経験だけはどうしようもない。


「まあ、座れよ、ヴォルフガング。お前は親友のハンスが目を掛けていたからな。むざとこんなところで殺すわけにはいかないんだ」


 ヴォルフガングの隣に腰を下ろすと、軽く縁石を叩いた。

 ちょっと迷っているようであったが、ヴォルフガングは素直に座り込む。


「前に言っただろう、初等科の頃、ぼくはハンスやマリーより身体強化ブーストが下手だったって」

「──そういえば、そんなことも……とても信じられませんが」

「ぼくは元々魔術師エレメンタラーだからな。自分の魔力を使うのは苦手だったんだ。でも、そんなぼくでも、学院に入る前に一度実戦を経験している。マリーを拐おうと襲ってきたブライスガウ伯の兵とな」


 ヴォルフガングが目を見張った。

 ブライスガウ伯とのことは知らなかったのだろうか。

 貴族と平気で事を構えたぼくに呆れたのか?


「これでもぼくは、故郷では戦士として育てられた。魔物は数えきれないくらい狩ってきている。それでも、人間を殺したことはなかった。偶然出会っただけのマリーのために、わざわざ帝国の兵と殺し合いをするなんて莫迦のすることだ。ヴォルフガングもそう思うだろう?」

「え……いや、まあ、そうですね……」

「本当、巻き込まれただけだったんだ。ぼくが戦う必要なんてなかった。でも、ヴォルフガング。男だったら、女の子の前でつい格好付けたくなることってあるだろう?」

「──は? 格好、でありますか?」

「そうさ。男なんてのは、単純な生き物なんだ。ちょっと可愛い子が困っていたら、つい背伸びして助けちゃったりするもんなんだよ。あのときのぼくが、まさにそんな感じだったな」


 ヴォルフガングの目が丸くなっている。

 かなり、意表を突かれたようだな。


「それでもさ、甲冑をつけた騎士相手の接近戦はちょっと怖かった。だから、ぼくは遠くから呪文だけ使って接近戦はやらなかったよ」

「アラナンさんが、でありますか?」

「そうさ」


 くすくすと笑い、ヴォルフガングの肩を叩く。


「このフェスト優勝者であるアラナン・ドゥリスコルが、さ。表向きは平静さを装っていても、やっぱり怖いときは怖いんだ。だからさ、ヴォルフガング。気楽にやれよ。初陣で怖いのはお前だけじゃないし、お前は当時のぼくの何倍も強いんだからさ」


 ヴォルフガングは酢を飲んだような表情をしていたが、ようやくぼくが元気付けようとしていたことに気付いたのか、顔を紅潮させた。


「は……いえ、有難うございます。大丈夫です、やれます」


 柄でもないことをしているな、とは思ったんだ。

 ここにカレルでもいれば、珍しいことしてんじゃねえってからかってきたんだろうな。

 でも、ハンスもアルフレートもハーフェズも去り、カレルは中等科のままだ。

 同じ高等科生でも、ノートゥーン伯やジリオーラ先輩、マリー以外とはそんなに話したこともない。

 ぼくも少し寂しかったのかもしれないな。


「まあ、恥ずかしい話はそれくらいにして、中等科のことでも聞かせろよ。いまのランキングはどうなってんの? え、トップがお前なのは知っているのよ。二位がイザベルで、三位がビアンカ……四位がアドリアーノね。あまり変わってないな。え、ヘルマンとアリステーアが十位と十二位なの。中等科に上がっていたんだなあいつら」


 だから、たまにはこんな雑談もいいと思うんだ。

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