第十七章 飛竜の拳 -6-

 ジークフリート・フォン・ローゼンツォレルンの戦死は、プルーセン騎士団の崩壊を決定付けた。

 もはや、敗走する兵を止める者はなく、東に逃げて銃撃に斃れる者も多かった。


 一夜明けてその敗報を知ったシロンスク公たちは、瞬時に劣勢を悟ったのであろう。

 慌てて撤退を始める。


 そこにヤドヴィカ率いるヴィシラン騎士団の騎士十人を含むマヴァガリーの騎馬隊が来襲し、一番撤退の遅かったポズナン伯が散々な痛手を被った。

 シロンスク公とカリツェ公は、こういうときの判断は早かったようだな。


「ポルスカの大勢は決まったようだな」


 ノートゥーン伯の声にも残念そうな色が滲むが、ぼくとしては何か消化不良のやりきれなさだけが残った思いである。

 やりようによっては、十分勝てたはずであった。

 それだけの兵力はあったし、ぼくたちの助力があればマゾフシェ公もプルーセン騎士団もあんな負け方はしなかった。


「これでええの? グニエズノの国王は、これで丸裸やで」

「恐らく、この敗報でボーメン王国に逃げるだろう。グニエズノ大司教と一緒にな」


 この敗戦で、ポルスカ王国はルウム教の国ではなくなった。

 隣のボーメン王国は、聖修道会セント・レリジャス・オーダーとの確執はあるものの未だルウム教の国である。

 ひとまずはそこに亡命し、教皇の権威を借りて異教徒討伐の聖戦を起こすという手もなくはない。


「これで本当によかったのか。ぼくにはわからない。ヘルヴェティアの方針的にはよかったはずです。その真意を、学長に聞くべきではないですかね」

「そうね。わたしも、なんかすっきりしないわ。特に、シュヴァルツェンベルク伯が露骨に介入してきているんですもの。わたしたちだけ手を出しちゃいけないってのもどうかと思うわ」

「それもひっくるめてやなあ。うちらの判断でええのかどうか、大魔導師ウォーロックに確認したろやないか」


 それなら、カリツェまで戻って魔法陣マジックスクエアで転移する必要がある。

 此処にいる必要もなくなってし、移動することにするか。


 だが、馬に乗ろうとしたとき、再び忘れられない強力な魔力の気配の接近を感じた。


 これは──間違いない。

 アセナ・センガンの気配だ。

 悠々と、こちらに向かって歩いてくる。

 気配の数はひとつだけで、他には感じ取れなかった。


「アセナ・カラのバカの部隊を全滅させたって?」


 散歩でもしに来たかのように、アセナ・センガンは立ち止まった。


「大した腕もないくせに、自尊心だけは高かったイヤなやつさ。いつか殺してやろうと思っていたけれど、手間が省けたよ。でも──ボクをあんな口だけ野郎と一緒にされたら困るんだよなあ」


 アセナ・センガンの顔には邪気も殺気もない。

 だが、それでも恐怖で背中に汗が滲むほどだ。

 こいつの拳は、一度味わっている。

 単純なアセナの拳の技倆だけ比べれば、あいつの方が圧倒的に上だ。

 前回は、手札の多さで、何とか撃退したに過ぎない。


「お前が闇黒の聖典カラ・インジール最強の拳士なのか? アセナ・センガン」


 震えを押し殺しながら聞くと、センガンはからからと笑った。


「ボクが? 冗談じゃない。最強とはボクの父様のことさ。飛竜リントブルムの首も、いつか取るだろう。だが、その父様でさえ、教主様には逆らえない。世の中には、コワい人が多いもんだよ、ホント!」


 軽い調子で言っているが、聞き捨てならない情報がある。

 闇黒の聖典カラ・インジールには、まだセンガンより強い男がいるという事実だ。


「でも、いずれはボクが最強になるけれどね。そのためには、アラナン・ドゥリスコル。ボクの手を砕いたキミには、お返しをしなければならない」

「はん、こっちもそれなりに痛かったんだけれどね」

竜焰ドラヒェンフランメを食らって、その程度で済んでいるのがおかしいのだ。もう、あんな小細工は通用しないぞ!」


 センガンの魔力が一気に高まる。

 それを見て、ノートゥーン伯が足を踏み出そうとする。

 だが、それは悪手だ。


「ノートゥーン伯、マリーとジリオーラ先輩と一緒に先に行っていてください。どうやら、こいつの相手をしなければいけないようなので」

「いや、アラナン。それなら、わたしたちも援護するぞ」

「いえ、こいつの武術は残念ながらぼくやノートゥーン伯より上です。護りながらは戦えない。先に行っていてください」

「危険よ!」


 マリーが反射的に叫ぶが、これは譲れなかった。

 政治的な駆け引きはともかく、個人戦闘ならこの中ではぼくが一番正確な判断ができる。


「行け! 他に気が逸れては勝ち目がない!」


 強い口調でいうと、マリーは虚を突かれたようであった。


「行こうで。残念ながら、うちらは足手まといや」


 ジリオーラ先輩がマリーを促し、馬上の人となる。

 マリーとノートゥーン伯も、不承不承自分の馬に跨がった。


「アラナン!」


 最後に、マリーが振り向いて叫ぶ。


「──負けないで」

「大丈夫さ」


 確かに、拳の技倆では劣るけれど、その程度なら経験がある。

 黒騎士シュヴァルツリッターだって、ぼくより武術に関しては上だった。


「本気でやれば、ぼくは誰にも負けない。それを、この拳士様にも教えてから戻るよ」


 親指を立てると、マリーは困ったように笑い、そして二人に続いて駆け去っていった。

 その間、センガンは律儀に待っていてくれていた。

 ぼくが向き直ると、退屈そうに石を蹴飛ばしながら言った。


「終わりか? もう心残りはないか? 最後だから多少のワガママは許してやるぜ」

「そうかい、じゃあお言葉に甘えて、本気で行かせてもらおうかな」


 神の眼スール・デ・ディアを開き、太陽神の翼エツィオーグ・デ・ルーを広げる。

 そして、右手に神剣フラガラッハ、左手に《タスラム》を装備した。

 さあ、こいつの強さを味合わせてもらおうか。


「歯あ食いしばれ。いきなり死ぬなよ!」


 上空に飛び上がると、真下に巨大な聖爆炎ウアサル・ティーナを叩き込む。

 小部隊も吹き飛ばすような大爆発に曝されれば、ちょっとは堪えるだろう。

 

 仕留めたとは思わないが、それでも無傷ではないはずだ。

 そんな願いも、晴れていく爆煙を見て脆くも崩れ去る。

 あの化け物は、微動だにしていない。


「ボクの障壁を容易く破れると思うなよ」


 センガンはにやりと笑うと、空を駆けるように上がってきた。

 こいつ、アセナの歩法を極めているのか。

 あれは、クリングヴァル先生もまだできない飛翔歩フライトステップだ。

 速度もぼくに劣らず付いてくるようだし、本当に油断ができない。


 とりあえず、神銃タスラムを五発、連射してみる。

 神の眼スール・デ・ディアを使ってなお一瞬で飛び去る神の弾丸を、しかしセンガンはぎりぎりのところで迎撃してくる。

 回避を目論んだら追尾でぶつけてやろうと思ったが、障壁を厚くして防いでくる。


 並みの障壁なら貫く威力なのだが、流石ハーフェズ並みの魔力の保有者だ。

 五発食らっても障壁は揺るがなかった。

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