Episode37 ~それでも彼女は覆い隠す②~
今週の休息日になった。
早朝、部屋の東側の窓から暖かい日光が差し込む。
襲ってくる怒涛の睡魔を押しのけて、ノアはベッドから起き上がった。
朝が苦手な彼女にとって、休息日はお昼頃まで寝ていい唯一の日だ。
カイもそれを案じて、この日だけは起こしに来ない。太陽が真上にのぼった時には、自分で起きているからだ。
だが今日は違う。
ノアは休息日独特の空気に伸びをしながら、枕元の懐中時計を手に取った。
時刻は七時をちょっとすぎたくらい。
──こんな時間に起きたのは理由がある。
それは、今日行われるであろうカイとアンリのデートをのぞき見するため。
家族とはいえ、プライベートを覗くのはいけないことだと、理解している。
しかし決定的な瞬間を目にするまで、諦めきれない自分がいるのだ。
──決定的な瞬間を見たら、きっぱり諦めよう。
そして二人を応援しよう。胸の痛みも、苦しみも抑えていつも通りの『ノア・エルメル』を演じるんだ。
昨日、寝る前に固めた決意を思い返す。
ノアはベッドから降りると、たどたどしい足取りでクローゼットへ向かった。
クローゼットを開けて、側の鏡でぼさぼさな髪を整える。
(とりあえず、このままじゃダメだから……)
見た目だけなら、帽子やコードだけでも十分隠せる。
だがアンリは騙せても、カイなら雰囲気で気づくかもしれない。
──念には念を。まずは見た目からだ。
昨日、資料館でみた魔術資料を思い出しながら、ノアは滑らかに唱えた。
「《フォーム・メタモラフ》──!」
突然、ノアの身体が淡い光に包まれた。
粒子のような光は次第に強くなり、やがて視界を埋め尽くすほどになる。
数秒立ったあと、光が収まっていく。
真っ白な世界から元の視界が戻ってきた時、ノアは思わず「おおっ」と声を上げた。
鏡に映る自分はまるっきりの別人だった。
紅い髪に
自分で決めた見た目だが、こうも完璧に別人だと驚いてしまう。
変幻術なんて使ったこと無かったので不安だったが、これなら問題ないだろう。
ノアはしばらく鏡に映る自分を見渡してから、次に魔術で声色を変えた。
あとは普段着る服とは真逆な派手な服を着て、その上からコートを羽織る。帽子で髪型も隠せば、完璧にノア・エルメルの面影は消え去った。
「完璧でしょ!」
感動のあまり声を出してしまう。
どこからどう見ても別人だ。たとえ至近距離で話してもバレないという自信がある。
これで変装はできた。あとはカイが玄関から出てくるのを待って、その後さりげなく尾行すれば問題ない。
そう考えていると、一階の方から玄関の扉を開ける音が聞こえた。
よし、とノアは自らを鼓舞する。
一応窓からカイが家から離れていくのを確認してから、一階に降りる。リビングにある鍵を持って玄関へ向かう。
ノアは扉の前で立ち止まると、一度深呼吸をした。
他人のデートを覗き見るといういけないことをしようとしている感覚に、心臓の鼓動が高まる。
決意を固めると共に、ノアは扉の取っ手に手を伸ばすのだった。
──カイのデート追跡ミッション……開始!
カイが通ったであろう道を歩くこと十分。
辺りは見慣れた風景が広がっていた。ここはグラーテの噴水広場。いつもノアとカイが登下校時に必ず通るところだ。
グラーテは中心にあるこの噴水広場から広がっており、道なりに進めば大体ここに行きつく。
それにアンリの自宅はノア達の家とは逆方向なので、合流するならここが一番最短だし、分かりやすい。
辺りを見渡してみる。
休息日とあってか、行き交う人はかなり多い。派手な格好をした商人やグラーテの住民から、目を凝らして見慣れた人影を探す。
そして……見つけた。
噴水広場北東の端で、たたずむカイ。時折、懐から懐中時計を取り出しているあたり、アンリを待っているらしかった。
何とか二人が合流する前に見つけられた。
安堵しながら、ノアは中央の噴水に腰かける。ちょうど、人混みにまぎれる事ができ、なおかつカイが遠巻きから見える位置で。
体力がないノアにとって、追跡ミッションは中々に骨が折れる。
デートが始まったらゆっくり足を休めることも出来ないだろうし、ここで温存しておかなければ。
自分の不甲斐なさにため息が出る。
これから先の事も考えて、そろそろ体力作りを始めるべきだろうか……と本気で頭を悩ませるノアであった。
カイを見守っていると、やがて見慣れた人影が彼に近づいていくのが見えた。
風にたなびく紅の髪。秀麗を絵にかいたような容姿の彼女に、道行く人の視線が集まる。
ただ歩いてるだけだというのに、本当にすごい。
「遅いぞ」
懐中時計を懐にしまいながら、カイが言う。
因みに、事前に読唇術の魔術は起動ずみだ。この前使った聴覚拡張は、ほかの人の声も余計に聞こえてしまうので使えない。
「遅れたレディにはもっと言うことがあるんじゃなくて?」
明らかに不機嫌そうに腕を組むアンリ。
「はいはい、今きた所ですよっと……てか、何で制服なの? 私服それしかないの?」
「なわけないでしょッ! あたしの私服は普通じゃないのが多いの! 一番地味なのがこれなのよ」
「なるほど……」
カイが納得したようにつぶやいた。
遠巻きで見守るノアも同じように頷く。
彼女はグラーテでもそれなりのお嬢様だ。確か、噂では聖堂教会の大家だとか。
自宅もグラーテ西区の通称「裕福区」に広い土地と
(大体、家の話になるとアンリは「あたしの実績じゃないから」っていうけど……)
そんなことを考えているうちに、二人が移動を始めた。
まずはやはり南区に行くらしい。
グラーテの南区は色々なお店や屋台、カフェなどが多く、デートなら定番中の定番スポットだ。
カイ達はノアが座る噴水を横切って、大街路へ歩いていく。
──やっぱりバレていない。
これならわざわざ隠れながらじゃなくても、普通の一般人を装いながら尾行できるだろう。
フードを深く被ってノアは二人の背後を堂々と付いていくのであった。
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