第二章 氷雪の魔狼 -6-

「東にビュルグレン山を見ながら更に南下すると 、ツーク湖畔にシャム村が見えてくる。


「あそこで昼飯だ」


 事もなげにいうレオンさんに、閉鎖的な村に入っていって大丈夫かと問う。


「あの村は大丈夫だ。交易商人もよく立ち寄る。湖で獲れるカワマスを食わせてくれるぞ」


 どうやら、杞憂きゆうのようであった。


 さほど大きくない村なので、食堂は一軒だけだった。

 古びた看板には、湖の妖精亭と書かれている。


「ここら辺には伝説があってな」


 店のおばちゃんに昼飯を頼んだレオンさんは、店の名前の由来について話してくれた。


「人間に恋した湖の妖精が、念願叶ってその人間と結婚した。だが、湖で暮らす旦那は、いつしか故郷の街を懐かしむようになる。それを見た妖精は、その故郷の街を湖の底に沈めちまったのさ」

「え、何でです? 旦那が帰ってしまうとでも思ったんですか?」

「さあな。そう言うやつもいる。だが、旦那が湖の底で故郷のみんなと一緒に暮らせるようにと考えた妖精の優しさだと言うやつもいるのさ。本当のところはどうか知らないがな」


 ルツェーアンで作っていると言うビールで乾杯し、運ばれてきた昼食を見てみる。


 カワマスのフライにレモンソースを掛けたものに、黒パンとスープが付いている。

 意外とスープがいい味を出していた。

 香味野菜に魚の骨やあらで出汁を取ってるな。

 ここのおばちゃんはアルマニャック系の人かもね。


 カワマスは流石に新鮮で、白身のフライは甘みもありほっこりしている。

 黒パンは固かったが、こんな村で出る料理にしては上等なものだった。

 商人が立ち寄るだけはある。


 シャム村を出ると、道は南から南西へと切り替わる。

 南にローターベルク山を見ながら、ロイス川に沿って街道を進む。

 このロイス川の源流が、ルツェーアンのある四つの森フィーアヴァルト湖である。

 ツーク湖よりも更に大きいその湖は、ヘルヴェティアでも屈指の大きさを誇る。

 湖畔には四つの有名な大きな森があり、名前の由来となっていた。


 ルツェーアンが近付くと、人や馬車の往来も増えてきた。

 そろそろ日暮れも近い。

 みな、夜になる前にルツェーアンに入ろうと急いでいるようだ。


「ヘルヴェティアの政治的な盟主はベールの街だが、軍事力という点ではフラテルニアが頭抜けている。魔法師ソーサラーの存在が大きいからだ。だが、唯一対抗しているのが、勇将リヒャルト・マティスを抱えるルツェーアンだな」

「強いんですか?」

「そうだな……個人の武力で言えば、白銀級ズィーバー冒険者でも護民官より強い者はいるかもしれん。だが、軍隊を率いる能力と言うものはまた別物でな。ヘルヴェティアには、マティス護民官を上回る指揮官はおらん。だから、自由都市連合軍が結成されると、マティス護民官が将軍になるんだ。それで、ネフェルスでヴィッテンベルク帝国軍にも勝った」


 帝国からはヴァイスブルク家のエーストライヒ公爵を中核とする軍が派遣されたが、マティス将軍は散々にこれを撃ち破ったそうだ。

 元来ヘルヴェティアに地盤を持っていたヴァイスブルク家は、発祥の地を失うことに必死の抵抗を示したが、大魔導師ウォーロックを中核とする魔法師ソーサラー部隊に敵わず、ついにヘルヴェティアを諦めたと言う。


