第十章 春宵に響く鐘 -8-

 クリングヴァル先生の槍が突き刺さり、勝負が決したと思ったときだった。


 伯爵の体が溶けるように消え、クリングヴァル先生の槍の穂先が空を突く。


 いや、直前に大量の魔力が伯爵に流れ込んできていたのを捉えている。

 あれは、エリオット卿サー・エリオット加速アクセレレイションの感覚に近い。


 ──神聖術セイクリッドか。


 何の神かはわからないが、伯爵に力を与えた存在がいるのか。


「奥の手を此処で切ることになるとは」


 荒く息を吐きながら、クリングヴァル先生から三十フィート(約十メートル)ほど離れた地点に伯爵が現れる。

 胸のブリオーが破れ、血が滲んでいるところを見ると、本当にぎりぎりだったようだ。


縮地クルツ・メタスターゼでござんすな」


 ファリニシュは、あの術を知っているらしい。

 まあ、大方の予想はつく。

 要は、虚空を利用した短距離での瞬間移動かな。

 伯爵の魔力量では長距離は無理だろうし、連続使用も難しいはずだ。

 何せ、あれは加速アクセレレイションより余程難易度は高い。


「ルイーゼさんの横にいきなり現れたのは、これだな」

「大丈夫なの? シュヴァルツェンベルク伯が、凄い形相しているわ」

「心配はいらないよ、マリー。追い詰められたのは、伯爵だ」


 ミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルクは、いまの縮地ショートジャンプで本来は勝ちを拾いたかったはずだ。

 だが、先生の槍の鋭さに、転移先を選んでいる余裕がなかったのだろう。

 攻撃ではなく、逃げで切り札を使ってしまったのだ。


 焦りが伯爵の判断を狂わせたか。


 再び霧を出そうと魔法陣マジックスクエアに気を向けた瞬間、一足で飛び込んできた先生の槍が、渦を巻いて伯爵の胸に捩じ込まれた。


疾跳歩ゲイルリープステップだ。あの距離を一歩でくるとは、伯爵も予想してなかっただろうな」


 ぼくも二回戦の開幕で使った奇襲用の技だが、クリングヴァル先生ほどの達人が使うと、伯爵の縮地ショートジャンプと大差ない移動になるよね。


「致死判定出した槍の一撃、あれってアラナン君の螺旋牙スクリューファングじゃないのかい?」

「そうだよ。でも、あれは元々ぼくのエアル島時代の棒の師匠から教わった技で、師匠はきっと飛竜リントブルムと同郷なんだよね。だから、飛竜リントブルムの弟子のクリングヴァル先生が使ってても不思議はないのさ」


