第二十一章 乱世の胎動 -7-

「パユヴァール公の去就で決まるのは間違いない」


 黒騎士シュヴァルツリッターが重々しく頷いた。


 彼の部屋は宿の最上級のもので、広さも清潔感も申し分ない。

 ぼくにハンス、クルト卿が入っても狭さは感じなかった。


「マイン大司教も未だにパユヴァール公の意志の確認ができていないというのは朗報だ。こちらにも、手を打つ猶予はある」

「パユヴァール公は、エーストライヒ公と仲はよくないのです。直接動くより、教会の権威を利用するでしょう。彼は敬虔なルウム教徒ですからね」

「パユヴァール公とエーストライヒ公の仲がよくないのは好都合なんだが、ボーメン王もザッセン辺境伯もブランデアハーフェル辺境伯も、決して友人というわけではない」


 ふむ、大貴族の中でも、旧い伝統があるホーエンローエ家は、他の新興貴族を見下しているところがあるというからね。

 間に入る潤滑油のような人が欲しいところだな。

 ──って、そりゃ、いるじゃん、一人。

 パユヴァール公はホーエンローエの本家なんだから、分家とはいえホーエンローエ家のルイーゼさんなら、間を取り持てるんじゃないかな?


「ルイーゼ・フォン・ホーエンローエ、風の侯姫ヴィント・フュルスフィンか」


 ぼくがそう進言すると、黒騎士シュヴァルツリッターは懐かしそうに目を細めた。

 だが、その目はすぐに閉じられる。


「ランゲンブルク侯のご息女だが、確か冒険者となっておろう。大陸の果てにいてもおかしくない。フランヒューゲルに招くのに、時間がかかっては意味がないのだぞ」

「いえ──ルイーゼさんは、あと数日でフランヒューゲルに入るはずです。レオンさんと一緒に」


 黒騎士シュヴァルツリッターとクルト卿が、顔を見合わせた。

 都合のいい話に、二人は警戒の色を強めたのかな。

 でも、仕方ないじゃないか。

 派遣したのは学長だし、当然その血の繋がりも計算に入れているはずだ。


「──よかろう。ホーエンローエ嬢が了承したら、彼女を伴ってパユヴァール公に会いに行こう。だが、問題はその後だな」

「パユヴァール公を釣る餌を何にするか、ですか。あの頑迷な老人が何を欲しがっているのか。これは難しいところですなあ」

「我らは剣に生きる者。贈り物の類いには詳しくない。だが、貴族が欲しいのは名誉か所領。そんなところではないか」

「古来、スカンザ民族の大きな部族といえば、サリ、アレマン、ザッセン、パユヴァールの四つでした。サリ人は西方を押さえアルマニャック王国を作り、アレマン人はレナス川流域を支配し、ザッセン人は北方を、パユヴァール人は東方を我が物としました。ですが、アレマン人の貴族たちはレナス川の南から追い払われ、北と東に逃げました。そして、その一部はパユヴァール人の領域を奪った」


 クルト卿は静かにスカンザ民族の歴史を語った。

 東方の地、そこはパユヴァール人とて奪い取ったものである。

 元来、そこはセルト民族の土地だったのだ。

 だが、一度手に入れた土地に固執するのは、人間誰でも同じであろう。


「つまり、クルト卿は、パユヴァール公にエーストライヒ公の土地を与えよと? だが、そんな権限は我らにはない」

「甘いですぞ、レナス帝領伯。どのみち、どちらが皇帝になろうと不満を持った方がいくさを起こします。ならば、勝利した暁にはエーストライヒ公の所領など自由にできましょう」


