第十六章 雷鳴の傭兵団 -7-
崩壊するシロンスク公国軍を、ヴァツワフ・スモラレクは追わなかった。
追撃をする余力がなかったとも言える。
兵をまとめると、オペルンには戻らず、街道を南に向かっていった。
カトヴィッツまで後退するのだろう。
「シロンスク公は生き延びたようだし、完璧とは言えないまでもまずまずか。スモラレク騎士団長を退かせたしな」
険しい顔をしていたノートゥーン伯が、やっと緊張を解いた。
「行くぞ。シロンスク公より先にブレスラウに戻る」
「了解」
ノートゥーン伯の指示で、ぼくらは馬上の人となる。
やっと、この場所から離れられるな。
アンヴァルが頭に噛み付き始めていて、手に負えなくなっていたんだ。
ほっとしたよ。
ブレスラウまでの約五十五マイル(約九十キロメートル)は、少し飛ばし気味に駆ける。
また野宿も嫌だしね。
お陰で、日暮れまでにはブレスラウにたどり着けた。
当然、まだシロンスク公は帰還していないし、ポズナン伯もブレスラウには到着していない。
久しぶりにまともな夕食を食べながら新しい情報がないか聞き耳を立てるが、めぼしい話は聞けない。
オペルンでの敗戦の報も届いていないしね。
ファリニシュには深夜に小麦粉を適当なところに置いてきてもらうとして、これからぼくたちはどうしようか。
「ま、一回フラテルニアに帰ってもいいんじゃないか。次の戦いまで、猶予はあると思う。シロンスク公ももう戦力が揃うまで動かないだろうし、プルーセン騎士団が来るまで余裕はあるだろう」
「せやな。ずっとこっちにいてもしゃあない。大事なときだけ見に来ればええんちゃいますか」
ノートゥーン伯とジリオーラ先輩は、一回引き揚げる派のようだ。
そりゃ確かにそうかもしれないが、そんなんでいいのだろうか。
「そうねえ。また何日も野宿はちょっと困るわ。戻るのもいいかしら」
おや、マリーも引き揚げるのに賛成?
しかし、それじゃ意味がないと思うんだけれどな。
大事なときというが、まさにぼくたちはその大事なときを調査するためにこっちに来ているのだ。
ぼくらが帰ったら、レオンさんたちだけになってしまう。
仕方ない、一言言おうか。
と、口を開こうとしたとき、からんと音がして新たに一人の男が宿に入ってきた。
気にせず口を開こうかとも思ったが、そいつの魔力の大きさに膚が粟立ち警戒レベルが上がる。
──何者だ。
フード付きのマントで顔は見えなかったが、そいつはぼくらの顔を見つけると、真っ直ぐこちらに歩いてくる。
「──ノートゥーン伯」
低い声で警戒を呼び掛けると、ノートゥーン伯も違和感を覚えたようだ。
マリーとジリオーラ先輩も、異常を感じて顔を見合わせる。
男はぼくたちのテーブルの前で立ち止まると、恭しく一礼した。
そのわざとらしい丁寧さには見覚えがある。
何処だったかな。
ああ──。
フェストで見たんだ!
「シュヴァルツェンベルク伯──ミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルク」
ぼくがそう言うと、男はフードを取って優雅に微笑んだ。
うん、正解だ。
こいつは、ルイーゼさんに勝った男。
ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクの懐刀じゃないか。
「まさか、此処でドゥリスコル君とノートゥーン伯にお会いできるとは思いませんでしたよ。いや、お連れのお嬢様方も大変お美しい」
許可も出していないのに、シュヴァルツェンベルク伯は店員に椅子を運ばせてぼくたちのテーブルに陣取った。
どういうつもりだろう。
「いやあ、クラカウのロイスダール氏とホーエンローエ嬢に騙されましたよ。まさか、あちらは囮だったとは思いませんでした」
にこやかに笑っているが、目が笑っていない。
こいつも、コンスタンツェさんの同類か。
一番油断のできないタイプだ。
「何のことか。わたしたちは、修学の旅の途上だ。シュヴァルツェンベルク伯の仰る意味がよくわからない」
ノートゥーン伯が冷静に答える。
それに対し、シュヴァルツェンベルク伯はすっと目を細めた。
「いや、クラカウで前国王を救出した人間の足取りを追ってましてね。ロイスダール氏とホーエンローエ嬢に、あそこまで完璧な仕事ができるとも思えなかったんですよ。そうしたら、此処で皆さんを発見したと報告がありましてね」
「知らんな。それより、ポルスカの国王の問題に、何故貴卿が口を挟んでいる」
「わたしは、ヤドヴィカ女王の結婚式の仲介役でしてね。たまたまこちらに来ていたわけですよ。そうしたら、あの騒動でしょう。うすのろのカリツェ公などに、前国王を救出できるはずもない。だが、ドゥリスコル君、
おっと、いきなりこっちに来たか。
ふん、だが、シロンスク公のお膝元で、シュヴァルツェンベルク伯に何かできるはずもない。
此処は堂々とするに限る。
「さあね。クラカウには行ってもいませんし、ぼくらには関係ない話ですよ。いきなりやってきての話がそれですか? ちょっとご婦人の前で紳士のやる振る舞いではありませんね」
「おっと、これは失礼。ダルブレ嬢に、ブラマンテ嬢」
大仰に両手を広げると、シュヴァルツェンベルク伯は右手で顔を押さえて首を振った。
「わたしとしたことが、これはいけません。今日のところは、これで帰りましょう。ですが──」
立ち上がったシュヴァルツェンベルク伯は、口の端を吊り上がらせると宣言した。
「もう貴公らがいることは認識しました。それでは、よい旅を」
そして、最後にまた嫌みなほどに莫迦丁寧に一礼すると、シュヴァルツェンベルク伯は去っていった。
ふーん、ヴァイスブルク家の諜報活動を、彼がまとめているのかな?
直接敵対はしてないとはいえ、シロンスク公の本拠地をヴァイスブルク家側の人間が歩き回るとは大胆だな。
「わたしたちを見張る者がいたかな?」
ノートゥーン伯が首を傾げる。
確かに、尾行などされた記憶はない。
「時々見られている気配はあったけれど、尾けては来なかったですね。シュヴァルツェンベルク伯の手の者が多く紛れ込んでいるんでしょう。ま、ぼくの予想だと、
「厄介やね。
「まあ、気にしなくても。どうせ、ぼくたちより速く移動し続けるなんてできっこないですし」
こうなったら仕方がない。
一回、連中の目を眩ますために戻るか。
「一度フラテルニアに戻りますか。それから、対策を考えましょう」
「そうだな。イリヤには後で合流するように伝えてくれ。こうなったら、一緒にいるところを見られてなくてよかったかな」
ファリニシュは小麦粉の返還のために別行動をとっている。
変化を使っていれば、敵の目に止まる心配もないだろう。
「それまでは、わたしたちはあえて連中の監視から外れない方がいいな。ここで飲んだくれているのもいいか」
「食い倒れるのも悪くないのです!」
シュヴァルツェンベルク伯の登場のときも変わらずに、ずっと食べ続けていたアンヴァルが後を続ける。
そういや、伯爵はアンヴァルに気付いてなかったよな。
たまたまか、それともこの一心不乱に食べ続ける生き物を脅威と認めなかったのかな。
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