 クリングヴァル先生は観客席の女性に向かってアピールしているが、不思議なことに黄色い声援は飛ばない。

 男の観客の歓声は凄いのにね。


 赤い悪魔ルディダーベルは、まだ地面に倒れ伏していた。

 敗北を受け入れられないのか。

 無理もない。

 学院の出身ではないのに、あれだけの力を身に付けたのだ。

 かなりの自負もあったはずだ。


 ヴァイスブルク家の面子を潰した以上、成り上がりの伯爵様もこれまでかな。


 密かにそう思っていた。

 だが、そんな考えを一気にひっくり返すやつがいた。

 他ならぬユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルク、次代の皇帝とやらである。


 貴賓席から試合場に降りてきた公子は、止めに入るベールの警備兵をひと睨みで下がらせると、大観衆の下、シュヴァルツェンベルク伯の隣に歩を進める。


「あれは何をするつもりなんだ?」

「アラナン君は、ユリウス君を知らなかったね。あの男の怖いところは、こういうところだよ」


 帝国の大貴族同士、ユリウス・リヒャルトをよく知るハンスが指を差す。


 ユリウスはシュヴァルツェンベルク伯を抱え起こすと、自分の肩を貸した。


「歩けるか、シュヴァルツェンベルク伯」

「申し訳ございません、我が主君マイン・ヘル。御顔に泥を塗ってしまいまして……」

「気にするな。勝敗は武人の常だ。次に勝てばよい」


 怒るどころか、ユリウスは大きな度量を示して伯爵を赦した。

 観衆も、この少年の家臣を想う行動に絆され、大きな歓声を送っている。


「あれが計算ならまだ怖くはないんだが、あれはユリウス君の本心だ。いまの帝国の若い貴族たちは、熱狂的に彼を支持しているんだよ。わたしやアルフレートなんかは、北の僻地にいるお陰でその渦に飲み込まれずに済んでいるけれどね」


 皇帝がボーメン王を兼ねていた時代、帝国の首都はボーメンのプラーガにあった。

 だが、ボーメン王位がリンブルク家に移って以降、帝国の首都はレツェブエルにある。

 レツェブエルはアルマニャック王国との国境に近く、ポルスカ王国側のハンスたちの領地はあまり栄えないのだろう。


 だが、いま新しい若い世代が、エーストライヒ公のお膝元ヴェアンに集結しつつあるらしい。

 その中核となっているのが、あのユリウスとシュヴァルツェンベルク伯だという。

 敵には容赦なく厳しく、味方には寛大で優しい。

 意図せずその魅力を振り撒くあの公子が新たな皇帝となったとき、帝国はどう変化するのだろう。


「皇帝陛下には、直系男子がいない。だから、陛下が崩御されれば──」


 ハンスは周囲を見回し、声をひそめる。


「戦争が起きるよ」


 火種はすでに、あちこちに転がっている。

 だが、最大の問題はこの皇帝位継承だろう。

 最悪、帝国は二分される。

 そのとき、セイレイス帝国などの外国勢力は黙っているだろうか。


 高価な衣装に血が付着するのも厭わず、家臣に肩を貸して運ぶあの少年がその未来を左右するのだと考えると、何か膚に粟が立つような感覚に襲われるよ。


 思わぬ騒動にざわついている間に、西の出入り口からは、黄金の天幕ザラターヤ・アルダーの魔人が出てきていた。


 次の二回戦第七試合は、あの戦慄のタルタル人の登場か。


 クリングヴァル先生と変わらない小柄な背丈だが、骨格は随分違う。

 無駄なく鍛えられ、すっきりと精悍な先生に比べ、デヴレト・ギレイはかなり骨太に見える。

 今日は、右手に初めから隕鉄の魔刀を持っていた。

 開幕から全力で行く気なのか。


「東から現れたるは、野蛮なる本物の海賊、北方の海の民の巨星、魔法学院の高等科教師、大魔導師ウォーロックの直弟子、スヴェーアの海賊戦士ピロートクリーガラ、ビヨルン・ストリンドベリ!」


 オニール学長の片腕とも言うべきストリンドベリ先生の登場だ。

 白銀色の鎖帷子に兜を着込み、大きな戦斧と丸盾を携えている。

 この大会では珍しい完全武装の姿だ。

 魔法戦もあるので、単純に装甲を厚くすると機動力が落ちて悪手になる場合もあるからな。


「あの兜と鎖帷子は、魔法銀ミスリル製だ。錬金術アルヒミー学科の特注品だぜ!」


 カレルが得意そうに胸を張る。

 錬金術アルケミー科が、総出でストリンドベリ先生のために作ったらしい。

 買えば、とんでもない額がかかるだろう。

 だが、錬金術アルケミー科は、実は学院全体より金持ちなのだそうだ。

 研究して作ったものを、高額で売り捌いているらしい。

 だから、ストリンドベリ先生にあれを贈るくらいは余裕なんだそうだ。

 ──ぼくにもくれよ!


 こほん。

 ともあれ、あれが魔法銀ミスリル製だというなら、重さはほとんどない。

 剣も魔法も、かなりの部分で防いでくれるはずだ。

 相手の隕鉄の魔刀にも、対抗できるかな?

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