第二十一章 乱世の胎動 -3-

 ヴィッテンベルク皇帝バルドゥイン・フォン・レツェブエルが死んだ。


 後継として名乗りを上げるのは、恐らくボーメン王ラドヴァン・フォン・リンブルクと、エーストライヒ公の息子ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクだ。

 エーストライヒ公は、この機会に家督をユリウス・リヒャルトに譲るだろうと言われている。

 そして、新たなエーストライヒ公が選帝侯会議の候補者となるであろう。


 選帝侯会議に投票権を持つ七人の選帝侯のうち、ボーメン王は自分が立候補するために投票権を失うだろう。

 代理となるのは、パユヴァール公だ。

 それ以外の六人は、ザッセン辺境伯、ブランデアハーフェル辺境伯、レナス帝領伯、マイン大司教、ヴィオルン大司教、トレヴェリンゲン大司教である。


 このうち、ザッセン辺境伯、ブランデアハーフェル辺境伯、レナス帝領伯の三人はボーメン王を支持するだろう。

 ザッセン辺境伯はハンスの父親で、エーストライヒ公とは対立している。

 ブランデアハーフェル辺境伯はアルフレートの父で、ザッセン辺境伯とは無二の親友だ。

 そして、レナス帝領伯とは黒騎士シュヴァルツリッターその人であり、当然レツェブエル家及びリンブルク家の支持者だ。


 残りの選帝侯のうち、三人の大司教はルウムにいる教皇の意向を強く受けるに違いない。

 その点では、ルウム教会と仲の悪いエーストライヒ公より、ボーメン王の方が有利だ。

 そう考えると、ボーメン王が次の皇帝になる可能性の方が高いのだろうか。


 いや、ヴァイスブルク家も、スパーニアのヴァイスブルク家はルウム教会との繋がりが深い。

 そちらから根回しをすれば、聖界諸侯票三票がどう転ぶかは、まだわからなかった。


「エーストライヒ公が自分で立たず、息子のユリウスに家督を譲るのはルウム教会に対する対策なんだ」


 夕食会の後、帰り道でノートゥーン伯がそう言っていた。


「彼は自分がルウム教会に嫌われていることを知っている。だから、フェストで息子のユリウスがシルヴェストリ枢機卿と密かに面会を重ねていた。ルウム教会と仲の悪い父親を引退させることで、手打ちをするつもりだろう」

「しかし、ユリウス・リヒャルト自身もルウム教会とは対立するつもりなんじゃないですか?」


 ぼくの反論に、ノートゥーン伯は首肯した。


「恐らく、将来的にはそうだろう。だが、いまはまだそうはしない。ルウム教会はポルスカ王国の利権の回復を主張するかもしれないが、最終的にはエーストライヒ公を支持するだろう。何故なら、莫大な金が流れるからだ」

「目先の金に目が眩んで、将来の大敵に力を与えるんですか? そうだとしたら、ただの愚か者だ」


 もし、三人の大司教がエーストライヒ公を支持したら、鍵を握るのはパユヴァール公になる。

 北部のザッセン人やチェス人がリンブルク家を支えても、南部のアレマン人やパユヴァール人はヴァイスブルク家寄りだ。

 ノートゥーン伯の票読みでは、四対三でエーストライヒ公の勝ちになってしまう。


「ま、そうすんなりとはいかないだろう。リンブルク家はヴァイスブルク家の帝位を認めはすまい。会議は紛糾し、必ず戦争になる」

「ポルスカではルウム教会と対立したのに、今度は味方にして戦うんですか? 節操のないことだ」

「だからこそ怖い」


 大きく時代が動こうとしているのは明らかであった。

 選帝侯会議が開催されるとしたら、通例でいけば帝国自由都市フランヒューゲルになるだろう。

 こんなときに、帝国とは遠く離れたこのリンドス島にいるのは残念なことである。

 ヘルヴェティアに直接関係はなくとも、情報を入手したり会議の風を感じられる場所にいたいものだ。


「フランヒューゲルに行っていればいいじゃないか」


 ぼくが心の願望を呟いたとき、ノートゥーン伯があっさりと言った。


「どうせもうわたしたちは帰るだけなんだ。アラナンなら、もっと速く飛んで行けるだろう?」


 確かに、その気になって飛べば三日もあればフランヒューゲルには着けるはずであった。

 流石にそんなに長時間の飛行はしたことがないから、魔力が持てばの話であるが。

 だが、彼の提案はなかなか魅力的であり、オニール学長に相談してみる価値はありそうであった。


 学長の許可は、簡単に出た。

 船旅でのんびり帰っても、時間の無駄であると判断したようだ。

 レオンさんたちも、すでにフランヒューゲルに派遣されているらしい。

 向こうで合流し、指示に従うように命令された。


「うちらを置いて一人で行っちゃああかんねんて」

「馬を持ってくるべきだったわね」


 ジリオーラ先輩とマリーは、フラテルニアに馬を置いてきたことを悔やんでいた。

 行きは軍の行軍と速度を合わせるため、ジュデッカまで徒歩で移動したのだ。

 船を待ってジュデッカへ行き、そこからフラテルニアに帰還するには、急いでも六週間から八週間はかかる。

 その間、ただ時間を潰すことになってしまうからね。


「ふん、魔力圧縮コンプリミールンクの鍛練には、もってこいじゃないか。帰る頃までには、少しはましになってくれよな」


 皇帝親衛隊イェニチェリのサルキス・カダシアン将軍を討ち損ねたクリングヴァル先生は、停戦後から機嫌が悪い。

 それだけカダシアン将軍が手強い相手だったのは確かだが、消化不良の鬱憤をぼくらにぶつけられても困るよ!

 帰りの道中の鍛練はひどいことになるな。

 ぼくは参加しないで済んでよかった。


 みなに別れを告げると、ぼくはリンドス島を発って北へと向かった。

 足許にはコバルトブルーの海面が広がり、行き先にはすぐにミクラジア半島が見えてくる。

 海岸沿いに飛ぶと、セイレイスの多島海最大の海軍基地であるスミュルナが近付いてきた。

 リンドス島から戻ったセイレイス艦隊も、此処に集結しているようだ。


 そのまま北上すると、多島海が切れるとともにセイレイスのルウメリ軍管区に入る。

 北西に向かうと眼下はすぐに山へと変わった。

 スタラ・プラニナ山脈は、ルウメリ軍管区西部の多くを占める大きな山脈である。

 標高の高い山はさほどないので、あまり上昇せずに谷間を抜けて行くことにする。

 こんな山の中は、得てして魔物が出るものだが、取り合わずに先を急いだ。

 空を飛ぶ魔物もいるが、その気になれば簡単に振り切れる。


 暗くなる頃に、ルウメリ軍管区の中心都市であるサルディカに到着した。

 スタラ・プラニナ山脈の中央にある渓谷に広がる大都市であり、東西南北の交易を結ぶ重要な交易都市でもある。

 古くはトラケス人が住んでいたが、数百年前に東方からきたアヴァルガ人に征服された。


 アヴァルガ人は広大な帝国を作ったが、魔族タルタルの侵入によって衰退し、今ではセイレイス帝国の一部となってしまっていた。


 宵闇に紛れて空から城壁を越えると、街の中に降り立つ。

 かつてはルウム教会の支配下にあったが、いまはもう巨大な黒石カアバの寺院が作られているようだ。

 暗闇でも美しいタイルの壁が、偉容を示すかのようにそびえ立っている。

 だが、セイレイス帝国が宗教的に寛容なせいか、ちゃんと教会も壊されずに残っているようであった。

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