第18話:罰を選んだ少女は願う

 いづみの顔は、歪んでた。

 呼吸は、止まりかけていた。

 彼の腕は、折れていた。

 痛みが、ぶらり、ぶらりと、揺れるの。



「うあああああああああああああああああああああああああっ!」

 激痛に悶える声が聞こえた。ゾルバのもがく姿が見える。

 だけどマツリの眼には、あの瞬間が焼き付いていた。

 白の残像。消えるわけがない。白いものを消すには、黒く染めるしかないのだ。

「ぁ……っ!」

 いづみが失ってた声をわずかに取り戻し、息を吐いた。

「……いづ、み……っ」

 マツリはいづみを見て、震える声で彼女の名を呼んだ。だけどいづみの瞳に映るのは、恐怖だけだった。

 歪んだ表情。見えてしまった真実の残酷性を理解しようと必死だった。

「いづみ……!」

 もう一度呼んだ。今度はちゃんと声が出た。

「いづみ!」

 だけど、いづみは一歩も動かなかった。呆然と、愕然と、柱の影からもがくゾルバとマツリを見ていた。我を失ったように。

「はは」

 ゾルバが笑った。折れた手がぶらりと力なく揺れる。

「なんだ、噂は本当だったんだな」

「!」

「化け物じゃねぇか、十分に」

「……やめて」

 マツリは声を震わせて呟いた。ショックで涙も出ない。

 いづみは愕然としたままその言葉を聞いていた。体が凍り付いて、動かない。御伽噺おとぎばなしにありそうな、単純な呪文で縛られたみたいな。

「違う」

「違わねぇよ」

 言葉が、言葉が、声が。もうメグにしか聞こえなくて、耳を塞いだ。聞きたくない。

 聞きたくない。聞きたくない。

 眼はまっすぐゾルバを見据えていた。だって、眼を閉じるのは、怖かった。

 眼を閉じて次に開いた時、ゾルバが母のように血まみれになってたら?

 それに眼を閉じたら、もうこの声は本当にメグの声にしか聞こえなくなる。

 この声はゾルバの声だって、眼をそらしたらその証が失われそうなのだ。

 横たわったまま冷たくなる体。背中から全身が冷却される。駐車場のかすかに残るガソリンのにおいで息がしづらい。

「やっぱり、化け物じゃねぇかマツリ」

 喋らないで。

 心からの懇願。だけど吐息のような声しか出なかった。

 聞かないで。いづみ。見ないで。

 マツリはもういづみのほうを見ることができなかった。怖くて。

 今、どんな顔をしているんだろう。きっと私と同じ呪いにかかったみたいに動けないんだ。

「そっか、だからだ。メグがマツリを受け入れたのも」

「!」

「おんなじ化け物だからだ」

 血が出そうだった。まるでナイフが突き立てられ、胸に刺さった感覚があって。

「痛っ」

 ゾルバがぐっと、マツリの右手を強く掴んだ。塞いでた耳からはがされる。

 そして耳元で呟いた。

「だって、だからだろ。だからあの友達だって助けてくれないんだ」

 抉られる。

 マツリも、いづみも。

 いづみはずるりと崩れ、へたり込んでしまった。あれだけ鍛えてきた脚の力を失って、冷たい床に、灰色のコンクリートに、堕ちた。

「…………っ」

 声になる声がなくて。言葉が出なくて。絶句した。

 目の前で今まさに襲われてる親友のもとへ、助けに行く力もない。

 自分に絶望する。目の前が真っ暗だ。涙が、どうしてか出ない。

 泣きたいくらいの絶望なのに。

『化け物』と言う言葉に、メグの化け物がフラッシュバックされてしまって、身体が動かない。

 目の前の男がメグの声に瓜二つだからだろうか。その彼が不自然にマツリの体から跳ね飛ばされたからだろうか。むごい音で腕が折れたからだろうか。

 どうしてなのか、どうしてなのか分からないけれど。動けなかった。

「もう一度、出してみろよ。今度は確実に。マツリの、化け物」

「!」


 ――バ ケ モ ノ


「やめて!」


 ドゴォ!


 今度は天井がすごい衝撃を受けて砕け、砂ぼこりといっしょに砕けたコンクリートが降ってきた。

 心拍数が嘘みたいなスピードで、心音は莫迦みたいに鳴っていた。ゾルバの不敵な笑顔とマツリの右手をつかむ指先が、怖かった。

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