第十五章 クラカウの政変 -2-

 一報が飛び込んできたのは、十月十五日の昼下がりであった。

 オニール学長の午後の講義を受けているときに、聖修道会セント・レリジャス・オーダーの修道士が駆け込んできた。

 信書を扱う飛脚網は、大陸を行き来する修道士によって成されている。

 聖修道会セント・レリジャス・オーダーの力の源泉のひとつであり、それはまたヘルヴェティアの力ともなっている。


 講義を中断して信書を受け取ったオニール学長は、ざっと目を通すと白ひげをしごきながら低く唸った。


「うーむ、予想通りとはいえ、まずい流れじゃな」

「何かありましたか」


 ぼくらを代表して、ノートゥーン伯が学長に質問した。

 最も年長で、教養も高いノートゥーン伯は、自然とこういう場ではリーダーシップを発揮する。


「ポルスカ王国のヤドヴィカ・シドウォの件じゃ。マジャガリー王の息子との婚姻は決定していたが、その後ろ楯を得て勢い付いたか、クラカウに駐留していたヴィシラン騎士団が王を裏切った。国王一家を捕縛し、ヤドヴィカを新たなる女王に推戴しようとしておるそうじゃ」


 無茶な話だな。

 何でまた、騎士団が国王を裏切らないといけないんだ?


「ポルスカはルウム教会に帰依して長いが、比較的宗教には寛容じゃ。王都クラカウには、聖典の民ミズラヒムの住まう区画があるくらいじゃからのう。古来からの精霊信仰も依然として根強い。ヴィシラン騎士団は、元々クラカウ周辺のヴィシラン部族の出身者で構成されており、精霊信仰が残っていた。じゃが、王家がルウム教会と手を組んで、ヤドヴィカ排斥に動こうとしておったからのう。ヤドヴィカを保護していた騎士団からすると、王家の行為が裏切りに映ったのじゃろうな」


 厄介なのは、ポルスカの歴史のようだ。

 ヤドヴィカのシドウォ家は、本来のポルスカ王家であり、精霊信仰を以て国を支配していた。

 中心地はクラカウで、シドウォ家はヴィシラン部族の出身である。

 だが、現王家のヴァザ家は、ルウム教会と手を組み、シドウォ家を打倒してポルスカ王国の実権を握った過去を持つ。

 中心地はグニエズノで、ポラン部族がその背景だ。

 経済的な利便性でヴァザ家もクラカウを首都としていたが、本来の根拠地ではない。

 その不安定な状況が仇となったのか?


 だが、結局これは代理戦争に過ぎないのだ。

 ボーメン王国のリンブルク家と縁戚のヴァザ家を潰し、ヴァイスブルク家が自分の息のかかったシドウォ家に首をすげ替えたいだけだろう。

 これでリンブルク家が出てくれば、ヴァイスブルク家としても直接対決で叩き潰す好機というわけだ。


「王都クラカウからは、国王派の騎士は脱出したようじゃな。ポルスカ西部のグニエズノに、国王派の貴族が結集しつつあるらしい。ヤドヴィカ派の貴族はクラカウに集結するように動員がかかっているそうじゃ」


 それは、ポルスカの王位を巡った戦争になるということか?

 しかし、国王一家がヤドヴィカ派の手中にあるのに、迂闊なことはできない気はするんだけれど。


「このままでは、戦争じゃ。まずは、何とかして国王を救出し、クラカウを脱出させねばならぬ」


 とはいえ、クラカウからフラテルニアまでは、約六百五十マイル(約一千五十キロメートル)はある。

 早馬を飛ばしてきても、一週間はかかる。

 それだけ、レオンさんが情報を発したときから、時間が経過してしまっているのだ。

 現状は更に悪化しているのではないだろうか。


「なに、貴族の兵の集結には一月くらいは掛かる。まだ、多少の猶予はあろう。いま、シピ・シャノワールにレオンの許に跳んでもらっておる。じき、詳報を持ってくるじゃろう」


