「で、御用」

「そう」

 保健室に突然やってきたリョウは、椎名と向き合い、にこっと笑った。

 メグはするりと距離を取るように空いているベッドに腰を掛け、静かに彼女を見やった。相変わらずちっとも左手が反応しない女だ。

「れ、メグ」

 リョウはその視線に気が付き、ひらっと手を振った。メグはため息まじりに笑って、「よぉ」と言った。

「マツリ、どこ?」

 なんの助走もない、ストレートな質問だった。空気が一瞬で冷える。その空気をリョウは見逃さない。そして、読まない。

「どこ?」

 にっこりと笑ったまま彼女は続ける。

「……もしかして、新聞見た?」

 椎名が問うと、彼女は頷いた。

「ガラじゃないね」

「あはは失礼なっ」

 カラカラと笑って、笑顔のままふっと目を伏せる。

「いづみももう限界なんだ」

 その言葉にメグはドキッとした。避けて通ってきた問題を突きつけられた気がして。

「だから。マツリ、どこ?」

「……教えられないよ」

「この、電話番号のことも?」

 携帯をかかげ、表示された記事を指さす。

「かけたら分かるよ」

「かけた。なんとかホットラインだって言われた」

「あはは」

 笑える。白々しくて。

「ねぇ先生。探さなきゃいけないの」

 リョウが穏やかに、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……なぜ?」

 その声色にのっぴきならない覚悟が見えて、椎名は聞き返した。

「決めたから」

「決めた?」

「決めたことだから」

 真剣なその眼には、下手な説得やごまかしは通用しない。そう確信させる強さがあった。椎名は思わず、何も言えなくなってしまう。

「あと三日だ」

 メグが突然立ち上がった。リョウはメグに目線をむける。

「三日待て」

「……三日?」

「俺が、マツリを連れ戻しに行く」

「どこに?」

「……国光だ」

「おいメグ!」

 椎名が止めたが、メグは構わずじっとリョウを見つめた。まるで彼女を試すように。

「なるほどね……。ちょっとは予想してた」

 リョウは息をついた。

朝日奈 楓アサヒナ カエデは国光の人間に連れてこられた。その朝比奈 楓が来てすぐマツリの様子がおかしくなったのも、朝日奈 楓がすぐに消えて、マツリが学校に戻ってきたのも変だなって思ってた」

「…………」

 普段からは想像もつかないような目敏めざとさに、メグはわずかに眉根を寄せた。

「国光の車が何度もこの学校の前に止まってたのも見てるし、そいつらがこの前、マツリのことを何人かに聞いてたのも知ってるよ」

「……よく知ってるね」

「だてにサボってないから」

 リョウはあははと笑った。それは自虐にも見えた。

「だから、マツリが国光と何かトラブルを起こしたのかなって、想像くらいはしたよね」

 そして賢い。椎名もメグも正直リョウのことを侮っていた。

「で、メグがマツリを迎えにいくって?」

「あぁ」

「……ふーん」

「連れてかねぇぞ」

「あれ、まだ何も言ってない」

「分かるだろ」

「そっか」

「おとなしく待って……――」

「待たない」

 それははっきりとした拒否だった。

「私も行く」

 そして、はっきりとした表明。

「お前な……」

「言ったでしょ。んだって」

 リョウの眼が、ぎらっと光る。さっきと同じ光だ。

「決めた事は、私。必ずやるの」

「……んだそれ」

「じゃないと私、生きていけないから」

「はぁ?」

 ――なんだ。こいつ。

 目の前の少女の放つ異様な覚悟に気圧される。ぴりりと肌が泡立つ。

「私も行くからね」

 いつもはあんなにへらへらしているのに。現に今も鮮やかに笑った。それなのに、いっそ殺気のようなものが確かに感じられた。

「……だめだ」

「力ずくでも?」

 リョウはそう言って、いっそう微笑む。

 この展開には椎名も驚いていた。……こんな子だったかな、と。

「力ずく……?」

 メグは半笑いで繰り返す。

「うん」

 何故笑ったのか理解できなかったのか、彼女はきょとんとした。

「お前がか?」

 喧嘩っぱやい問題児として名をせていた『俺』に? という意味を込めて問う。

「そう。私が」

 けれど、彼女は一切動じず問われた質問に答えただけだった。

「……やめとけよ」

「やめない」

 そこで気づく。こいつは、本気だ。と。彼女の言葉も意識も、ひとつも揺らぎがない。迷いがない。もはや、決定事項なのだ。

「行くよ」

 メグは睨むようにリョウを見つめた。その笑顔だけ見れば、綺麗な顔の女の子だ。

「国光の厄介事に、巻き込まれるぞ」

「上等」

「下手こきゃ死ぬかもしれねぇ」

「行かなくても、生きていけないから」

 どう言う意味かは分からない。だけど、その言葉が真実であることは確かだった。

「……椎名」

 ちらりとメグが椎名に目を配る。

「もういいよ……。君ら、強情すぎだから」

 椎名は諦めたようにため息をついた。メグは頷いて、再びリョウを見やる。

「よし。三日後。夜だ」

「うん」

 彼女は満足げに笑った。

「それから、椎名。お前、例の『化け物を作る研究』ってやつに、行け」

「……へぇ?」

 いきなりメグに指を指され、椎名は驚いた。リョウも保健医を見る。

「お前、俺の監視役で此処にいるんだろ」

「……知ってた?」

「当たり前だ」

 最初から隠す気などなかったくせに。とメグは顔をしかめた。

「俺が勝手な行動とって、面倒なことになったら、あとあと……」

「それは、気を使ってくれてるのかな?」

 メグは眉間に思いっきりしわを寄せた。照れ隠しだ。

「ありがとう。でも、俺。この研究には……」

「頼みたいことがあるんだ」

 メグが椎名の言葉を遮る。

「その研究に加わって、お前に調べてほしいことがある」

「……なに?」

「死んだ朝比奈 楓ブラックカルテが、どうなるのか」

 一瞬、空気が固まった。リョウが頭を掻いてため息をこぼす。

「……こりゃ確かに物騒だわ」

 思った以上に。

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