第十七章 飛竜の拳 -5-
ファリニシュが夜間に北上する騎馬隊を捕捉したのは、全くの偶然であった。
街道を東に退却し、クルツァナウ村で再編に入ったヴィシラン騎士団を偵察し、動静を確かめて戻ってくる途中のことである。
オスヴィッチ村の北の間道を駆ける騎馬の軍団に、人ならざるファリニシュも瞠目した。
予測された到着の日程より、一日半は早い。
その報告で起こされたぼくも、瞬時に目を醒まさざるを得なかった。
夜間に移動しているということは、マヴァガリーの騎馬隊は夜襲をかける心算があるのではないだろうか。
「どうした、アラナン」
見張りをしていたノートゥーン伯も、いきなり跳ね起きたぼくに不審を抱く。
「マヴァガリーの騎馬隊が、プルーセン騎士団の南十マイル(約十六キロメートル)ほどの地点に迫っています。間もなく、両者とも哨戒に引っ掛かる頃かと」
「マヴァガリーの騎馬隊だと」
ノートゥーン伯の声も、驚きの色を帯びていた。
「そんな強行軍でやってきて、馬の足が残っているのか? 信じられん」
「少なくとも、連中は馬に関しては我々より扱いが上手いはずです。常識で測ってはいけないのかもしれません。マヴァガリーの騎馬隊の足を知ることができたのは、大きな収穫かも」
「ふむ──しかし、この急襲はローゼンツォレルン総長の計算をも超えているはずだ。まずいな」
優位に立っていたプルーセン騎士団が、一撃で粉砕されるとも思えないが──戦いではなにがあるかわからない。
そこに、更にファリニシュから、
マヴァガリーの騎馬隊から、呼応の要請でも届いたのであろうか。
「騎馬隊が突入、混乱したところに鉄砲が撃ち込まれる、か。戦闘態勢を取っておらず、即応が難しいとなるとどんな精鋭でも厳しいな」
だが、遠からず来るであろう。
「奇襲をプルーセン騎士団に知らせるべきではありませんか」
ぼくの進言に、ノートゥーン伯はうーんと唸って腕を組んだ。
基本方針は不干渉だというのはわかっている。
しかし、折角勝利が見えてきている状況で、むざむざ手から水を溢していいものだろうか。
「──しかし、どうやって」
「書簡でも認めるんですね。届けるだけなら、ぼくなら誰の目にも触れずに行き来してきます」
「それは逆に、第三者の介入の証拠が残る。書面はまずい」
確かに、それはノートゥーン伯の言う通りか。
でも、じゃあ、どうするんだ。
「夜襲だ! って騒いで回りますか?」
「流言の類いだと思われるだけであろう。うーむ、やはり此処は我々の手出しは控えるべきだな」
莫迦な!
何のための情報か。
活用せず、死蔵するだけの情報に何の値打ちがあるというのか。
「納得できません。此処は今後のポルスカを決める分水嶺です。多少の危険を冒してでも、勝利を得に行くべきでしょう」
「シュヴァルツェンベルク伯は、我々の存在に気付いている。証拠を押さえられるような行動は取れん」
そういや、ノートゥーン伯はこうと決めたら動かない頑固な人だったよ。
自分の研究のために、地位も家族も捨てるのを躊躇わなかったんだしな。
だが、議論をしている間にも、マヴァガリーの騎馬隊は近付いてきていた。
夜間の哨戒に出ていた小隊が急を告げに戻ってくるが、その背後にはすでにマヴァガリー軍が迫っている。
まずいことを。
あれじゃ、道案内をしてやったようなものだ。
「アールバード・シャームエルだ。ヤドヴィカの婚約者自らが兵を率いてきたか」
アールバード・シャームエルというと、イグナーツの弟か。
今回ヤドヴィカと婚姻を結ぶことになっていたはずだが、実物は随分と幼い少年じゃないか。
ま、まあヤドヴィカも幼い少女だから、年齢は釣り合うのか。
実際の指揮は熟練の副官が執るのだろうが、それでもこの少年が強行軍に音を上げずに付いてきたことにも驚きを覚える。
「見ろ、マヴァガリーの騎馬隊が突入するぞ──何だ、あれは!」
ノートゥーン伯の声が大きくなり、マリーとジリオーラ先輩が起きてくる。
何事かと
騎馬隊の突入と同時にプルーセン騎士団の陣の各所から火の手が上がり、同時に西からも軍勢が襲い掛かってきたのである。
「あれは──カトヴィッツにいたルブリン伯の、ヤン・ポニャトーヴァの兵です!」
カトヴィッツの押さえとして展開していた三軍は、何をしていたのか。
確かにルブリン伯の部隊指揮能力は高いと言われているが、目の前を黙って通過させるとはシロンスク公、カリツェ公、ポズナン伯は間抜けと罵られても仕方がない。
この夜襲は警戒していなかったか、即応できたのは歩哨に立っていた僅かな部隊だけであった。
ジークフリート・フォン・ローゼンツォレルンも、慌てて飛び起きるが甲冑も付けずに馬に飛び乗っていた。
だが、マヴァガリーの騎馬隊の動きは疾風のようであった。
一直線に南から北に駆け抜けると、今度は回り込んで北東から南西に向かって駆けていく。
彼らは駆けながら矢を乱射し、這い出てきた鎧も着ない兵士たちを射抜いた。
その混乱状態の中にルブリン伯が西から押し寄せてきたからたまらない。
自然と、プルーセン騎士団の兵は東へと下がった。
だが、それは待ち構えていた罠に飛び込むようなものであった。
轟音とともに、弾丸が退却する兵士たちを貫いた。
示し合わせたかのような連携。
いや、実際指示は飛んでいたのであろう。
だが、よく此処まで時間の誤差なしに動けたものだ。
これも、シュヴァルツェンベルク伯の描いた絵図なのか。
その流れに抗うように、ローゼンツォレルン総長が小集団を作り上げていた。
それを基点として、兵を集めようとしたのである。
だがそこに、ヤン・ポニャトーヴァの軍団が押し寄せてきた。
プルーセン騎士団は勇猛な兵が揃っていたが、如何せん奇襲で武装が整っていない。
少しずつ数を減らし、次第に押し込まれていく。
ローゼンツォレルン総長は陣頭に立って奮戦し、兵を叱咤していたが、後ろからマヴァガリーの騎馬隊の突撃を受け、その波に飲み込まれた。
騎馬隊が去ったとき、馬上にはもう、ローゼンツォレルン総長の姿はなかった。
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