第二十一章 乱世の胎動 -6-
さて、それでは早速諜報活動に入ることにしようか。
本来こういう任務は、ジリオーラ先輩やマリーの方が得意である。
だが、その気になればぼくにもできないことはない。
マイン大司教ダニエル・フォン・リーベンシュタインは、他の二人の大司教とともに聖バルトマイン大聖堂に滞在している。
とすると、まず聖バルトマイン大聖堂に探りを入れるのが筋道だろう。
まずは、大聖堂に行ってみようか。
一階の礼拝を行う聖堂には、自由に立ち入りができる。
人出が多いだけあって、聖堂内はかなりの見物客で賑わっていた。
帝国の大動脈ともいえるのが、レナス川である。
多くの物資が舟に乗せられ、この水の道を行き交う。
そして、そのレナス川流域を支配しているのは、基本的に聖界諸侯、ルウム教会の司教たちである。
その司教をまとめるのが、三人の大司教であった。
フランヒューゲルのこの聖バルトマイン大聖堂も、マイン大司教の管轄下にある。
聖堂の中央の祭壇で祭服を着た男が何か喋っているが、話の内容はどうでもよく耳には入ってこなかった。
赤茶色の煉瓦で作られた高い壁を見上げながら、ちらちらと回りの状況を確かめる。
塔への出入り口には、武装した兵が二人、歩哨に立っていた。
三人の大司教は聖堂ではなく、塔に滞在しているはずだ。
兵の目を誤魔化してすり抜けるくらいは容易いが、空から行く方がもっと侵入しやすいだろう。
だが、まずは、会議の開催場所となるこの聖堂を下見したかった。
中央の司祭が話している祭壇の奥は、綱が張られていて立ち入り禁止になっていた。
そこには大理石の円卓があり、椅子が七個置かれている。
まさにそこが、会議を開催する場所であった。
天井から壁の上方を見上げる。
華美な装飾はないが、それでも巨大なパイプオルガンの上方は、身を潜めるには都合がよさそうだ。
翼でもなければ、そこに誰か隠れているなど発見できまい。
それから外に出ると、路地裏に入り、そこから一気に屋根に飛び上がった。
屋根の上を身を隠しながら伝っていき、聖バルトマイン大聖堂の聖塔を仰いだ。
塔の窓は基本的に開いてはいないし、バルコニーのようなものもなかった。
ガラス製の建築物としての美を意識した窓で、実用を狙ったものではないのだろう。
お陰で中の様子は外から丸見えではある。
塔の最上階にいるのが、マイン大司教ダニエル・フォン・リーベンシュタインのようであった。
赤い祭服に身を包んだ小男である。
執務机で鵞ペンを走らせており、それを机の前で二人の男が待っているようであった。
残りの二人は、ヴィオルン大司教とトレヴェリンゲン大司教であろうか。
聴覚を上げて聞き取ろうかとも思ったが、単純に聴覚を上げるだけだと街の喧騒に耳を潰されてしまう。
他の方向からの音は結界で遮断して、塔の方向からの音だけを拾うように調整してみた。
(グニエズノ大司教はグニエズノに戻ったようですな)
ユルゲンによく似た大男が喋っていた。
これが、トレヴェリンゲン大司教オットー・フォン・ツェーリンゲンかな。
(ポルスカ王国は異教徒に対する最前線なのだ。後退は許されぬ)
鵞ペンを動かしながら、マイン大司教は言った。
ベルナー山脈から北では、教皇の代理人ともいえる最高位の地位につく人物である。
小さい体ながら、威風は他の二人を圧倒していた。
(しかし、新しいエーストライヒ公は、何を考えているんでしょうな。父親は教会と対決する姿勢を見せていたのに──)
針金のように痩せた男が、マイン大司教の後を受けて口を開いた。
当然、この男がヴィオルン大司教ループレヒト・フォン・ヘッセンであろう。
(彼が何を考えていようと、利用できるなら手を組むのも悪くはない。実際、ポルスカ王国はエーストライヒ公の助力がなくば教会の復権はかなわぬのだからな)
(ですが、そもそもポルスカを異教の国としたのは、先代のエーストライヒ公ではありませんか)
ヴィオルン大司教は、意外と鋭い指摘をしていた。
そうだ。
ルウム教会の力がこれ以上伸びることを、エーストライヒ公は望んでいない。
それは、先代も、当代も同じだ。
だが、皇帝になるためには教会のバックアップがいる。
そのための仮初めの連携にすぎない。
(リンブルク家を担げば教会は安泰かといえば、それもないぞ。リンブルク家の後ろ楯のザッセン辺境伯とブランデアハーフェル辺境伯は、どちらも聖修道会寄りだ。あれを皇帝にすれば、必ずヘルヴェティアと結んで教会に対抗してくる。だが、ヴァイスブルク家は、ヘルヴェティアと結ぶことはあるまい)
マイン大司教の分析に、思わず頷いてしまった。
なるほど、そういう考え方もあるのか。
ルウム教会が一番警戒しているのは、ヘルヴェティアと聖修道会の力の進展なのだ。
(流石はマイン大司教。ですが──肝心のパユヴァール公がどう出るか、全くわかりませんな)
大男のトレヴェリンゲン大司教が重々しく首を振る。
(彼は教会の権威を認めておる。だが、エーストライヒ公とは仲はよくない。もともと、ヴァイスブルク家は余所者なのだ。地元のパユヴァール人の取りまとめは、自分がやるものだという思いがパユヴァール公にはある)
うん、でもパユヴァール人自体がセルト系とスカンザ系の混血だけれどね。
昔エーストライヒ公国近辺にいたノリキア人も、パユヴァール公国近辺にいたバイオ人も、どちらもセルト民族である。
今ではパユヴァール人と同化してしまって、全くセルトとしての意識などなくなってしまっているだろう。
大昔のルウムの教会とラティルス人の巧妙な蛮族政策が、誇り高きセルトの血をほとんど失わせてしまったのだ。
(パユヴァール公もエーストライヒ公もまだ到着していませんが、距離的にはパユヴァール公がそろそろ到着する頃。リンブルク家に与する諸侯が到着する前に、先に我らで話をつけておきたいところですな)
(レナス帝領伯は、どうしているのだ)
(今日到着したばかりでございますよ。甲冑を身に付け、馬で来るような者どもです。今頃は旅の疲れでも癒している頃でしょう)
ふふ、ヴィオルン大司教のその認識は、ちょっと甘いな。
レナス帝領伯の本来の任務は、レナス川流域の諸侯の監察官。
つまり、お前らの見張り役だ。
悠長に構えているほど、
(レナス帝領伯は、所詮剣だけの忠義者にすぎぬ。ザッセン辺境伯もブランデアハーフェル辺境伯も田舎貴族の親玉だ。恐れることはない。だが、連中に聖修道会のウルリッヒ・ベルンシュタインが入れ知恵している。ベルンシュタインは、魔法学院のティアナン・オニールの盟友だ。警戒しなければならぬのは、こいつらだ)
(ヘルヴェティアには、クウェラ大司教が鈴をつけているのではございませぬか)
(コンスタンツェ・オルシーニの手腕に期待したいところではあるが、彼女もまだ小娘にすぎん。老獪なオニールに対抗するのは厳しかろう)
とりあえずは、連中もまだパユヴァール公の意向を確認できていないことは確認できた。
ま、今日のところはこんなところだろう。
戻ってハンスと相談してみるかな。
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