「おい」


 今度は心臓が止まるかと思った。いや、止まってくれてよかったのに。

「何してんだよ、お前」

「別に。見て分からないようなことしてるかな?」

 ゾルバの話し方が、元に戻った。

「メグ……?」

 やっと声が帰ってきて、いづみが呟く。現われたのは、雨の滴る傘を片手に持ったメグだった。彼は遠めに見ても、すごく、凄まじく怒っていた。ピリピリする殺気を放っていて、怖い。

「離せよ」

「化け物を?」

 眉がぴくっと動いて、いっそうメグが睨む。

「マツリをだ」

 マツリの眼からようやく涙が出た。

「汚ねぇ手で触るな」

「怖いね。こんな化け物が好みなんだ?」

 二人の声はこう聞くと本当に似ていて、ビルの中で奇妙に響く。

「黙れ。その口、塞ぐぞ。二度と開かないように」

 びりびりとメグの殺気が充満して、マツリもいづみも窒息しそうだった。

「化け物だよ」

 平然とした顔のゾルバがマツリを指さす。

「化け物だよ、コイツ」

「……っ」

 マツリは言葉が出ず、眼を逸らした。メグの顔が怖くて見れない。しかし、視線を逸らした先にパラパラと降ってくる埃と砂がうっすらと積もるのが見えて、マツリの眼にじわりと涙が湧いた。

「死にてぇのか。聞こえねぇのか」

「どっちでもないね」

「マツリから離れろ」

「どうして?」

 ゾルバは笑った。

「不愉快だ。殺すぞ」

「楓みたいに?」

「!!」

 マツリとメグは反射的に体を強張らせた。

「殺せよ。殺してくれるなら本望だよ。ヌメロウーノ」

「っ……おとなしく国光に帰れよ!」

「冗談だろ? お前が言うのか? あそこであれだけの目にあった、他でもないお前が言うのか?」

 だらっと、折れた腕を重力に任せて笑う。

「あぁ、そうだな。どうせ死ねるんなら。メグに殺してもらおうかな」

「なに……」

「楓みたいに、楽にしてもらおうかなぁ」


 アンタナンカ ワタシナンカ モウ嫌イ――!!


「楓みたいに?」

 マツリが呟いた。

「知ってるの?」

 まっすぐ、見上げる。

「何をだよ」

「楓が、どんな風に死んでいったか……知ってるの?」

「…………」

 ゾルバは初めて言葉を詰まらせた。

「知らないくせに。そう言うの?」

「……っ黙れ」

「黙らないよ」

「分かってるのか。今俺が化け物を出せば、メグかマツリを喰うんだぞ」

「どうして」

「メグは俺に体を与えた人間だし、お前は俺が――」


 ドカ!


「!!」

 一瞬だった。メグがマツリに覆いかぶさっていたゾルバを蹴り飛ばし、ゾルバが宙に舞った。

「黙れって言っただろ。不愉快なんだよ」

「メグ……っ」

 メグはこちらを見ようともせずに、彼を睨んでいた。

「死にてぇなら殺してやるよ。覚悟があんなら殺してやる!」

「メグっ」

 マツリは身をわずかに起こしたが、身体に力が入らない。

「次、俺に会いに来た時がその時だ。少しでも長く生きてぇなら、二度と俺の前に現れるな!」

「はは! 上等だよメグ。僕が僕でなくなった時、お前を殺しに来るから。そしたら、どうぞ殺してくれ」

「は……?」

 意味が理解できないといった顔をしたメグを嘲笑い、ゾルバは立ち上がった。そして言い残す。

「マツリ」

「!」

「自分の正体は、努々ゆめゆめ忘れるなよ」

 胸がうずいて、マツリは耐え切れずに俯いた。

 ゾルバはズルっと足を引きずって歩きだし、闇へ消えてった。残した笑みが不敵で、不気味だった。

「…………」

 暫らく沈黙が続いた。

 マツリは動かないまま、腕で顔を覆って仰向けになっていた。

 メグは立ちつくしたまま、マツリを見ようとしなかった。

「……ごめん」

「なんで謝るんだよ」

「私。だって、私が……」

「言うなよ」

「私が、殺したんだよ」

「言うな」

 涙が溢れて止まらなかった。なんでか、いっこうに止まらない。

「お母さんは……っ、私が殺しちゃったんだよ」

 上ずって掠れてしまった声が、わずかにビル内に響いた。耳まで伝う涙の雫が、熱い。

「私が、化け物だったんだっ……!」

 叫んだような、嗚咽のような声だった。それはメグの耳に届いて、そしてうわっと消えた。


 いづみはいつの間にかいなくなっていた。



 降りしきる雨の中、濡れた髪を滴らせて、いづみは無言のまま、走ることも出来ず町を歩いた。自分の町からは随分遠くまで来たので、帰り道が分からない。

 頭がガンガンした。なんだったんだ。あのやりとりは。なんだったんだ。あの……。

 ――『化け物』

 メグに似た少年がそう言っていた。ぞっとした。あの白い化け物のことだ。

 マツリの身体の中にも化け物が居る。その国光の見解は、残念ながら正しかったってことだ。

 いづみは吐き捨てるように、はっと笑った。

 なんなんだ。化け物って。

 なんなんだ。じゃあ人間って。

 今までの現実をすべて覆されたような気分だ。

 いっそ笑える。

「マツリ……ッ」

 涙と笑いが同時に込み上げて、滑稽だった。

 ――私のいた日常って、なんなんだ。


 この夏。いづみは、インターハイには出ることはなかった。

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