 確かに、そんな約束をレナス帝領伯が行うわけにはいかなかった。

 やるなら、ボーメン王その人でないと、意味はないであろう。

 その後も少し話していたが、結局レナス帝領伯には決断ができなかった。

 一度、ボーメン王と相談してからでないと無理だという。


 しかし、それでいいのだろうか。

 フランヒューゲルに集結する諸侯で、最も早かったのは、マイン大司教だ。

 マインとフランヒューゲルの距離は二十五マイル(約四十キロメートル)。

 二日で到着できる。


 次に来たのは、ヴィオルン大司教とトレヴェリンゲン大司教。

 どちらもフランヒューゲルと百十マイル(約百七十五キロメートル)程度の距離である。

 十日もかからないで、到着できる。


 レナス帝領伯は、所領からではなく、帝国の首都のレツェブエルから来た。

 レツェブエルからは、およそ百四十マイル(約二百二十キロメートル)。

 十日ちょいはかかるだろう。


 近い諸侯は、それくらいだ。

 次に近いパユヴァール公でも、ミンガから二百十マイル(約三百四十キロメートル)。

 到着には二十日弱はかかるはずだ。


 ザッセン辺境伯はそこから一、二日遅れるだろうし、ボーメン王とブランデアハーフェル辺境伯は更に五日は遅くなるだろう。

 そして、一番遠いエーストライヒ公は、その二人の到着の後ですら、十日は待つことになるであろう。


 つまり、会議が始まるにはまだ一ヶ月はかかるということだ。

 そして、ボーメン王の到着までにも、まだ二週間はある。


 それまで決定せずに、ただ待つだけってのも時間の無駄ではなかろうか。


「それじゃ、手紙はどうでしょうか。ボーメン王宛の手紙を書いて戴ければ、すぐに届けますよ。許可が出れば、今度はパユヴァール公に手紙を持っていきます」


 ボーメン王が二週間かかる距離でも、ぼくなら二、三時間だ。

 返事さえすぐに貰えれば、当日中に往来できる。


 この移動速度に、レナス辺境伯も驚いていた。

 戦闘速度ではぼくに劣らぬ黒騎士シュヴァルツリッターであるが、それを持続して移動手段とはできないらしい。

 走る距離が長くなるほど、速度は出せなくなるのだろう。

 ぼくも長距離の移動では、鳥の飛行速度とそれほど変わらない。


 この案は、レナス帝領伯も有効だと判断したようだ。

 鵞ペンを持ち、手紙をしたため始める。


 その間、ぼくはハンスにリンドス島の戦闘について語ってやった。

 ルウム教会と魔法学院には連絡は行っていたはずだが、レツェブエルの宮殿にはまだ詳報が届いてないようだったからな。


 船を沈めて回った話や、上空から皇帝親衛隊イェニチェリ聖爆炎ウアサル・ティーナを浴びせかけた話、黒石カアバ長老シェイフュルを討ち取った話などをすると、ハンスは無論横で聞いていたクルト卿も唖然としていた。


「本当に一人でそんなことしていたのかい? アラナン君一人で、一個軍団に匹敵する戦力だね、まるで」

「大袈裟だな。だが、北のポルスカの傭兵でも、火縄銃マスケットを所持している。セイレイスの火縄銃イェニチェリの装備率は異常なほどだ。ハンス、これからの戦争は、騎士を揃えれば勝つという単純な図式のものではなくなっていくよ」


 剣を極める選択をしたハンスには、面白くないかもしれない。

 だが、そう思っていたのは、ぼくだけであった。

 ハンスもクルト卿も、そんなことはとうにわかっているという表情である。


「意外そうな顔をするな、アラナン・ドゥリスコル。だが、わたしたちはずっと思っていたのだ。武器の進化によって、騎士は無用の長物と化す。そのとき、我々はどうするのだろう、とね」

「わたし自身、遠距離の魔法戦は得意ではない。接近して剣を振るうことしかできない男だ。だが、だからこそわかる。騎士も今のままでいられる時代は、そう長くは続かないだろうと」

「無論、わたしはその流れを無条件で受け入れるつもりもないがね、アラナン・ドゥリスコル」

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