 凄いな。

 影渡りシャドウムービングであの距離を移動できるのか。

 流石は黄金級ゴルト

 戦略を左右する能力を持っているね。


「じゃが、急ぎなのは確かじゃ。シピには、報告後またポルスカに向かってもらう。後は、キアラン・ダンバーとアラナンを現地に派遣する予定じゃ」

「お言葉ですが、先生マスター黄金級ゴルトのダンバー殿はわかりますが、何故アラナンを派遣されるのでしょうか」

「速度じゃよ、エリオット。キアランは、魔法陣マギシェ・クァドラットで馬より速く歩くことができる。そして、アラナンは神馬アンヴァルを有しておる」


 ああ。

 確かに、フラテルニアからベールを半日で駆け抜けたアンヴァルなら、本気を出せばクラカウまで二日で行くかもしれない。

 でも、それってアンヴァルは平気でも、乗っているぼくは死ぬんじゃないかな。

 え、本当にそんな強行軍やるの?


「しかし、たった五人で果たして国王一家を救出などできるのでしょうか。潜入はできたとしても、外に連れ出すのは至難の業では……」

「そのためのシピとキアランじゃよ。こういう作戦は、彼奴らの得意とするところじゃ。アラナンも、勉強してくるがよい。


 ノートゥーン伯は、ちょっと残念そうだ。

 自分が派遣されないのが、不満なのであろう。

 マリーとジリオーラ先輩も、頬を膨らませている。

 そんな顔をされても、ぼくにはどうしようもない。


「お待たせしたわね」


 ひょいとぼくの影から黒猫が現れた。

 ふ、出てくるときの魔力を感じ取れるようになったから、もう驚きはしない。

 学院入学前とは違うのだよ。


「久しぶりね、シピ」

「マリーも元気そうね。よかったわ」


 シピとマリーは、フラテルニアへの道中で長く一緒だった。

 思い入れもあるのだろう。

 マリーの膝の上で丸まる黒猫は、安心しているように見える。


「レオンと会ってきたわ。国王派が兵を集めるまで、やっぱりまだ三週間はかかりそうね。クラカウの市内も見てきたけれど、ルウム教徒はやはり落ち着かない様子よ。クラカウのいまの実質的な支配者はヴィシラン騎士団のヴァツワフ・スモラレクで、彼はヤドヴィカの名でルウム教徒に対する権利の保障を発表したわ。でも、グニエズノ大司教ヘンリク・グレムプとポズナン伯ヴォイチェフ・レシチニスキは、異教の王を認めない声明を出しているわね」


 ポズナンからグニエズノ周辺のポルスカ西部は、現王家の基盤とも言える地域だ。

 クラカウのあるポルスカ南部はヴィシラン騎士団に同調する可能性が高いとして、他はどうなるんだろう。


「シロンスク公国とプルーセン騎士団は、当然グニエズノ大司教に味方するじゃろう。国王との縁が深いからの。問題は、中部のマゾフシェ公ミハウ・ラジヴィウと、東部のルブリン伯ヤン・ポニャトーヴァ、それと北東のペレヤスラブリ公国がどう動くかじゃな。これがヴィシラン騎士団に味方すると、長期の戦争になる恐れがあるのう」


 マゾフシェ公はゴプラン部族を中核とし、ルブリン伯はレンディアウ部族の旗頭だ。

 ルウム教会の力が浸透している地域ではないので、どう転ぶかはわからない。

 一方、シロンスク公国のシロンスク部族は元々ポルスカのレヒト人の一部族であったが、いまはボーメン王国に併合されている。

 リンブルク家の支配下にあるので、国王派に与するだろう。

 また、プルーセン騎士団はルウム教会の管轄の騎士団であり、当然異教のヤドヴィカに味方するはずがない。

 だが、ペレヤスラブリ公国はルウム教と対立するオルソドクシア教を信仰しており、ヤドヴィカの支援をする可能性はあった。


 国王一家を王都から脱出させ、シロンスク公国かグニエズノに届ける。

 そんな任務になるのかな?

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