第十六章 雷鳴の傭兵団 -8-
もう風が冷たい季節になっている。
外套を着ていても、体を動かさないと底冷えがする。
十一月のカトヴィッツは、フラテルニアより二、三度低い。
フラテルニアに戻って、一ヶ月近くが過ぎていた。
あれから憔悴してブレスラウに戻ったシロンスク公は、何故か居館の中庭に積まれた小麦粉の袋を見て喜色を取り戻したという。
そりゃ、傭兵の給料も払えるか怪しかったしね。
取られたはずの麦が返ってくれば躍り上がっても不思議はない。
誰がオペルンにあった物資を運んだのかは不明であったが、ブレスラウではシロンスク公の守り神である狼が麦を運んだのだという噂が流れているらしい。
誰か、ファリニシュの姿を見ていたのかもしれないな。
シロンスク公は態勢を立て直し、ポズナン伯とともに進軍してオペルンを奪回している。
いまでは、カリツェ公とプルーセン騎士団も合流し、カトヴィッツを
南のモラヴィア辺境伯も北上する気配を見せていたが、マジャガリーの騎馬隊が動きそうだったので、そちらの警戒を強めているようだ。
一方、北のマゾフシェ公軍は、南下しクラカウに近い位置まで迫っているが、未だ去就を明らかにしていない。
それを警戒し、現在ヴィシラン騎士団と
カトヴィッツに入っているのは、ルブリン伯だ。
カトヴィッツに接近する国王派の数は、三千を超える。
数百のルブリン伯は、クラカウに撤退するかカトヴィッツに籠城するかしか選択がない。
レオンさんとルイーゼさんはクラカウを脱出し、オストラウに退避していた。
オストラウもシロンスク公国の一部であるが、ヴァツワフ・スモラレクは落とすべき戦略的価値を見出だせなかったか、放置していた。
お陰で、ぼくたちもオストラウで戦端が開かれるのを待つことができたわけだ。
今回オストラウに来るに当たっては、マリーに新しい
お陰で、マリー専用の認証機を学長に用意してもらうことになったが、それさえあれば虚空から他人の顔の情報を任意の人物に投影できるのだ。
新しい偽装旅券も用意したので、シュヴァルツェンベルク伯はもうこっちの足取りを掴むことはできまい。
まあ、念を入れてレオンさんたちとは接触しないようにしている。
それでも、さりげなく遠くからレオンさんを見張ってみると、ちらちらと彼を観察している怪しいやつが複数いる。
大抵は普通の人間で、特に手練れというわけでもない。
商人が多いが、冒険者にもいる。
まあ、恐らく
この北の地に来ても、こいつらと関わる運命にあるのか。
しかし、これは思ったよりひどい状況だ。
ヘルヴェティアは修道士と冒険者という職業を間接的に統括しているが、別にその全てがヘルヴェティアのために働いているわけではない。
だが、
その全てがイフターハ・アティードの意のままなのだ。
それが、いまやヴァイスブルク家と手を組んできた。
この流れのまま、ポルスカ王国で王権を巡っての争いになるのは非常にまずい気がする。
だが、すでにポルスカ王国の国内には、
すでに分裂した状況でこれに対処するのは、非常に難しい。
みんなでオストラウを歩き回ったが、シュヴァルツェンベルク伯の姿は見えなかった。
カトヴィッツと同様に、此処にも良質な炭鉱がある。
製鉄と鍛冶の盛んなヴィシラン部族なら、押さえておきたい土地ではあるのだ。
クラカウの南の鉄鉱山と、カトヴィッツ、オストラウの炭鉱。
そしてヴィシラン部族の製鉄、鍛冶の腕。
ヴァイスブルク家が欲しがっているのが何か、何故シロンスク公国に喧嘩を売ってまでカトヴィッツを押さえたか、何となく見えてくる。
翌日には、オストラウを出てカトヴィッツに向かった。
流石に三千の兵がひしめいているところに近付くのは無理なので、小高い丘の上から遠目で見るのにとどめる。
「包囲しているのはいいけれど、力攻めはしていないようね」
マリーが映像をチェックしながら呟く。
ノートゥンー伯も厳しい表情で布陣を見ていたが、やがて小さくため息を吐いた。
「シロンスク公が前回の敗戦で腰が引けたんだな。それで、積極的な攻勢に出られないでいるような気がする。無論、ルブリン伯の部隊指揮能力を警戒している可能性もあるが──」
「プルーセン騎士団は精強です。総攻めで落ちると思いますがね」
「そうだな。なにか切っ掛けがあれば……」
まあ、兵が城内に濫入すれば、街の人にも死傷者が出てしまう。
だから、できれば城外で決着がついてくれるのが一番いいのだが。
老練なルブリン伯が、迂闊に城外に出るとも思えない。
「いや──ルブリン伯だって、シュヴァルツェンベルク伯がヤドヴィカの味方として動いていることは知っているはずですよね」
「そりゃ知っているだろうが、それがどうかしたか?」
「マリーにシュヴァルツェンベルク伯の顔をノートゥーン伯に写してもらって、偽りの使者を演じるというのも面白いかと思ったんですがどうでしょう」
「わたしがか?」
「無論、ぼくも一緒に同行しますよ。いざというときは必ず卿の血路は切り拓きます。ぼくじゃ、シュヴァルツェンベルク伯の演技は無理なんですよね」
「面白いが──それはいくら何でも関わりすぎだ。見ているだけで我慢ができないのはわかるが、自分を抑えるのも今回の目的のひとつだぞ」
ノートゥーン伯は首を振り、ぼくの意見を退けた。
そう言われれば、引き下がるしかないな。
でも、こうすれば解決できるのにという方法が目の前にある状態でじっとしているのは、辛いものだ。
そんな膠着状態の中、クラカウの状況を偵察に行っていたファリニシュから念話が入る。
マゾフシェ公が、ヴァツワフ・スモラレクの不忠を糾弾し、国王を助けることを宣言したのだ。
そして、マゾフシェ公の三千の兵はクラカウではなく、タルヌフの制圧を行ったらしい。
タルヌフは、
そこを先に押さえにかかるとは、マゾフシェ公も抜け目のない人物だな。
タルヌフを占領され、
ヴィシラン騎士団はクラカウに残ったようだ。
恐らく、これはヴァツワフ・スモラレクの指示ではない。
故郷を奪回せんと、
そこまで考えていたとすると、ますますマゾフシェ公が油断のならない人物に思えてくるよ。
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