第二章 氷雪の魔狼 -7-

人面鳥ハルピュイアだ」


 鷹の目ファルケンアオゲンを使い、遥か上空まで見通していたレオンさんがぼそりと呟いた。


「ピラトゥス山をわれたせいか、こっちに逃げてきた生き残りがいるようだな」


 難しい顔をしているのは、向こうがまだこっちに気付いてないからだ。

 一羽だけならいいが、人面鳥ハルピュイアは集団生活をする魔物だ。

 下手をして群れを呼び寄せると面倒になる。

 普段なら気にせずに撃ち落としているのだろうが、今回はそうもいかないのだろう。


 馬車を止め、暫く様子を見ていたレオンさんは、人面鳥ハルピュイアが去ったのを確認してほっと息を吐いた。


「流石に編隊で来られると厄介だからな」


 新しい煙草に火を付け、空を見上げて煙を吐く。

 レオンさんも緊張していたのだろう。

 何事もなくてよかった。

 馬がやられたり、馬車を壊されたりする可能性だってあるしな。


 ザルナー湖を通り過ぎると、風景は牧歌的なものに変わった。

 爽やかな風が渡る高原で、放牧された牛がのんびりと草をんでいる。

 谷あいの小さな村では、子供が犬とともに山羊や羊を追っていた。


「いい風景ですね」


 森の深いエアル島では見られなかった酪農の光景に目を奪われる。

 長閑のどか午睡ごすいなどしたくなる雰囲気だ。

 だが、そんな平和な光景を破ろうと、無粋な襲撃者が姿を現す。


「アラナン、小鬼オルクだ!」


 西の山の中腹あたりから、複数の醜い灰色の肌の小鬼オルクが湧き出てきた。

 鋭い鉤爪を持ち、びた剣と盾を持ち、鎧まで着込んでいる。

 人には理解のできない叫び声をあげながら、放牧されている牛を狙って動き出していた。


「ちいっ!」


 レオンさんは素早く火口ほくちに火を付けると、先頭の小鬼オルクに銃口を向けて引き金を絞った。

 轟音と硝煙の向こうに、 血飛沫を上げて倒れる小鬼オルクが見える。

 だが、一体倒したくらいでは小鬼オルクの勢いは衰えなかった。


「ぼくが行きます!」


 レオンさんの火縄銃マスケットは連射の回転率に難がある。

 弾を詰めて火口を吹くのに数秒のラグが発生してしまうのだ。

 大人数が相手なら、ぼくの魔術エレメンタルのが効率がいい。

 火口に火を付けて準備をする。


「待て、突出するな!」


 レオンさんの制止も聞かず、ぼくは小鬼オルクへと駆け出した。

 途中でもう一回銃声が響き、また一体の小鬼オルクが眉間を撃ち抜かれて絶命する。


 その間に一体の小鬼オルクが逃げる牛に追いつこうとしていたので、風刃グィーを放って喉笛を切り裂く。

 よし、こっちの射程に入ったな。

 遠慮せずにぶっ放してやる。


聖爆炎ウアサル・ティーナ!」


 火口から火の魔力が吸い取られ、ぼくの楢の木ロブルの棒に集約する。

 凝縮された魔力が放射状に光条を発し、次の瞬間小鬼オルクたちのど真ん中で大爆発を起こした。


 上乗せしたのは小さい火だったから、威力はそこまでではない。

 二十体ほどの小鬼オルクが吹き飛んで戦闘不能になっていたが、煙の陰にはまだ同じくらいの人数がいるはずだ。


「ごおおおおお!」


 そのとき、ものすごい怒声が上がり、小鬼オルクより頭二つ分はでかい巨体が飛び出してきた。

 あれは小鬼オルクではない。

 大鬼オルク・ハイだ。

 人間を超える巨体に、膨れ上がった筋肉。

 威圧を込めた咆哮。

 大鬼オルク・ハイは間違いなく危険度ゲルプ級の魔物である。


「アラナン、退がれ!」


 レオンさんの叫びとともに銃声が轟く。

