「ほらっ、此処!」

 連れて行かれた先は体育館裏。

「ね。いいとこっしょ」

 殺風景さっぷうけいではあるが芝が植えてあって、どことなく涼しい。確かに『いいとこ』だった。

「こんなところあったんだ……」

「ほらっ座りなよ。平均台あるから」

「あ、うん」

 すでに彼女は座ってパンを広げている。マツリも赤い平均台に腰を掛けて、パンの袋を開けた。

「……あ。改めて。この前は、ありがとう……ございました」

 マツリがおそる恐るお礼を言うと、彼女は靴をとんとん鳴らした。

「え? あー。いいのいいの。周りの奴らが動かないからさぁ」

「メグだから……」

「ん? なに? メグって」

「えっ。あの、運んだ男の子……」

「……あーっ。あれが噂のメグだったんだ!?」

 ああ、知らなかったんだ。そっか。だから……。マツリは納得した。

「ふーんっ。今元気なのあいつー」

「うん。もう平気みたい」

「良かったねっ」

 彼女は輝く笑顔でにかっと笑った。だから、すこし呆気に取られた。

「……怖くないの?」

 マツリが何度も言われてきた言葉を、今度はマツリが言った。変な気がした。

「え?」

「メグのこと、周りの連中みたいに……」

「あー。うん。だって別に私が何されたわけじゃないしっ。普通の男の子なんでしょー?」

「……うん」

「あ。ごめん。名前なんだっけ」

 今更か。

「大蕗 祀」

「オオフキ マツリ? 私、長谷川 寥ハセガワ リョウ

「リョウ」

「そ。よろしく」

「……よろしく」

「私二年だよ。あんま学校来てないけど」

「私も二年。深町先生のクラス」

「あー。あの化学のーっ? あはは。私担任の名前わかんない。HRホームルーム出たことないし」

「えぇ……。留年ダブるよ?」

「いいよ。そしたらもう一年やる」

 あっさりとしすぎてる。軽やかで、明るい。背の高い、可愛い女の子。マツリはそんなリョウの言動に、言い得ない好感を抱いてしまった。

「……で、どーしたの?」

「え?」

 マツリは振り向いた。一瞬、何も考えてなかったので、きょを突かれた。

「なんかずっとぼーっとしてるからさぁ。もしかして天然ボー子?」

「……違う」

 まぁ、ぼーっとしてる方ではあると思うけど。

「なに、悩み? よけりゃあ聞くよ!」

 随分軽く相談を請け負う。マツリは少々躊躇ためらいつつも、第三者の意見を聞いてみることにした。

「……人の触れちゃいけないところに、触れてしまったら、リョウなら。どうする?」

「んー?」

 彼女は首を傾げて考え出した。

「それ、触ったら怒られたの?」

「……うん」

「んー」

 彼女はぎゅうっと眉を寄せて考えた。その綺麗な色の髪が、太陽できらきらと光った。

「悪気があって触ったの?」

「違う……」

「ならどうして?」

「…………」

 ――

「……なんでだろ」

「問題はそこだよ」

 にこっとリョウが笑った。マツリは一瞬黙り、そして「ありがとう」と呟くとパンを頬張った。


 ――会いに行こうと思った。


 食事を終えるとマツリは走り出していた。教師達に見つかったらとがめられるスピードで。

 廊下。職員室。中庭を抜けて。


 ――メグに会いに行こう。だって、リョウは加えてこう言った。

「傷つけてしまったんなら、謝れば良いじゃん。許してもらうためじゃなく。心から謝ればいいんだよ」

 謝らなくちゃ。許してほしいからじゃなくて、傷つけたことを。伝えなくちゃ。傷つけるつもりなんてなかったことを。許さなくたって良いから、申し訳ないと思っていることを。



「あれぇ? マツリじゃん」


 マツリはギクリとして脚を止めた。金髪の保険医、椎名 梓シイナ アズサに呼び止められたからだ。振り向くと保健室の中からコーヒーの良い香りがした。

「……こんにちは」

「こんにちは。なに? どうしたの。そんなに走って」

「あ……。メ……。あの……先生」

 マツリは逡巡しゅんじゅんあらわにし、少し躊躇った顔をして椎名を見つめた。

「ん?」

「メグが、その……病院で左手の化け物を出したのって……何に使ったんですか」

「……聞いてどうするの?」

「どうする……とかは」

 マツリはあからさまに目を逸らした。そんな彼女の後ろ髪を引くなにかに気が付かないふりをして、椎名はため息をついた。

「傷つけたんだよ。自分の母親を」

「えっ」

 マツリの耳の奥でびしっと、何かにヒビが入る音がした。あの手が、あの化け物が、自分の母親を傷つけた。それは想像していたよりもずっと、凄惨な話だったからだ。

「そ……」

「母親がどうなったか、知りたい?」

「そんな……」

「事実だよ」

 その言葉はずしっとマツリの意識を逃がさないようしかかる。信じないことを許さない。

 そのタイミングで鐘が鳴った。昼休みが終わる。

「お母さんは……」

 分かってたのに。訊ねてしまった。

「亡くなったみたいだよ」

 聞いてはいけないって、分かっていたのに。聞かなくたって、結末は分かっていたのに。

 マツリは何も言わず腰を折り、また走り出してしまった。


 ――私はなんて最低なんだろう。

 人を傷つけて。謝る相手を前に少しでも安心しておきたくて、他人を詮索して。

 分かっているのに。そんなことをする権利がないことを、理解しているのに。

 私の方がよっぽど化け物だ。容易に人を傷つける。メグの化け物と変わりはしない。

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