Episode48 ~雛鳥の少女~

 ──たった一言で形勢が逆転した。

 灼熱の壁が形勢される間、立ち尽くすしかなかったノアの感情は焦りでも後悔でもなく、怯えだった。

 今まではお互いに別の相手をする事はあっても、いざという時に手助けが出来た。だがカイとの間を隔てる壁は、離れていてもその熱が伝わってくる。

 近づくだけでもアーマーが削られるだろう。あれは死の壁だ。


 反対側からの手助けは不可能。ここから先は本当の意味で”一人で”戦わなければならない。

 怖くないわけではない。今までカイのサポートに徹していたノアにとって、一人で戦うのは初めてなのだから。

 でも──特訓に付き合ってくれたアンリや、自分をペアに選んでくれたカイの想いを無下にする訳にはいかない。

 やらないと……そんな使命感でノアは何とか正面の敵をみやった。


「随分と顔色が悪いみたいだけど……大丈夫? 子猫ちゃん?」


 今まで静観していたエリーシャが不敵な笑みを浮かべて言った。


「飼い主から離れて孤独になった気分はどう? 聞かせてくれない?」


 小馬鹿にするように目を細めるエリーシャ。アンリを学園のアイドル的存在ならば、彼女は学園の毒女だ。曰く、己の地位や権力を気にするがあまり、自分より下の存在を馬鹿にしているだとか。

 ──そうやって自分の自尊心を保ってるって事なのかな。少し可哀想……。

 言い返す気にもなれず、代わりに右腕を彼女に突き出した。


 魔術師にとって臨戦態勢。ノアが一言唱えれば魔術を起動できる状態にいるというのに、エリーシャは尚も笑みを浮かべ続ける。

 ならば先手必勝、やってやるまで。


「《解放リリース──ライトニグル──》」

「《解放リリース》」


 エリーシャの右手から光が瞬く。それを視認し脳が理解する頃には、手に爆発するような衝撃が襲った。

 凄まじい衝撃が身体が吹っ飛び尻餅をつく。こちらも魔力を練っていたからかアーマーは削れてないし、痛みもないが、少し右手がビリビリと痺れるのを感じた。


「アハッ! おっそいのねぇ!?」


 己が魔術で無様に吹っ飛んだノアを見て、エリーシャが高笑いをした。詠唱が遅い事は、特訓中も常々アンリから言われていた。

 曰く、ノアは脳内に確固たるイメージが生み出せないから、詠唱の短縮化ができないと。

 汎用魔術は基本、起句を除くと『命令句・属性句・形成句』の三節で構成されている。これを短縮するというのは"どんな動きで"、”どんな属性で”、”どんな形で”魔術を起動するのかを明確に脳内に浮かべる必要があるのだ。

 これは何よりも冷静になる事、そして煩悩を捨てる事が求められるが、ノアはこの両方が欠如していた。


 原因は分かっている。

 ノアは昔から悪夢で死を見てきた。血の生臭さや温かさを、どこを攻撃すれば死ぬのかを致命傷になる場所を、それでどう苦しむのかを──この場にいる誰よりも知ってしまっている。

 だからこそ、自分が死の体験をするのが、他人に死の体験をさせてしまうのが怖い。

 無論魔術はそういう世界だ。魔術を使う以上割り切る以外に方法はない。しかしそれが出来ないのがノアの優しさであり、同時に欠点でもあった。


 ──一瞬ネガティブな思考になりつつある頭を、咄嗟に戦闘モードに移す。

 変なことを考えてる暇はない。思考すべきは他にある。

 詠唱の速さでノアはエリーシャに敵わない。だが対処法が無いわけではなかった。


 ノアはまだ重みのある右手にマナを練り上げる。

 見ると、エリーシャは高笑いを止めて二撃目を放たんと腕を伸ばしていた。掌の標準がノアを捉える。


「《解放リリース》──ッ!」

「《再起動リ・ブート》──ッ!」


 ノアとエリーシャの詠唱が重なる。エリーシャに浮かぶ魔法陣は金色、つまり先程と同じ雷属性。対しノアは鳥の形をした炎属性魔術を起動した。

 再起動リ・ブートは事前にストックしておいた魔術を放つ技。これなら確実に一節で詠唱できる。


 雷撃と小さな炎鳥が一直線に距離縮めていく。2つがぶつからんとした時、雷撃が炎鳥の僅か横を通過した。

 理想は雷撃を炎鳥にぶつける事だったかもしれない。だがこれでいい。

 ノアはエリーシャの詠唱と同時に身体を起き上がらせて横に飛んでいた。

 彼女の雷撃は速いが、速さを犠牲に動きは直線的だ。ならば狙う場所は容易に想像できる。

 案の定雷撃は数瞬までノアがいた場所の床を抉った。


 これでエリーシャの魔術は不発。だがこちらの魔術はまだ残っている。

 ノアが放った炎鳥は雷撃より速度が遅い。しかし追尾性能があり、目標に当たるまで追いかけ続ける。

 エリーシャもそれを理解したようで、咄嗟に腕を伸ばして炎鳥に向けて雷撃を放つ。


 不規則に動く炎鳥を雷撃が貫く──かと思いきや、雷撃は鳥にぶつかった瞬間爆散してしまう。


「なっ……!?」


 エリーシャが驚きの声を上げた。雷撃が爆散するというのは、鳥が雷撃より強いという事に他ならないからだ。

 ノアはアンリが特訓中言っていたことを思い出す。

 ──ノアの長所はマナの濃度よ。正直に言うと私より濃い。

 ──だから詠唱速度を改善して戦闘経験を積めば、貴方はきっとこの学園にいる誰よりも強くなれるわ。

 マナの濃度が濃いほど魔術の基礎能力が高くなる。

 つまり、エリーシャとノアが全く同じ状況、同じレベルの魔術を放った場合──ということだ。


 炎鳥がエリーシャに迫っていく。自分の魔術が押し返されるのは初めての経験だったのか、一瞬反応が遅れた。


「くっ……!? 《再起動リ・ブート》──ッ!」


 エリーシャが咄嗟に障壁呪文エオスを起動し、彼女の身体からハニカム型の盾が出現するのと──。

 炎鳥の身体が光って大爆発したのは同時であった。

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