朝はあっけなくやってくる。

 光が部屋に入ってきて、目を開ける。朝はいつも、そうやって始まるのだ。


「此処……」

 目を覚ましたマツリが小さな声で呟いた。そしてゆっくりと起き上がり、ベッドにもたれかかって座ったまま眠っているメグに目を止める。

「……ん……」

 そのメグも朝日に邪魔されて、目を覚ましたようだった。

「……っあ!」

 メグが意識を取り戻すと同時に声を上げ、思いっきり身を起こすと、こちらを見ていたマツリともろに目があった。

 でも。

「……マ……――」

 ――でも、変だな。

「あなた……」

 マツリが声を漏らす。

 ――変だ。

「……マツリ?」

「あなた……誰?」


 ――左手が、疼かない。


「――な、に……言ってんだよ、マツリ……」

「誰……」

 それは、初めて会った時のままのまっすぐな眼だった。そこに怯えは一切ない。

「どうして、私の部屋にいるの? ……というか、どうして私は部屋にいるの?」

 マツリは不思議そうに部屋を見渡していた。

 そんな彼女を見て、メグの頭がガンガンと鳴っていた。なにかに打たれたような音が脳内で響く。

「お前……、俺が、怖くねぇのか……?」

 恐る恐る、たずねた。

「……どうして? 家の中にいるのは、驚いたけれど」

 彼女は首を傾げた。

「俺が誰か、わかんねぇのか……?」

「知らない。あなたは誰?」

神威カムイ……神威 メグだよ。何、言ってんだよ……」

「……ごめんなさい」

 マツリは少しだけ申し訳なさそうに顔をしかめた。冗談ではない。

「あなたが私を運んでくれたの? 私、どうして此処に……――」

 決定的に。メグは気づいてしまった。これは防衛本能の欠如した、だと。

「……いづみは?」

「え?」

「いづみのことは、分かるのか……?」

「いづみ……? 高橋 いづみのこと?」

椎名シイナは……」

「……椎名先生のこと?」


 ――忘れてしまったのは、俺だけだった。


 ***


「人間は弱い生き物だな、メグ」

 どっかの物語で出てきそうな台詞をぬかした椎名を、メグはバツが悪そうに睨んだ。マツリの異常に狼狽うろたえた挙句、メグは家を飛び出して、まっすぐに保健室にやって来たのだ。

「消すしかなかったんだよ」

 消去法的結論を、椎名が告げる。

後天的こうてんてき多重人格者がどうして生まれるか知ってるか?」

「……知らねぇよ」

「挙げられる例のひとつにすぎないが、虐待などの辛い経験や記憶を自分が作り上げた『』に押し付けることで、自己を守ろうとするのさ。生きるために、頭の中の情報を操作してしまう。人間に携わった生存本能だ。そう珍しいことじゃない」

 椎名の白衣の几帳面きちょうめんなしわを、メグはぼんやりと睨み続けた。

「きっと……自己の精神を保つには、お前を消すしかなかったんだよ。メグ」

「マツリは……ッ」

 反論を探した。だけど、無かった。

「あの子は強いさ」

 強い眼で怖いくらいの眼差まなざしで、いつも突き刺してくる。

「だけど覚えとけよ、メグ。人間は弱いんだ」

 メグは感情をあらわにして、眉間にしわを寄せた。

「どうしたら……――」

「お前が聞くのか? マツリは、お前を消したかったんだぞ?」

 それは、これ以上ない指弾しだん

「今はお前が何をやったって、苦しめるだけだ」

 そして、残酷な正論だった。

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