第十七章 飛竜の拳 -1-
「ノートゥーン伯、
クラカウの南、丘陵の間を抜けるビシナの間道で出会ったのは、あの
彼の身にまとう膨大な魔力は、タルタル人に匹敵するかもしれない。
つまり、ハーフェズ並みの魔力を持ち、なおかつ武術の腕もかなりのものと推定される。
そんなもの、下手をしたら
センガンが無造作に踏み込んでくる。
右手の掌打──
と、弾かれた勢いを利用して左足を踏み込み、センガンの左肘が胸に滑り込んでくる。
あれは
がら空きの背に棍の一撃を入れようと思ったのだが、驚くべきことに彼はこの動きに付いてきた。
「心技体の合一の果て、神の領域に踏み込んだ男がボクの他にもいるとはね」
鋭い動きで前に出していた棍を払われる。
まずい、懐に入ってくるぞ。
左掌を胸に押し当てられる。
間に合うか。
ぎりぎりのタイミングだが、防ぐならこれしかない。
「ぐはっ!」
激しい衝撃がぼくを貫き、後方に吹き飛ばされる。
同時に、センガンも同じように吹き飛んだ。
練習をしておいてよかった。
完璧ではないからこっちにもダメージは通ったが、半分以上は返したぞ。
「──邪道な技を。やはり、キミにはアセナの拳を継ぐ資格はない」
センガンは左手に力が入らないようだ。
悔しげに唇を噛み、軽捷な動作で樹上に飛び上がる。
「この勝負は預けてやる。次に会ったときは、必ずキミを殺してやるからな!」
そう言い残すと、枝から枝を伝って森の中に入っていく。
あれは馬では追えない。
それに──。
「うぐっ」
半分以上返したけれど、こっちは胸に絶技を食らったんだ。
肋骨にひびくらいは入ったか。
「アラナン、大丈夫?」
「思ったより強かった……。
「
ノートゥーン伯も、難しい顔をしている。
アセナ・センガンがノートゥーン伯に向かっていれば、
それがわかっただけに、悔しいはずだ。
伯爵もまた、最強を目指している人間であることは間違いない。
「見せなんし」
別行動を取っていたファリニシュを呼び出し、転位してきてもらう。
ファリニシュは、主であるぼくのいるところには何処からでもやってくることができる。
滅多に使うことはないが、こういうときには有難い。
「折れてはいなさんす。二、三日で治りんしょう」
「助かったよ、イリヤ」
この柔らかな光は、心も落ち着かせてくれるな。
「しかし、
「皇帝を襲いに参りんした男も、大層な手練れでござりんした。ダンバーだけでは手に負えんせんほどに」
「それが、シュヴァルツェンベルク伯の手足になっているとちょっと厄介だなあ」
手当てを受けていると、マリーがきっとファリニシュを睨んで言った。
「イリヤさん、今度
何故か丁寧な口調のマリーに異様な迫力を感じたか、ファリニシュが頷いた。
でも、マリーさんや。
それはかなり難易度の高い
「なんや、おもろいこと言うてんねんな。うちにも教えてや」
「あら、ジリオーラさんは属性魔法のがお得意でしょう。お水と仲良くしていればよろしいんじゃありませんか」
「なに言うとんねん。マリーこそ光魔法だけやっていればええんちゃいますか?」
うん、肋が痛いから、ぼくの目の前で喧嘩はしないでくれ。
二人を宥めて馬上に戻ったが、ちょっと振動は響くな。
まあ、仕方がない。
ちょっとゆっくり進むか。
「──しかし、どうやってアセナ・センガンはあそこで待ち伏せできたんでしょう。いや、それともうひとつ──あいつは銃を持っていませんでした。まさか、もう一人別に狙撃手がいたんじゃないですかね」
「別の気配は感じ取れなかったが。アラナンの目の方が、わたしより数段鋭い。アラナンにわからない以上、わたしにもわからないぞ」
「うちにも一人しかおらへんように見えとうよ」
「そうね。──でも、確かに鉄の臭いはあいつからはしなかったわ」
どこにいても警戒を怠れない。
あのときはそれほど離れた距離ではなかったが、これでもっと距離があったら感知も儘ならない。
「ポルスカ王国に、危険な連中が集まってきている気がするんですよね。ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクは、此処に帝国の中には作れない巨大な何かを築き上げようとしている。そんな気がするんです」
「今でもスパーニアとマジャガリーという大陸有数の軍事力を抱え込んでいるヴァイスブルク家が、この上何を望むのかな?」
「せやね。スパーニアの巨大艦隊にマジャガリーの騎馬隊。これだけで、帝国の軍隊やて撃ち破れるのとちゃうかな」
「でも、スパーニアはルウム教の国ですしね」
ユリウスは、いつまでも教皇の
彼が皇帝になれば、いつかはルウム教会とも対立するはずだ。
そのときに、ルウム教の支配が及ばない味方を作っておく。
このポルスカでの動きは、そんな感じにも思えてくる。
ゆっくり進んだので、予定よりカトヴィッツに戻ってくる時間は遅れた。
カトヴィッツの南十二マイル(約十九キロメートル)にあるティヒの村。
そこまでたどり着くと、とりあえず休息を取ることにした。
ファリニシュに偵察に出てもらい、ぼくたちは食事と睡眠の時間とする。
村の多くはザッセン人の農民で、後から入植してきた連中のようであった。
そのせいか、あまり排他的なところはなく、小さいが宿もちゃんとあった。
村人の噂を聞くと、カトヴィッツではまだ包囲は続けられており、衝突は起こってないようである。
寡兵のルブリン伯が無理をしないのはわかるが、国王派の弱腰はちょっと腑甲斐ないものがあった。
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