 だが、魔弾フライクーゲルの一撃を、大鬼オルク・ハイは魔力で皮膚を硬化させて防いだ。

 あれは凄い。

 とんでもないやつだな。


「ごがあああ!」


 魔力を乗せた咆哮がびりびりと肌を打つ。

 この手の威圧には強い方だが、一歩間違えると持っていかれそうだ。

 こちらが硬直したと思ったか、加速して大鬼オルク・ハイが迫ってくる。

 あの動きは、ぼくの回避よりはやいかもしれない。


 咄嗟とっさに一言呪文を滑り込ませる。

 大鬼オルク・ハイは、今からでは間に合わないと凄絶な笑みを浮かべる。

 レオンさんの悲鳴が蒼穹そうきゅうに響き渡った。


「アラナン!」


 大鬼オルク・ハイの棍棒がぼくの左肩に当たり、粉々に砕け散っていた。

 ぎょっとしたような表情を作る大鬼オルク・ハイの右手を掴むと、そのまま力を入れて一気に握りつぶす。


勇敢な戦士ケオンは敵が多いほど、敵が強いほど強化される魔術エレメンタルだけれど、その反動が後で来るんだ。ま、お前程度なら、半日くらいの筋肉痛で済みそうだな!」


 絶叫を上げる大鬼オルク・ハイに向けて楢の木ロブルの棒を構える。

 危機を悟ったか、大鬼オルク・ハイは黒い肌に魔力をみなぎらせてぼくの攻撃を弾こうとする。

 ぼくは口の端に、人の悪い笑みを浮かべた。


「悪いな。その防御は……喰わせてもらう! 螺旋牙スクリューファング!」


 魔力を乗せて捻りを加えた突きが、大鬼オルク・ハイの腹に抉り込まれる。

 大鬼オルク・ハイの黒い魔力が必死の抵抗を試みる。

 だが、勇敢な戦士ケオン発動時のぼくは、その莫大な消費魔力を維持するために楢の木ロブルの棒から周囲の魔力を取り込んでいる。

 結果、黒い魔力の防御は楢の木ロブルの棒に魔力を喰われ、螺旋牙スクリューファングの威力がそのまま大鬼オルク・ハイの腹に叩き込まれた。


「ぐぎゃあああ!」


 大鬼オルク・ハイの悲鳴が響き渡った。

 やつの腹はまるで爆砕したかのように大穴が開いている。

 穴は背中まで貫通しており、流石に致命傷だろう。

 ふらふらとよろめいたかと思うと、大鬼オルク・ハイは膝から地面に崩れ落ちた。

 舌を出して喘いでいたやつの瞳から、急速に生気が抜けていく。


 勇敢な戦士ケオンを解いて周囲を見ると、残りの小鬼オルクの半分くらいはレオンさんが倒していた。

 後の小鬼オルクは、指揮官の大鬼オルク・ハイが倒されたことで士気を失い、てんでに逃げていく。

 牛は逃げ散っていたが、死体は小鬼オルクしかないところをみると無事だったのだろうか。


「おい、大丈夫なのか?」


 大鬼オルク・ハイの棍棒の直撃を受けたぼくを心配して、レオンさんが近寄ってくる。

 ぼくは勇敢な戦士ケオンの呪文の効果を説明すると、問題はないことを告げた。

 暫く体を動かすと筋肉痛があるだけだ。


「それならいいが……とりあえずはな」


 それから、レオンさんは真面目な顔でぼくの頭をこつんと叩いた。


「お前は強いが、戦いの経験はおれの方がある。おれが突出するなと命令を出したのに、お前は無視して飛び出した。それは駄目だ。戦いは個人でやるものではない。前線で孤立すれば、どんなに強いやつでもあっさり死ぬことだってある」


 それからレオンさんは煙草に火を付けると、ぷうと煙を噴き出した。


「ま、もっともお前の実力を低く見積もっていたのも確かだ。それは修正しておこう。魔狼と対峙しようっていうだけのことはあるな」


 この人に認められたような気がして、ちょっと嬉しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る