Episode44 ~陰る心~
リーネット家は、大昔から聖堂教会に仕える大家の一つだ。
今は過去の【厄災】の影響もあって、グラーテの別荘に
元は限られた者しか入れてない《中央エリア》にも、出入りできるほどの貴族である。
聖堂教会が信仰している神は一人。
世界を創造したとされ、神話に語り継がれる神々の戦争《
──その名を創界神【カムイール】。
幼い頃から、何回も聞かされた話が脳裏によぎる。
渡り廊下にあるカムイールの像を横切ると、アンリは正面の大きな扉へ向かった。
無駄に
そこは中心に大きな長方形のテーブルが置かされているだけの部屋だった。
天井には豪奢なシャンデリア。
壁にも同じような装飾がなされ、燭台の火が揺らめていた。
そして──アンリは、テーブルの奥に座る大柄の男性に目を向けた。
「遅いぞ。もう料理はできているんだ。いつも五分前にはいるように言っているだろう」
男性の目がアンリを射抜く。
反射的にアンリは唾を飲んだ。別に怒っているわけではないだろう。
彼は元より、こういう雰囲気の人物なのだ。
「申し訳ありません。お父様」
45度の位置まで頭を下げると、アンリは父親のレオンとは反対側の席に腰を落とした。
すぐに使用人が手早く料理を並べて、手元にナイフとフォークを置く。
料理を切り分けて、静かに口に運ぶ。
匂いや味を楽しむ心は、この家にはない。しいて言えば、食事の前に神に感謝するという、信仰心だけだ。
鉛のような食事を続けていると、父親が口を開いた。
「……学園の方では精進しているらしいな」
「……、はい」
アンリは一瞬応えるのが遅れた。
今まで父親が、世間話をすることなど一度もなかったからだ。
──その警戒心は正しかった。
「聖ティターニア修導院から転校の許可が出た」
父親はただ、事実だけを告げるように言った。
「…………え?」
アンリは思考が止まった。否、理解したくなかった。
聖ティターニア修導院。名前は知っている。
聖堂教会の関係者なら全員知っている。
中央エリアの外れにある町【ティターニア】の魔術学院の名だ。
聖堂教会の関係者しか入ることができず、聖属性魔術を中心に教えている。
──そこに転校の許可が出た?
自分は転校なんて考えてない。そんな話初耳だ。
つまり、これは……。
「何を……ッ! ……したんですか……ッ!」
ガタンッ! と椅子から立ち上がる。
この時だけは、実の父親を本気で睨んでいた。しかしアンリの瞳は、ひどく震えていた。
まるで本能的に畏怖しているように。
「座りなさい。食事中に立ち上がるとは何事だ」
「ッ⁉︎ 申し訳ございません……」
顔を上げたレオンと目が合い、咄嗟に視線を外して座る。
そして、父親はまたも事実だけを述べるように言った。
「お前の一年次の成績表を提出した。前例のない事態だが、相手側は快く了承してくれた。感謝するんだ」
「ま、待ってくださいッ! 私は転校するために成績トップを維持していたわけでは──⁉」
「何を言う。成績トップは当然のことだ。その程度で誇るな」
「……ッ! し、しかし……お父様からのノルマはちゃんとやっていました! 聖属性魔術も、修導院の生徒と同等に扱えると自負しています!
修導院にわざわざ入る理由はないはずです!」
「……アンリ」
息が詰まった。
ただの一瞬。父親と目を合わせただけで。
レオンに睨まれてだけで、アンリの声は嘘みたいに止まってしまった。
反論できない。
──転校なんて絶対嫌なのに。
そう思っているのに、声が出ない。冷や汗が止まらない。
幼いころから、アンリは父親と関わりが薄かった。それは、仕事が忙しく一緒に居られないのと──。
母親であるシンシアが、父親とあまり接触させたくないという想いがあったのだろう。
何故、母はこんな父と結婚したのか。聞いたことはないが、理由は余り考えたくはない。
母親が他界して四年以上。
その間で、この家の上下関係は完璧にアンリの魂に刻まれてしまった。
故に──言い返せない。
どんなに屈辱でも、悔しくても、声が震えて音にならないのだ。
「お前は二年前、私の提案を押し切ってグラーテ魔術学園に入学した。その行為が、我が家にとってどれほどの『罪』か。
……分からぬお前ではないな?」
「……はい」
リーネット家の聖堂教会の階級は【枢機卿】。
最高位である教皇を除けば、一番目に高い席を古くから鎮座してきた一族だ。
そしてレオンの年からして、次の席者を決めたいといけない時期なのである。
当然、跡継ぎの資格は修導院を卒業している事が大前提となる。
その跡継ぎがいないなど、どんなお笑いか。
「正直、女であるお前にはそれほど期待していない。
シンシアがいない今、お前の役目はいち早く結婚し、跡継ぎとなる子をなすことだ」
「…………え?」
──何を、言っている、のか。
今お父様は何の話をしているの? 子をなす……なんて……だって、あたしには、まだ……。
「お前はもう17だ。結婚もできるし子も孕める。
それでも、数年間の空席は避けられぬだろう。
その時は、お前が代理として私の代わりを務め、期が熟したときに子を正式に席に座らせれば──」
「ちょ、ちょっと待ってください……」
震えながらも、アンリは何とか声を絞り出した。
思考が停止している。
余りの状況に理解が追いついてない。だから、アンリには思っている事を口にするしかない。
「お父様、は……何を言ってらっしゃるのですか……? だって、あたしには……まだ、そんな相手は──」
「ああ、それは──心配せずとも、もう候補は決まっている」
……今度こそ、呼吸が止まった。
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