Episode45 ~紅き思い~

 まるで時間が停止したように、静寂だけがアンリとレオンを支配し──。

 アンリの中の何かが、音を立てて瓦解した。

 勢いよく席を立つ。

 呼吸を忘れていた肺に空気を入れると、アンリは呟いた。


「……嫌です。絶対に嫌です!

 そもそも私は転校する気はありませんし、結婚する気もありません!」


 父親に反抗したのは、人生で二度目だった。

 ──でも、一度目よりも感情を露わにできているのは、何でだろう?

 その疑問は、再び押し寄せた熱い感情に飲み込まれた。


「魔導士になりたい……ッ! その夢を叶えるために、あたしはグラーテ魔術学園に入ったんです!

 あたしが今まで頑張ってきたのは……決して……ッ!

 この家のためでも、お父様のためでもないッッ‼」


 思い切り机をたたく音を境に、また部屋を静寂がつつんだ。

 娘の告白を聞いて、父はどんな表情をしているのだろう。

 下を向いているアンリには、確認のしようがない。

 しかし、顔を上げて確認する気にもなれなかった。

 

 やがて。

 世界に再び音が戻ってきたのは、カチャン、と食器が置かれた時だった。


「……お前の言い分は分からなくもない。

 だが、お前はあの学園で何の成果を上げた? 何を成した?

 あの学園で、私が提示する将来よりも、確実で順風満帆なものが送れると本気で思っているのか?」


「…………ッ」


 やはり、アンリは言い返せない。

 確かに、レオンが提示する将来は確実だ。確実すぎるほどに。

 地位か確立され、将来が確立される。

 それは、今情勢が不安定なこの大陸で、どんなに幸せなことだろう。


 ──でも、違うのだ。

 まだ17年程度しか生きていないアンリにでも、分かる。

 

 客観的にそう見えても、自分自身が幸福でなければ意味がないじゃないか。


「……成果を、出せば良いんですね?」


「ん……?」


「一週間後、学園で【魔術披露祭】があります。その中に、魔術決戦トーナメントという催しがあるのは、お父様もご存じでしょう」


「何が言いたい?」


「多くの人が注目する舞台です。各地から魔術の重鎮が多く見学しに来るでしょう。

 そして、前年通りなら、聖ティターニア修導院の生徒も参加するはず」


 アンリは拳に力をこめながら、続ける。


「それらを打ち負かし、頂点に立ったなら──それは、お父様の提示したものに差し支えない『栄誉』と言えないでしょうか?」


 決然としたアンリの両目を、レオンは静かに見つめた。

 アンリも脂汗を浮かべながら、懸命に視線を合わせ続ける。

 そして、レオンはフンッと、どうでも良いかのように鼻を鳴らした。


「良かろう。もし頂点に立ったら、考えてやらんこともない」


「ありがとうございます」


 深々と礼をしてから、アンリは静かに部屋を後にした。



 渡り廊下を歩きながら──思考を巡らせる。

 真っ先に考えたのは、ペアの事だ。

 魔術決戦トーナメントは二人一組の戦いだ。


 誰をペアに選ぶのかは、勝敗に大きく関わる。

 途端、脳裏に茶髪の少年の姿がよぎるが、アンリは首を振ってそれを払う。

 彼は──カイとは一緒に出場できない。


 何故なら、彼は恐らくノアと出場するだろう。

 まだエントリーしていないだろうが、ほぼ間違いない。


 ──それに、あいつを頼るんじゃ、意味ない。

 何故なら、魔術決戦トーナメントで優勝することが目的ではないからだ。

 あくまでそれは通過点。


 トーナメントを通して如何に父親を納得させられるか。

 それが今回の本当の目的なのだから。

 思わず、アンリが右手をぎゅっと握った。


 ──転校なんてさせない。結婚もしない。

 お父様の言いなりになるなんて御免だ。

 夢をあきらめる。それだけは、絶対に嫌だ。

 だって、あの日──誓ったのだから──。


 脳裏に浮かぶのは、数年前の【厄災】の光景。

 あの時、王都に住んでいたアンリとシンシアを、【厄災】から救った空挺軍の少年。

 全身血だらけになりながら、戦う彼の姿は、アンリが抱いていた空挺軍の姿とはかけ離れていたけれど。


 ──でも、憧れた。

 他人の為に戦うのは。自分を犠牲にするのは、間違っているかもしれない。

 だが少なくとも、彼はそうした。


 アンリ達を置いて逃げずに、空挺軍としての責務を最後まで全うした彼に、アンリは憧れたのだ。

 偽善でも良い。間違いでも良い。

 ──ただあたしは、彼のような人になりたい。


 兄の様な聖職者を目指していたアンリの願望は、そこで完全に魔導士に変わったのだ。


 いつの間にか、自室の前に来ていたことに気が付いた。

 中に入って扉を閉める。

 静かな空間。

 ふと、何かに浸りたい気分になり、アンリは部屋の奥へ向かった。


 そこには勉強の時、いつも使っている机がある。

 机の引き出しを開ける。中には、一つしか入ってない。

 そこには、酷く色あせてほつれた


 これはアンリが当時、逃げる寸前に持ってきたの礼服の切れ端だった。

 それを手に取ると、アンリは両手で包み込むように握った。


 ──空挺軍に入れば、またに会えるかもしれない。

 名前も、顔も詳しくは憶えてないけれど。

 でも、会えばきっと分かる。そんな気がするのだ。


「その為にも……あたしは……ッ!」


 視線を上げて、窓を見る。

 空はもう暗く沈んでいて、星群が尾を引くように伸びていた。

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