「困った事になったな」

「申し訳ありません……!」

 河口ががばっと頭を下げた。

 時雨シグレは報告に現れたマツリの担当研究員を一人ずつ見やり、ため息をついた。

「それで、本当に誰も大蕗オオフキ マツリを連れ去った人物を見ていないんだな?」

 時雨が問う。

「部屋まで駆けつけたのですが、そういう人物は確認してません」

 河口が答える。その眼に嘘はない。時雨は顔をしかめて松田のほうを見つめた。

 松田は黙って首を振った。

 彼女の部屋には此処に来た時の服と靴だけが残されており、それはつまり検査服とスリッパのまま逃げたことになる。自分一人で逃げるとすれば、動きやすい格好に着替えるはずだ。誰かが彼女をさらいに来たことは分かりきっていた。

 ――そしてそれは、十中八九メグだ。

 だけど、顔が割れているメグが、そんな風に誰にも見つからず施設に進入し、彼女を攫えるだろうか。痕跡も、証拠も、何一つ残さずに。

 時雨はぎゅうっと眉にしわを寄せて一つの仮説を呟いた。

「……奔吾ホンゴ、か?」


「残念、あれはヌメロウーノだった」


 ドリーはその推理に対し、ぼつりと呟いて笑った。

 ヘッドフォンで彼らの会話を聞きながらほくそ笑み、カタカタカタンとキーボードを打ち鳴らす。彼の眼鏡にうっすらとディスプレイの光が反射した。

「すごいな、あの子達」

 そうして称賛とともに、彼はエンターキーを押した。


 カタン。


 ***


 ピピ!

「!」

 機械音に反応してメグが勢いよく飛び起きる。マツリは目を丸くして驚いた。

 メグは自分の肩に掛かる羽布団とマツリを交互に見て、それから部屋を見渡した。

「……あー」

 そしてボリボリ頭を掻いて体を起こす。

 その瞬間、指先はするっとほどけてしまった。

「携帯、鳴ってんぞ」

「……あ。うん」

 マツリは頷いて、家に置きっぱなしにしていた赤い携帯を掴んだ。

 携帯で連絡取るのはいづみくらいなので、きっといづみだ、と思った。

「…………」

「……なんだよ?」

 マツリが黙り込んだのを見て、メグは訝しんだ。

「ドリーだ」

 それは、いづみからの連絡などではなく、まぎれもなくドリー、ブラックカルテの彼からのものだった。

「は……? ドリーって、あいつか? ブラックカルテの」

「うん」

 マツリはしばらく食い入るようにディスプレイを見つめて沈黙した。

「なんて」

「……うまくいったねって。メグがあの建物に来た事自体ばれてないみたい。むしろ大蕗……奔吾が、来たっていう疑いも出てきてるって。メグが映っていそうな防犯カメラ映像は書き換えたし、落ちていたスリッパも回収した……って書いてる」

「それが、なんでお前の携帯に来んだよ」

「わかんない。でも……ドリーだし」

 ――なんだソレ。

「君たちのサポートをする、って書いてるよ」

「……は?」

「情報操作、国光の情報の横流しは、任せてくれていい……って」

「随分惚れこまれたもんだな」

「……ドリーだし」

 ――だから、なんだソレ。

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