 そんな話をしながら行列を待ち、ルツェーアンの中に入った。

 一応冒険者ギルドにはルツェーアンに着いたことを知らせ、それから宿を探して晩飯にする。


「ここの狩人風豚のカツレツイェーガーシュニッツェルが絶品だ」


 レオンさんはあちこちの街に行っていて、名物にも詳しい。

 自然と馴染みの店を作っているようだ。

 こう言うところが大人なんだなと思う。

 何と言うか一緒に旅をしていて、単純な戦闘力でもあれだが、人間力で勝てる気がしない。


 薄い豚肉にパン粉を付けて揚げたカツレツに、キノコのクリームソースを掛けたものが出てくる。

 付け合わせの潰したジャガイモカルトッフェルピュレーも大量にある。

 レオンさんはビールを飲みながらこいつをちびちびと食べている。

 ぼくはこれだけだと足りないので、パンとサラダとスープを付けてもらう。


「レオンさんはこの仕事が終わったら何をやるんですか」


 白銀級ズィーバー冒険者の普段の仕事に興味があって聞いてみる。  レオンさんはちょっと困った顔をしたが、煙草に火を付けて煙を吐き出すと、天井を暫く睨んでから教えてくれた。


「フリースラントへ行く。総主教の依頼でな。当分はあっちにいるだろう」


 フリースラントと言えば、レオンさんの故郷だ。

 マリーの故郷のアルトワ伯爵領より少し北か。

 あそこも商業が盛んな地なので商人の力が強く、帝国の支配とよく衝突している。

 最近はかなり危険だと言う話だ。

 そこに聖修道会セント・レリジャス・オーダーの総主教の依頼で行くとか、かなりきな臭い。


「戦争ですか?」

「おいおい、おれは戦争屋じゃない。冒険者と傭兵は違うんだ。ヘルヴェティアは自由、平等、友愛の国だ。そして、冒険者もそれを掲げている。戦うために国家に雇われる傭兵とは違う」


 レオンさんは再び口からぷかりと煙を吐き出した。


「だがな、自由を護るにはそれだけの力がいるのさ。今のフリースラントには、残念ながらまだその力は…ないな」


 そう言ったレオンさんは、少し寂しそうに横を向いて煙草をくゆらせた。

 トップクラスの力量を持つレオンさんですら、一人ではどうしようもないことはある。

 それは、オニール学長ですらそうなのだろう。

 だから、大魔導師ウォーロックは魔法学院を作ったのだろうか。


 翌朝、朝食を食べると早々にルツェーアンを出立する。

 色々見物もしたいところだが、今回はパスだ。

 目的を優先しなければならない。


「できれば今日はブリュンホルン村まで辿り着きたいが、山間の道も通る。遅れたときは途中の村に泊まることも考えるぞ」


 ルツェーアンから先は、街道の左右が山岳地帯になると言う。

 まさに谷から谷へと抜けていくわけだ。

 それでもある程度は山を登らざるを得なく、馬車の速度も落ちることになる。

 おまけに、此処は魔物の群発地帯だ。

 襲撃も頭に入れて進まないといけない。


 ルツェーアンを出て、フィーアヴァルト湖沿いに南西に進む。

 西にはピラトゥス山がそびえており、崖と湖に挟まれた狭い街道をゆっくりと行く。


「ピラトゥス山には人面鳥ハルピュイアがいやがるんだよな」


 油断なく火縄銃マスケットを手の届く場所に置きながら、レオンさんは煙草をふかす。


「ルツェーアンからの依頼でかなり大規模に掃討したから、今回は出てこないと思うが」

「レオンさんがやったんですか?」

「ん、ああ、おれと魔法の箭ヘクセライプファイル風の侯姫ヴィントフュルスティンでな。白銀級ズィーバー冒険者三人でやる仕事ってのはそうはない。凄絶な殲滅戦になったな」


 レオンさんは魔弾の射手フライシュッツの異名を持つ。

 遠距離の迎撃が得意な三人が相手では、如何に人面鳥ハルピュイアが空を飛べると言っても近付くこともできなかっただろう。

 ちょっと見てみたかったな。


 ピラトゥス山の難所を襲撃なしで抜けてしばらく進むと、西のフュルシュタイン山と東のシュルヒベルク山に挟まれるように、谷あいにザルナー湖が広がっていた。

 湖を迂回しながら、また崖の麓にある狭い道を通らないとならない。

 馬車の速度は上がりそうになかった。

 

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