――あと三日で、約束の日が来る。


「……そう、出るか」

 保険医は呟いた。夏休みの保健室。新聞のこすれる音が鳴る。

「なぁ、メグ」

「…………んだよ」

 ソファでだらしなく横になったまま、メグが顔を上げる。

 椎名の所にいるほうが、マツリの情報を最速でキャッチできると思っているのだろう。彼は夏休みにもかかわらず、わざわざ制服を着て学校へ来ていた。

「毎日学校に来るようになったもんだなぁ……」

 椎名は茶化すように、感心してみせた。

「別にいいだろ」

 小さな舌打ちで返す。

「高橋さんもこの間、昇降口しょうこうぐちで見たな。会ったか?」

「部活で学校に来てるんだろ。俺は、会わねぇよ」

「………そうか」

 メグはいづみに会うのを避けていた。顔を合わせるのが怖かったからだ。椎名はそれを悟って小さく息をついた。

「それはそうと。マツリ、うまいこと使われてるぜ」

 椎名の言葉に、メグは怪訝な顔をしてソファから起き上がる。

「なんだ?」

 新聞がメグに渡される。しばしの沈黙。眉間に刻まれるしわ。

「おもしろいだろ」

「おもしろくねぇ」

 メグはあからさまに嫌悪した。

「なにが行方不明だ、くそったれ」

 その記事に書かれていたのは、見事な嘘だった。――大蕗 祀オオフキ マツリの行方不明を報せる記事。よくもまぁこんな嘘を堂々と書けたものだ。アホだ。嘘っぽすぎる。しかも情報提供先が国光の電話番号になってる。分かる人間には分かる。

「父親なら、マツリを助けようとするってか……」

「そう、いうつもりなんだろうね」

 沈黙。

「アイツが……」

 メグがぽつりと呟いた。

「ん……?」

「いや、なんでもねぇ……」

 言葉を切ったメグの横顔を見て、椎名はふっと息をついた。

「まったく、腐りかけた世界だ」


 ***


「なーにこれ」

 校庭脇にある水飲み場のふちに腰掛けて、リョウが携帯端末を見つめながら呟いた。そして、そばの蛇口前でゼイゼイ言ってる少女を見る。

「ね」

「……ッ」

 少女は呼吸を整えるだけで、言葉にならないようだった。

「あーんまり無茶しちゃダメだよ。いづみ」

「……っなに……?」

 いづみがようやっと顔を上げる。随分前に陸上部の部活は終わっていたが、彼女はまだ着替えも済ませていなかった。どうやらずっと自主トレをしていたようだ。

「マツリ、行方不明になったらしいよー」

「……えぇ!?」

 いづみは思わず大声で驚いた。

「ま、嘘だろうけどね」

 リョウが携帯に映し出された新聞記事をいづみに見せると、いづみは眉間にしわを寄せて黙り込んだ。

「そろそろ冷えるよ、着替えてきなよぉ」

 リョウがそう言うと、いづみは無言でブンブン頭を振る。

「今、走るのやめたら……、私、きっと正気でいられない……!」

 まだ走るつもりですか。リョウはいっそ感服かんぷくした。

「あのさ。なにがあったの……とか。聞かない方が良さそうだよね?」

 いづみは答えなかった。だからリョウも、それ以上何も聞かなかった。

「でもこれ、おかしいよね」

 リョウが再び記事を見る。

「マツリを餌に……何か探してる。みたいな」

「…………」

 いづみはタオルを顔に押し当てた。心当たりがある。マツリのお父さんだ。

 あの場所の記憶に脳を支配され、いづみは無意識に奥歯を噛みしめた。

 トラウマとも呼べる抗えぬ恐怖や、目を逸らして逃げてしまった羞恥しゅうちで思考が停止する。あの場所へ行くと言ったマツリに何か言葉をかけることや、会いに行くことすら、足がすくんでできなかった。そのふがいなさで心臓がささくれるのだ。

「……うーん」

 黙って縮こまってしまった彼女を見て、リョウはを心に決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る