第6話:長谷川 寥は怖れない(後編)

 ――なんだったんだ。あの彼女は。


 自室の閉鎖空間で、メグは記憶を反芻はんすうする。

 カーテンの隙間からうっすら夜が来た。青白い色が部屋に漏れ、ひんやりと染まる青の世界。


 ――あんな彼女は見た事がない。

 出会った頃の彼女は、他人には優しいくせに、自分を諦めていた。泣きだした彼女は、何かのかせが崩れ去った代わりに、不安定だった。

 ……今回のあいつは、なんなんだよ。


 明日の試験勉強になど見向きもせずに、メグは頭を抱えて机に突っ伏した。


 ***


「マーツリ」

 試験最終日、職員室前を歩いていたマツリは、保健室の窓から顔を出した椎名に呼び止められた。首を傾げながらも、おいでおいでと手招かれるまま保健室に入る。

「……なんですか?」

「もう帰宅ー?」

 椎名がカコンという音を立てて、おもむろに氷をグラスに入れた。

「あ、はい。テスト期間ですから」

「ちょっと話しようぜー」

 そう言って彼が取り出したのは、高校生のマツリには馴染みのないべっこう色のボトルだった。

「……それ」

「お酒」

「…………。私未成年ですよ」

 念のため主張する。

「腹割って話すのはコレが一番いいんだよ、っと」

 彼はそう言うと、タポタポと遠慮なくバーボンとサイダーを注いだ。マツリは黙ってソファーに座った。

「……腹。割る必要、あるんですか?」

「んー……?」

 ボトルの蓋を閉めながら椎名は笑う。

「マツリの顔がねー」

「顔……?」

「そう、顔。少し見ない間に随分変わったように見えたから。どうしたのかなって」

 にっと笑った椎名の目が全てを見透かしていそうで、マツリは苦しくなった。

「……先生」

「ん?」

「……私、変ですか」

「そうだねぇ……。はい」

 椎名は氷で綺麗な音を鳴らしながらグラスをマツリに手渡す。

「人間っていうのはさぁ、そもそも、変な生き物だからね」

「…………」

「変な言い方だけど、出会った頃より人間らしい顔してると思う、かな」

 マツリはぎゅうっとグラスを握りしめた。

「……メグが」

 口を開いた。

「メグが……。怖くなったみたいなんです」

「と、いうと?」

「私が、メグを。突然、怖くなってしまったみたいなんです」

「……あの化け物の話かな」

「はい」

「化け物が、君を喰おうとしたのかな?」

 本当は知っていた。けれど椎名は知らないふりをした。

「はい……」

「……ふーん」

 ため息混じりに座りなおし、バーボンを一口。椎名の所作しょさはどこか上品だった。

「私。変わってしまったのかな……」

「変わったと思うよ」

「でも、メグに対する印象も感情も変わってない」

 本当に、何も変わっていないのだ。メグへの思いは何も。

「だけど、メグを傷つけたのは、分かるんです」

 椎名は視線だけでマツリを見つめた。

「怖いと思われること、一番辛いのは、メグなのに……」

 そうだな。それは、否定しない。と、椎名は無言で同意した。

「……今度こそ嫌われたと、思うんです」

「えっ、なんで?」

 驚いた。それは同意できない。

「だって……。凄く、メグが、私……」

「……? え、なんか、あったの?」

 マツリの大きな瞳から、涙が溢れそうになった。


 ――あぁ。きっと。私、あの時払われた手が、随分痛かったんだな。

 椎名に順を追って話して、マツリはやっとそのことに気が付いた。

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